相手を見つめるのではなく課題を見つめる

夫婦喧嘩やいろんな人間関係でケンカになるのは、自分の正当性を主張し、相手の不当をなじる、という形になっている時なのかな、と思う。
YouMeさんと、なんで僕らはそうならないんだろう、と話していたら、「課題を解決することが大事」なのだと。なるほど。

自分はやるべきことをやっている、と正当性を主張し、言い訳しても、課題は解決しない。「お前がやるべきことをやってない」と責めても課題は解決しない。大切なのは課題を解決することであって、互いに無理のない範囲で労力と時間を提供し、解決を探ることだ、と。なるほど。

ケンカをしているときって、相手と対面で向き合っている感じ。でも、課題を一緒に解決する場合は、二人とも課題を前にして横並びしている感じ。
向き合うと、課題を見ずに相手を見て、相手のあら捜しをし、自己弁護に走りがち。でもそれでは課題を見ていない。視線をずらす必要がある。

二人で課題を観察し、意見を述べあい、どうすれば解決するかのアイディアを出し合い、二人で無理なく実施できそうな方法を相談し、役割分担する。この場合、相手を見ずに課題を見ている。そして相手の意見に耳を傾け合う。この場合、ケンカにならない。相談相手。

ケンカの場合、課題はそっちのけで相手を「敵」とみなしてしまっている。課題を解決することが目的だったはずなのに、「敵」をやっつけることが目的にすり替わってしまっている。相手に向き合い、対面式になってしまうとこれが起きやすい。視線の先は相手ではなく、課題に向けたほうがよい。二人とも。

相手はナニした、自分はこうした、と、課題よりも自分と相手が何をしたかばかりを論じて、課題解決にならない話をするのをケンカというのだろう。ケンカではなく、協力して課題を解決するにはどうしたらよいかを考えるため、一緒に課題に向き合い、相手とは隣り合って相談するのがよいのかもしれない。

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