関係性で人は変わる

2015年頃、「指示待ち人間」という言葉が流行っていた。指示を出さないと動かない、指示以外のことはしようとしない、自分で考えて動ける部下がいない、という上司の嘆き、経営者の嘆きが広がっていた。そういう上司や経営者が集まってる場に行くと。

「(俺達みたいな)自分で考えて行動できる(優秀な)人間なんて、ほんの一握りなんだよ、ほとんどのヤツは自分で考えることなんかできやしない、指示したこと以下しかできやしないんだから」とボヤきつつ、自分たち人の上に立つ人間の優秀さを誇って自分を慰めていた。でも私は首を傾げていた。

「私んところのスタッフや学生はみんな自分で考えて行動してくれるけど?なんなら上に立つ私より優秀だけど?」と、経営者の皆さんの意見に同意できなかった。
そんなある日、友人から子育ての件で相談を受けた。「言わないと勉強しない」。あ、これ、指示待ち人間と同じ問題だわ。そう思った私は。

友人に回答した内容を、部下育成になぞらえてツイッターで投稿した。「指示待ち人間はなぜ生まれるのか?」togetter.com/li/895830 これがどえらくバズって、最初の本「自分の頭で考えて動く部下の育て方」を執筆するきっかけともなった。

指示待ち人間は、生まれもって指示待ち人間なのではない。上司や経営者の部下への接し方のせいで指示待ち人間は生まれるのではないか、と指摘した。
私のところに来る学生やスタッフでも指示待ち人間の素質を持つ人はいた。その特徴は、失敗すると「すみません!どうしよう!」とパニックになること。

ここでもし、「さっき教えただろう!こうだよ、こう!」と厳しく教えると、指導者の「視線」が怖くてそればかり気になって、手元の作業に集中できない。だから失敗する。指導者はさらにイライラして「また失敗して!」と叱る。さらに視線が怖くなり、そればかり気にして作業に集中できない。悪循環。

悪循環が続いてパニックになってしまい、やがて頭が真っ白になった部下は、指示されたことだけ手を動かすロボットになる。指示されたらその通り作業する。それが終わったら次の指示を待つ。指導者は仕方なく指示を出す。もはや、指導者自身が手を動かしたほうが速い状態になってしまう。

私は、学生はスタッフが失敗しても、それが危険性のないものであれば笑って「せっかく失敗したんだから、何が起きたのか一緒に観察して楽しみましょう」と呼びかける。そして、「ここはどうなってます?」と問いを繰り返す。すると、「あ、だからか!」と、メカニズムを理解できるようになる。

私たちは、失敗した人間に「厳しく叱ったら、叱られるのが嫌で失敗しなくなるだろう」という「思枠」を抱きがち。厳しい刑罰が嫌なら犯罪を犯さないだろう、という発想。でも現実には。厳しく叱る上司の目が怖くて、その視線ばかりを気にするようになる。なぜ失敗したのか考えるゆとりを失う。

上司の視線ばかり気にして手元がおろそかになるから、また失敗する。これの繰り返しでパニックに陥り、頭真っ白になるから指示待ち人間が出来上がる。失敗にやたら厳しく細かい上司のもとでは、指示待ち人間が生まれやすい。自分で考えるゆとりを与えてもらえないのだから。

でも、危険性のない失敗であるなら、むしろ学習のチャンス。失敗は、メカニズム理解にとてもよい教材。だから、指導者が「ここはどうなっている?」「この時どうしたっけ?」などと問いを重ね、着眼点を示しながら一緒に観察すると、部下は冷静に観察し、メカニズムを理解することができる。

この時、「教える」のではなく「問う」ことが大事。「教える」と、さっき失敗して動揺した気持ちが残っていて、それで上司の教える言葉が畳みかけられると、言葉についていくのに必死で、手元の作業を観察するゆとりを失ってしまう。自分で考えるのではなく、言葉の機械的なコピペで終わってしまう。

文章を読まずに、コピー機でコピーしただけでは頭に入らないのと同じで、教えられた言葉は言葉だけが浮き上がってしまって、理解に至らない。説明したほうは分かりやすく説明したつもりかもしれないけれど、言葉はしょせん言葉。聞いただけでは理解できたことにならない。

でも「ここ、どうなっている?」と、着眼点を示しながら「問う」場合は、問われた側は「観察する」「答える」という二つの能動的な行動をとることになる。この行動をとるためのゆとりも与えられる。「え?ここ?えーと、こうなっていますね」と、観察しながら答えることになる。

着眼点を示しながら問い、観察しながら答えてもらうということを繰り返し、十分な情報が集まったな、と見計らったところで、「じゃあ、今まで観察したことを総合すると、何がどうしたからこういう結果になったのだと思う?」と問うと、自分で考えてメカニズムを答えることになる。

「そう、その通り!その仕組みだとしたら、次、どうしたらいいと思う?」と問えば、メカニズムが分かっているから、何をすればいいのかも見当がつく。ここまで行くと、自分の頭で考えるための材料がそろう。仕組みを理解しているし、観察してものがよく見えているし、何をすべきかわかっているし。

もし上司や経営者といった指導者が、部下に観察するゆとり、何が起きたのかを理解するゆとり、それを一緒に考えるためにも、失敗を責めるのではなく、むしろ失敗を楽しむくらいの気持ちで一緒に観察する「関係性」であれば、部下は「指示待ち人間」ではなくなる。むしろ。

「そうか、失敗したら「どうしよう!」と、上司への言い訳を考えるのに頭一杯になっていたけれど、失敗したら何が起きたのかを観察し、仕組みを理解し、次にどうしたらいいのかを考えれば、解決できるのか!」ということに気づけば、部下は自分で考えて動けるようになる。

部下をやたら厳しく叱り、失敗を責める関係性だと、部下を「指示待ち人間」へと追い込むことになる。逆に、危険性のない失敗なら、部下と一緒に観察することを楽しむ関係性ならば、部下は自分の頭で考えるようになる。「関係性」で、人は大きく変容する。

これは恐らく子どもも同じ。親が、勉強は?宿題は?とやかましく管理する関係性だと、子どもは嫌になる。勉強嫌いになる。嫌いになるから「言わなきゃ勉強どころか宿題もしようとしない子」に追い込まれてしまう。でも。

「へえ!もうこんな難しいことわかるようになったの!」「え?もう宿題終わったの?誰からも言われないのに?」というふうに親が驚いていたら、子どもは親を驚かそうと、積極的に学びもし、宿題も片付けるように思う。子どもは親を驚かせたい生き物だから。

「宿題は?勉強は?」とやかましく言う親は、子どもが勉強するのは当たり前、もし子どもが自主的に勉強していても「もっとやれ」と要求がエスカレートしがち。すると子どもは気づく。「いくら勉強しても親は驚かなくなってしまった」。これだと、勉強するのがつまらなくなる。

子どもに勉強することを期待する関係性の中では、子どもは学習意欲を失う。勉強することを期待せず、でも子どもが能動的に学習に取り組むと驚く親との関係性の中では、子どもは能動的に学ぶことを楽しむようになる。勉強しない子は、大人との関係性で生まれるように思う。

こうした考え方を2冊目の本「子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法」x.gd/dN0Ej を書かせてもらった。部下育成本も子育て本も、関係性が変わると人間の行動は変わる、という考え方を示している。これらの考え方は、老荘思想から得たものではあるのだけど。

とあるきっかけで、ケネス・ガーゲン氏が「関係性」を重視していることを知った。これは面白いと思った。私達は、指示待ち人間や勉強しようとしない子を「生まれつき」とみなし、もはや変わることのない存在とみなしがち。けれど実際には、関係性が変わると行動はガラリと変わる。

私達は「指示待ち人間」や「勉強嫌いの子ども」を定義し、そういう存在であると決めつけたくなる。しかしこの考え方は、西欧文明の特徴であり、欠点でもある。実際には、関係性が変わると「自分で考える人間」になるし、「学ぶことを楽しむ子ども」に変わるのだから。

私はどうやら、ガーゲン氏の名前を知らないまま、その考え(社会構成主義)の影響を受けていたらしい。そして、存在ではなく関係性に着目すれば、解決不能に見えた様々な問題を解決しうることに気がついた。

なにせ、「アイツはこういうヤツだから」という決めつけ(存在の定義)が、事態を全く動かせないものにしていることが多い。しかし関係性を変えてみると相手の態度も軟化し、「あれ?こんな一面があったの?」と驚かされることになる。関係性に着目すると、それまで不可能と思えた事態が動くかも。

これは西欧文明の伝統を大きくひっくり返す考え方かも、と考え、私の本の中で唯一存命する人を紹介した。「関係性から考えるものの見方」(社会構成主義)は、非常に面白い考え方だと思う。みなさんも「関係性の世界へ」(https://x.gd/2X1wM)をお読みになることを、お勧めしたい。

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存在ばかり云々するから人間は変わらない。しかし関係性に着目し、それを少し変えるだけで人間の行動は、そして人格は大きく変わる。こうしたガーゲン氏の考え方を紹介した本。

「世界をアップデートする方法 哲学・思想の学び方」x.gd/MWrKc

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