「居場所」考

孤独に苛(さいな)まれている人たちに居場所を作ろうとした人の話。「居場所」を用意したところ、エライ目にあったという。居場所=私が私のままでいてよい場所=身勝手に振る舞っても許される場所、と考える人が攻撃的に振る舞い、その人のためだけの「王国」になってしまう、と。

みんなの居場所を作りたいのに、たった一人の横暴な人間が居直るために、他の人たちが居場所を失い、結局、その攻撃的な人も居場所を失う。誰にとっても居場所でなくなってしまう、という話だった。そこでその人は、コミュニティ、あるいはコミュニケーションセンターと呼ぶことにしたという。

その意は、誰がそこにいても構わない、構わないけど、身勝手に振る舞って他の人に不快な思いをさせてよいわけではない、コミュニケーションを通じて、みんなにとって心地よい空間をみんなで維持しよう、というもの。それでなんとかかんとか、空間を維持できるようになってきたという。

私は塾を主宰していたとき、不登校児を数ヶ月にわたって預かることを何人かやってきたけど、その一人なんかは親とのコミュニケーションを早くから崩壊させていたため、常識がかなり欠落していた。しかしそれらをいっぺんに修正させるとその子が居づらくなってしまう。だからまずはそのまま受容。

その上で、今後、他者とコミュニケーションをとる上で最悪と思われるものを一つだけ、「お前、それはやったらあかんでえ」と、修正するように伝えた。それ以外は楽しく過ごせるように心がけたし、修正の難しいものでもないことを指摘してるからか、比較的すんなり修正してくれる。

立て続けに修正を求められる、という感じを持たずに済むように、十分に間をあけ、また、それが目の前で出現するまで待ち、それが現れたときに、次の最悪を指摘する。「お前、あれはできるようになって大したもんだ。次はここ、これから注意したほうがいいぞ」。

基本的に楽しく過ごしてもらう。たとえ欠点があろうと、少々不愉快なことをしても、ここにいていい、ということを雰囲気で伝える。けれど「相手に不愉快な思いをさせないようにする努力は必要だ、それを失ったらいけない」ということは明確に伝える。子どもは、それが妥当なものであれば素直に聞く。

みんなにとっての居場所を作るには、あまりガミガミやかましくルールを言い立てるのは好ましくない。ルールを盾にとって王様に成り上がろうとする、変に「正義」を振りかざす「正義のヒーロー」気取りが現れかねないからだ。それではみんなにとって居心地がよくない。

さりとて、みんなそのまま、ありのままでいいんだよ、というのも、人を傷つける言動を吐き続ける行為を改めてもらうことができなくなり、やはりその人の王国になってしまう。他の誰にとっても居場所ではなくなってしまう。

基本的に、少々の欠点は大目に見るけど、人を傷つけるような言動はご法度。ご法度だけど、私達はお互い欠点の多い人間。気づいたら改める。それを繰り返していくことで、みんなにとって居心地のよい空間を維持する。それが孤独を減らしていく近道なのかもしれない。

ケネス・ガーゲン「関係からはじまる」でもそうだけど、私達は関係によって姿が変わってしまう。家族に見せる顔とクラスメートに見せる顔、同僚に見せる顔、先輩や上司に見せる顔は異なることがほとんど。関係性が違うからだ。

けれど私達は関係性ではなく、「存在」を固定的に考えやすい。「あいつはこういう奴」「私はこういう人間」と存在を定義し、あたかも、どんな場面でも人格は変わらないかのように捉えてしまう。そんなことないのに。関係性が変われば人格まで違う現れ方をするのに。

「居場所」という言葉は、「私が私のままでいてよい場所」というニュアンスで語られることが多い。このため、自分という存在を自分で定義してしまった人が、その定義のままで振る舞える場所、になってしまう恐れがある。人を傷つけてよい理由などないのに。

「居場所」ではなくコミュニティ、あるいはコミュニケーションセンターと名乗るのは、関係性をお互いに心地よく形成しながら、みんなで維持する空間、というニュアンスを伝えたいからだろう。存在からではなく、関係性から考える。

みんな、ここにいて構わない。けど、感情の赴くまま、他者にそれをぶつけてよいわけではない。相手も対等な人間。自分がされて傷つくことはしない。それでもやっちゃうことがある。それはいったん許容し、でも次からは改める。そうした緩やかな形でコミュニティを維持するのが望ましいのだろう。

「お前、そういうとこやぞ」というのは言って構わないと思う。相手との関係性を切る気はない、お前のことはオモロイやっちゃ、と思ってるで、だけどこれだけはこっちも傷つくからやめてくれや、という要望を伝えるのは全然構わないと思う。

少々の欠点が発露するのは「しゃーない」。それを理由に出ていけ!とは言わない。けど、それは次から改めてくれや、こっちも気をつけるから、というお互い様感のある関係性をその空間で醸成し、維持する。それが恐らく、居心地のよい空間となるのだろう。

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