ルールや正義をかさにきると孤独に陥る

私はもともと、ルールや正義をタテにとって注意するイヤなヤツだった。今思えば、自信がなかったからだと思う。人に好かれてるわけでもない、成績がよいわけでもない、運動もダメ。いいところがない自分が強者になるのに、ルールや正義は実に便利だった。「トラの威を借りるキツネ」。

だから、電車で居丈高に注意し「子どもを甘やかすから日本がダメになるんだ!」と説教かますオッサンの気持ちがわかる気がする。寂しいんやな、と。退職して居場所がない、家にいても奥さんから煙たがられる、子どもは寄りつこうとしない、孫も顔を見せに来ない。これで自分の心をどう立てようと?

人は、孤独でどうしようもなくなったとき、嫌がられる形でもよいから人と関わることのできる方便としてルールや正義を持ち出すことがあるのでは?という気がしている。ルールや正義の側に立てば、弱者も一転して強者になれる。人的強者はルールと正義の下流に立ち、弱者と変わる。

こんな便利な道具はない。だからついつい、ルールや正義をかさにきて、大きな態度に出たくなるのだろう。普段の自分の存在の小ささを打ち消すために。自分の存在の大きさをできるだけ強く刻印するために。

そしてどれだけ多勢に無勢でも相手は悪。むしろ周囲が「いやそこまで言わんでも」と止めれば止めるほど、自分は孤高のヒーロー気分。周囲は物の道理も理解できない愚か者たち、しかし自分は唯一それが理解できる賢者。この構図なら、これまでの孤独もすべて肯定できるようになる。

定年退職した人から久しぶりに電話があった。「日本会議に参加して有意義に過ごしています」という。興味が湧いたので、少し根掘り葉掘り気味に聞いてみた。すると「今の若者は日本文化の尊さを知らず、女性は貞淑さを失ってる。これを正そうと頑張ってます」と。

どうやら、定年退職してヒマをもて余し、奥さんからも子どもからも嫌がられ、所在なさを感じていたところに「そういう連中が日本をダメにしてる」という正当化を日本会議がしてくれるものだから、ついつい嬉しくなってしまうらしい。

考えてみると、これまでの日本男性はなかなかに厄介な「呪い」にかけられているように思う。昔の日本の制度では、退職後も経済的主導権を男性が握っていたため、女性はどれだけ男性が居丈高でもそれに従わざるを得なかった。しかし経済的な仕組みが変わった。

経済的仕組みの後ろ盾を失ってもなお一部男性は奉られるのを当然視。しかし理不尽な強権的な振る舞いを我慢したくない女性や子どもは、はっきり拒否するようになった。この変化に戸惑う男性が多いように感じる。自分は頑張って働いてきたのに、なぜこの仕打ち?と。

単純な話。自分を上に置き、女性や子どもを下に置くその価値観を持つから。だけど、それを捨てられない男性が一定数いる。そしてそれを言っても聞かない男性は、周囲が距離を置くしかない。孤独にならざるを得ない。

偉そうにしても誰も相手にしてくれない。自分の権威を認めてくれる人がいない。自分の自慢話をありがたく聞いてくれる人もいない。自分がいかに活躍してきたかを聞いてくれる人もいない。その孤独を少しでも埋め合わせるのが、ルールと正義の「トラの威を借りる」行為。

私は自分がそうなってしまうことが恐くて仕方ない。自分の中にある「呪い」を解除し、YouMeさんとも、子どもたちとも、友人とも楽しく付き合える、そんな人間になるにはどうしたらよいだろう?と考えている。

一つ言えることは、「ずるい」ことをしないことかな、と思う。この場合の「ずるい」とは、相手が反論できないようなルールや正義のような、自分じゃないところから「強さ」を借りてくることのこと。それをしたら対等でなくなる。対等でないなら、相手は強い不満を持つ。

公園で花火をしてる若者が大騒ぎ。近所のオッサンが若者たちに怒鳴り散らしてる声が聞こえた。しばらくすると、若者は一層やかましく騒ぎ立てた。上から目線で一方的に叱られ、むかっ腹立ったらしい。

9時半頃に、親父さんが若者たちに近づいた。
「お楽しみのところ悪いな。あそこに病院があるやろ。夜10時になったら消灯して寝なあかんねん。その時間になったら静かにしてやってくれるか。悪いな」
すぐに静かになり、10時になってしばらくしたら解散したらしい。

若者を悪に、自分を正義に位置づけて居丈高に怒鳴り声を上げたオッサンに、若者たちはカチンと来たようだ。他方、親父さんの場合、楽しむことを当然と捉え、配慮が必要な情報を伝えた上で、どうするかは若者に委ねた。対等に自分たちを扱ってるという印象を受けたらしい。だから素直に従ったのだろう。

ルールや正義を持ち出して、自分を高みに、相手を下位に置くやり方は卑怯であり、たとえその論理が正しくても承認しがたい気分になるらしい。他方、思いやる必要のある情報を提供した上で、どうするかのゲタは相手に預けるという姿勢は、対等に向き合ってる感覚を持ちやすいらしい。

皮肉なものだ。孤独だからルールや正義を持ち出したのに、そうした外からの「借り物」を持ち出すから嫌がられ、人が遠ざかる。人間心理の興味深いところでもあり、不具合でもある。この不具合を承知した上で、言動をうまくコントロールしていきたいなあ、と思う。

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