官邸主導の弊害

ある人と喋っていて「農林水産省さえ動かせば国が動くと思ったが駄目だった」という話があった。二昔ほど前だったら農林水産省を動かせば国を動かせたかもしれない。しかし今は無理。官僚の練り上げた政策を政治家が取り上げることがほぼなくなってしまったから。

官邸主導ということで政治家が政策を決定するようになっている。このため政治家が気に入らなければ官僚の提案はまるで無視されるようになった。他方、政治家の思いつきのアイデアが政策になり、それがあまりに粗雑で問題含みでも、官僚は怖くて忠告できなくなった(忠告した者は飛ばされた)。

そして、政治家はお気に入りの人間からしか意見を聞かないものだから、現場で起きてることを政治家の耳に届けようとしても馬耳東風。そんなシステムになってしまっている。いまや省庁に陳情に行っても取り上げてもらえるとは考えない方がよい。一応、首相が変わって風向きは変化してるのだけど。

政治家が動かなくちゃ国は動かない。ところが政治家は聞く耳を持たない。となると、どこを突けばよいか?
私の考えでは、世論ということになる。
世論が動けば、政治家は票になると考えて、その政策を採用する。ならば、世論を動かすことが国を動かす最大の力となる。

だから私はツイッターやってるようなところがある。世論を動かすには、多くの人の心を動かすことが必要。それには、すでに多くの人の心のなかに存在するものと共振、共鳴させる言葉を紡ぐことが大切。
国を動かすには世論を動かし、その結果、政治家を動かす。これが一番の早道のように思う。

ところで、なぜ政治家はお気に入りの人間の話しか聞かないのかというと。単にマンパワー不足の面もある。
昔なら官僚が、それぞれの部局の人間で手分けして陳情を聞き、それを上司や有識者とも相談し、政策を練り上げることができた。人数がいるから取りこぼしも少なく済む。

しかし国会議員はわずかな人数。派閥の有力者ともなれば一握り。その一握りの人間が把握できる事柄は限られる。しかも何百人も会ってるわけにいかない。結果的に、お気に入りの人間が取りまとめた話だけを聞くことになりがち。どうやら、そういう現象が起きてるらしい。

昔は国に起きていることの情報が官僚に集まっていたけど、今は政治家の方に行く。しかし政治家の窓口は狭くて渋滞。結局、お気に召す話しか狭き門を通れない。一部の情報しか政治家にも集まらないという厄介な現象が起きているらしい。

昔は官僚が全国から陳情に来る人たちの話を聞き、事実関係を調査し、それらの情報をまとめて上司などとも相談し、有識者の意見も聞いて政策案に落とし込み、要領よくまとめて政治家に説明していた。うまく要約されてるから政治家はたくさんの案件を処理することができた。今、その機能が弱体化。

官僚は今、国のために役に立つことができない。政治家の思いつき政策を格好つけるというやっつけ仕事に追われている。やりがいを見失っている。しかも、官僚トップの事務次官まで上り詰めても政治家にアゴで使われ、少しでも楯突いてると思われたらクビがとぶ。国民のための諫言も届かない。

勉学のできる人間は東大法学部を目指し、そして官僚を目指した。これが一番の出世コースだった。ところが今、官僚はひどく人気がない。東大出ても官僚になりたがらない、やりがいがないから。このため、東大法学部まで人気をなくしている。東大生に人気なのは、外資系企業。

日本の税金を投入し、最も優秀な学業成績を修めたものが、日本のために働くのではなく、外資系で働く。これが、官僚システムを破壊した代償だった。
東大卒が日本のために働きたくなくなる、という奇妙な構造になっている。これは早く是正しないと、日本の国家としての機能はますます弱体化する。

官邸主導は、残念ながらうまく機能せず、むしろ日本を弱体化させる方向に機能している。最初こそ、選挙で選ばれていない官僚が国を動かすのはおかしい、選挙で選ばれた政治家が政策を決めるべきだ、というもっともらしい理由から始められた改革だったが。

今思えば、無理があった。いわば、脳みそに筋肉の機能を期待するようなものだった。伸び縮みし、物を持ち上げたり歩いたりする機能は筋肉に任せておけばよかったのに、脳が筋肉になろうとした結果、脳としても筋肉としても中途半端な存在になったようなもの。

官僚が国を動かしてるように見える時代でも、最終的な決定権は政治家にあった。たまたま、官僚の練り上げた政策がよくできていて、政治家はただハンコを押せばよい時代が続いたことが、官僚が国を動かしているように見えただけのこと。しかしあくまで決定権は当時も政治家にあった。

いわば、意識しなくても箸でご飯をつまみ、口の中に入れて食べられるように、無意識がかなり身体を動かしてくれているように、官僚がお膳立てしてくれていた。それでも食べようとしなければその仕組みが発動しないように、政治家もウンと言わなければ動かなかった。やはり政治決断は政治家だった。

ならば、官邸主導の副作用がいろいろ明らかになってきた今、官邸主導をもう一度改めてみてはどうか。どうも官邸主導は弊害が大きいことがはっきりしてきたのだから、傷が浅いうちに改める方がよいように思う。政治家は官僚を使いこなせばよいだけ。官邸主導は不要。
君子豹変す、を期待したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?