「弱肉強食論はアダム・スミスやダーウィンが起源」はデマ

弱肉強食とか競争原理という言葉を聞くと、ダーウィンかアダム・スミスを思い浮かべる人が多いかもしれない。しかしダーウィンは弱肉強食とは言っておらず、「適者生存」と言ったという。新たな環境に適応できた生物が生き残ったという意味で、強者が生き残るなんて言っていないようだ。

ではアダム・スミスが言っているのかというと、私が「諸国民の富」(国富論)を読んだ感想では、「そんなことちっとも言ってねえ」。スミスは過干渉(子育てで言う手を出し過ぎ・口出し過ぎ)を戒めたけど、適切な規制は賛成だし、商人の横暴を防ぐためにも、自由最優先主義ではない。

弱肉強食、競争原理をうたった人物は、ホッブスだとするのが適切だろう。ホッブスは「リヴァイアサン」で、人間は欲得づくで動く生き物であり、弱いものを倒して強者が独り占めしようとする社会をイメージした。まさに弱肉強食、競争原理。

ホッブスは、未開時代の人類は我欲で争い合う生物だったと仮定したのだけれど、これに対してルソーやアダム・スミスは異を唱えている。二人とも、未開時代の狩猟採集時代にはむしろ争いはなく、農耕時代に入って富を蓄積できるようになった時、我欲による闘争が始まったと考えた。

これは考古学的にもだいたい正しいとされているらしい(最近の学説でひっくり返っていたら教えてほしい)。狩猟採集時代には人類同士の比較的争いはなかったが、農耕が始まり、余分の穀物を貯められるようになり、富の蓄積ができるようになると、戦争が起きるようになってきたようだ。

つまり、原始時代の人類には、ホッブスの考えたような弱肉強食、競争原理は働いていなかったことになる。むしろ、農耕が始まって余剰分の食料を貯められるようになってから人間は欲が出て、争うようになった。競争しなくてよくなったはずの状況下で争いが起きるようになった、と言える。

なんで弱肉強食、競争原理なんていう、アダム・スミスもダーウィンも言っていないことを、あたかも二人が言い出したような、あるいは二人が強く主張したかのような言説が流れたのだろう?
二つほど原因が考えられる。一つは、ほとんどの人が二人の著作をまともに読んでいないこと。

私もあいにくダーウィンはまだ読んでいないので控えるが、スミスの「諸国民の富」は日本語訳だけど全部目を通した。新自由主義の人たちが市場原理を唱え、弱肉強食は世の習い、競争原理は素晴らしいなんて言って、その根拠がスミスにあるなんていう人いるけど、「読んでないだろお前」と思う。

新自由主義、市場原理主義の人たちの言うことを聞いていたら、アダム・スミスは彼らの教祖であり、最初に弱肉強食を唱えたとんでもない人物のように見えるけど、興味深いことにマルクスの「資本論」には、スミスの名前と著作が頻繁に引用されている。彼らの大嫌いな共産主義の祖、マルクスに!

「諸国民の富」を読めば分かるけれど、スミスは特定の主義主張を唱えるような人ではなかった。社会現象、経済現象を取材し、そこからどんな教訓が引き出せるかを徹底して観察し、考察した人。観察科学者だと言える。だから、ありとあらゆる経済現象について考察している。まさに「経済学の父」。

そうした「経済学の父」が、あたかも市場原理主義者であり、新自由主義を唱えた人であるとした方が、それらの主義者の人たちに都合がよかったのだろう。だから、スミスの片言隻句を拡大解釈して、自分に都合の悪いところは無視して、スミスを引用している。早い話、「諸国民の富」を読んでいない。

もう一つの理由は、「ホッブスが弱肉強食、競争原理の元祖だけれど、ホッブスが元祖だと力不足」だということがあるのかもしれない。ホッブスの「リヴァイアサン」は当時の社会に衝撃を与え、強い影響力を与えた所ではあるのだけど、あくまでホッブスの想像上の仮説でしかなかった。

その後、ルソーやスミスから批判され、また、考古学的にもホッブスの描いた原始社会は存在しなかった。また、現在の生態学を考えても、自然界は競争社会ではない。弱肉強食社会でもない。ライオンは百獣の王ではなく、ハイエナの残り物を漁ったり奪ったりするちと情けない存在だったりする。

「自然界は弱肉強食であり、競争原理がある」と市場原理主義者などはいう。しかし、圧倒的優位に立つ者を除いては、ほとんどの生き物は競争をなるべく回避する。競争せずに済むスキマ(ニッチ)をみつけ、そこで生き延びようとする。やがて、環境が変化してニッチだったはずの環境がメジャーに。

すると、ニッチに逃げていたはずの負け犬生物が「適者生存」となり、強かったはずの生き物が弱者化する。こうして生物はあらゆる環境変化に対応する生き物を育んできた。競争を回避し、競争から逃げ出した生き物こそが次の時代の覇者になる、という進化を続けてきた。

だから、実は自然界は、弱肉強食どころか、競争原理どころか、そんなのをまともにやっているのはごく少数の圧倒的強者のみで、他の生き物は競争を回避し、ニッチを見つけて「棲み分け」ようとしているのが実態だろう。市場原理主義者や新自由主義者の言っている自然観は、ちと不正確だと思う。

そんなこんなもあり、ホッブスが弱肉強食論、競争原理論の教祖だと、ちょっと役不足なので、「経済学の父」アダム・スミスか、「進化論の父」ダーウィンが言ったことにしたかったのだろう。でも、どちらもデマだと言ってよいのではないだろうか。少なくとも、スミスもダーウィンも迷惑な話だと思う。

さて、勘違いと言えば。心身二元論の教祖はデカルト、とされる意見が結構強い。しかし私にはいまひとつそうは思えない。「方法序説」も「省察」も「哲学原理」も読んだけれど、心と肉体は別だ!と強く主張するようなところは見られない。

まあ、心の起源をどこに求めるのか、デカルトが苦労していたのは確か。デカルトは脳みその一部である松果腺という組織が心のありかなんじゃないか、と考えたけど、まあ、こじつけ。心は肉体のどこにあるのか位置づけに苦労はしてるけど、それが心身二元論の起源だとは、私には考えにくい。

心身二元論の起源は、聖アウグスティヌスだと思う。聖アウグスティヌスはその著作「告白」で、霊と肉、という表現を多用している。キリスト教の三位一体論を考え出すために霊と肉をどう考えるのかに苦労しているわけだけれど、霊は言い換えれば精神、心と表現でき、肉は身体と言い換えられる。

聖アウグスティヌスの著作は、キリスト教の影響を強く受けた西欧では、広く読まれている。自然、「霊と肉」はとても大きなテーマになっており、それが心身二元論の起源のように思う。デカルトの著作は、それになんだか科学的合理的な香りのする表現し直しをしただけのように思う。

ではなぜ心身二元論の起源はデカルトだとされたのか。聖アウグスティヌスはキリスト教中興の祖で、現代の科学の中で位置づけるには都合が悪かったのかも。で、「近代合理主義の父」とされるデカルトが心身二元論を言ったことにしたほうが、現代人には科学チックに考えられて都合がよかったのかも。

以上のように、「弱肉強食・競争原理」の教祖はホッブスであり、アダム・スミスやダーウィンがそうだとするのは言いがかりだと思う。また、「心身二元論」の起源は聖アウグスティヌスで、デカルトはそれを焼き直しただけに過ぎないと思う。デマがそのまま信じられている案件のように思う。

これに似た経験をしたことがある。「モグラは彼岸花のニオイ成分が嫌い。田んぼの畔に彼岸花が多いのはモグラが畔に穴を開けないようにするため、これは論文で証明されている」と言われていた。面白そうだからそれを研究してみようと、その成分のことを調べた論文を探し求めて、ついに見つけた。

すると、その論文は確かに彼岸花の成分を調べた論文だったのだけれど、その「考察」の部分に「モグラは彼岸花のニオイが嫌いだという言い伝えがある」と紹介しているだけだった。つまり彼岸花の成分をモグラが嫌うということを証明している論文でも何でもなかった。

ごんぎつねの里で、彼岸花の世話をしている人たちに話を聞くと、「そこ、モグラが突っ切っているよ」と教えてくれた。彼岸花が密集している中をモグラが突っ切った跡が残っていた。彼岸花、平気だった。モグラが彼岸花を嫌うなんて証拠はなかった。

彼岸花の成分を調べた論文に、「モグラは彼岸花を嫌う」という伝説が紹介されていたのを、誰かが「彼岸花の成分をモグラが嫌うことは論文で証明されている」と思い違いし、それが人々に誤って伝えられていたのが実態だった。元の論文に当たったら、全然違っていた、という話。

アダム・スミスは弱者が虐げられる社会を嫌っていた。強権を握る人間が市場をゆがめ、自分に有利なようにし、弱者を貶めるのを嫌って、市場をいじらないほうがいい、とは主張した。つまり、強者がさらに強者になるような仕組みをスミスは嫌って、市場を守ろうとしたと言える。

市場原理で弱者と強者に分かれ、弱者が強者の食い物になるのは仕方がない、と考えるような人ではなかった。むしろそうした場合は適切な介入が必要だと書いている。スミスは多くの人が幸せに生きる社会を目指していた人だと言ってよいだろう。

原典に当たってみると、イメージがガラッと変わることがある。一般に信じられていることでも、それは誰かにとって好都合なウワサがあたかも定説であるかのように流布されたものかもしれない。そういう発見のあるところも、学ぶことの楽しさなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?