「ゆらぎ」による試行錯誤プログラム、驚くこと、先回りしないこと

息子が新生児の頃、顔にひっかきキズが。自分のツメで顔をひっかいてしまうらしい。腕はしじゅう動いているが、動かそうとして動いているというより、動くようにプログラムされているらしい。それもランダムに。だから顔をひっかいてしまうことが起きるという。しかしそのうちひっかかなくなった。

もう少し大きくなったとき、積み木をつかもうとするのだけど空振りしたり、ふっ飛ばしたりした。そのときには意識的に腕を動かせるようになっているのだけど、腕はまだゆらゆら動いていて、正確に動かすことはできない。どうやら、ゆらゆら揺れるようにプログラムされているらしい。

うまく積み木をつかめたら、次からは確率が上がるのだろうかと思ったら、まだ腕はユラユラ。失敗を繰り返す。どうやら、腕の動きにわざとゆらぎをもたせることで、目的の行動周辺のデータを蓄積するようプログラムされているらしい。一通り失敗も含めてやり尽くすと、途端につかむのがうまくなった。

言葉の通じない赤ん坊に教えることはできない。しかも赤ん坊にとって、大人は、小指さえ自分の手のひらに余る巨人。動きが捉えきれず、身振り手振りで子どもに教えようとしても視界に収まりきらない。このため、赤ん坊には教えようがない。なのに赤ん坊は腕の操縦法をマスターする。教えなくても。

この様子を見て、子供は教えられずとも、試行錯誤の中で自分なりの答えを見つける能力があるということに気がついた。うまくいかない様子を大人が失敗だと捉え、上手くいく確率を上げようとするよりも、うまくいかないことも大事なデータベース作りの一環だと捉えた方が良いと思うようになった。

息子が生まれたての頃、足の裏に手を押し当てるとキックする反射が右足にはあったが、左足にはなかった。いろいろ試した結果、膝を内側気味に折り曲げると反射的にキックが出るのを発見。

足裏押してキックが出ると「お?」と私が言うようにすると、「お?」をなんとか再現したくなったらしい。足裏を押すとなんとかキックを出そうとしてるらしく、やがて強力なキックが出るようになった。足裏押したらキック!そして私は「お?」。そんなゲームを繰り返した。

バウンサーに乗せられるようになったとき、赤ちゃんの足裏に腕を押し当てると、反射的にキック。するとバウンサーが揺れるし、私が「お!」と驚くことに気がついた赤ん坊の息子、キック、バウンサー揺れる、「お!」という声が出る、という遊びを二人でやってた。バウンサーは激しくブンブン揺れた。

どうやら、子どもは親が「お?」と驚く声を上げたとき、その現象を再現したくなる仕組みがあるらしい。それをなんとか再現しようと、足の感覚をよく観察し、こうすればキックが出せて、「お?」を引き出せるのか、というのを発見した様子。「驚く」は、意欲を引き出す効果があるんだな、とわかった。

子どもは教えなくても試行錯誤の中から答えを見つけ出す力がある。大人が「お?」と驚くと、その驚きを再現しようと意欲を燃やす仕組みが子どもにはあるらしい。
この2つの観察結果が、子どもの指導方法の基本なんだな、ということがわかったような気がした。

うまくいかないと癇癪を起こす子どもがいる。私が思うに、「失敗はできるだけ回避し、成功だけしなければならない」という「呪い」にかかっているとき、こうなる気がする。言葉の通じない赤ちゃんは、失敗とか気にせずにものすごい集中力で試行錯誤する。こうするとこうなるのか、というのを観察。

うまくいかない様子を見て大人が「そうじゃないよ、こうすればいいよ」と先回りし、答えを教えようとすると子どもはよく癇癪を起こす。自分が見つけたかったのに!自分で試行錯誤して発見したかったのに!と。
先回りしないでいると、子どもは大して悔しがりもせずひたすら試行錯誤してることが多い。

子どもの中では、成功も失敗もなく、ただ初めてのことに取り組んでいるだけのこと。そこで試行錯誤しているたけのこと。初めてだから失敗も何も区別せず、その新体験を楽しんでいる。大人から見た失敗でさえ、新体験。新体験を味わい尽くしたいのに、先回りされるとショートカットされた気分。

推理小説を読んでる人に「犯人はコイツだよ」と教えたり、映画を見ている人に「クライマックスはこうなるよ」とネタばらしたら、腹を立てる人は多いのではないだろうか。推理を楽しむのもクライマックスでハラハラするのも自分で楽しみたいのに、先回りされると強烈に興ざめ。それと同じ。先回りは。

子どもはどうやら、初めてのことに取り組むときは「ゆらぎ」という形で試行錯誤するようにプログラムされているらしい。ありとあらゆる角度から、まだ試していない工夫をやってみる。そうして打開策を見つけてしまう。ついに自分で打開策を見つけたときの快感は非常に強い。「見つかった!」

そのとき、そばに「見つかったね!」と一緒に驚いてくれる大人がいると、子どもはなおのこと嬉しい。できなかったことができた、分からなかったことが分かった、知らなかったことを知ることができた、その瞬間を共有し、驚いてくれる人がそばにいると、大はしゃぎする。

驚きの共有をしてくれる人がいると、「次はまた別のことで驚かそう」と企む。これが子どもの学習意欲となる。「学習」と呼んだけど、子どもにとっては遊びと区別がない。できないことを試行錯誤の末にできるようにすることは、ゲームや推理と同じ。楽しい遊び。

変に教えず、子どもの試行錯誤につきあう。たまたま打開策が見つかったとき、一緒に驚き、喜ぶ。先回りせずに、ただ子どもの横にいる。「そのとき」が来るまで待つ。来たらその瞬間に驚く。ただそれだけでよいように思う。子育ての基本は、それだけのような気がしている。

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