ヒットラーはプラトン、デカルト、ニーチェを受け継いで生まれた?

プラトンという名前は聞いたことがある、という人がほとんどだろう。プラトニック・ラブという言葉にもプラトンの名前が残っているし。でもプラトンが何をした人か、知っている人はあまり多くないかもしれない。多大な功績のある人だが、ヒットラーを生む遠因となった、というと驚かれるだろうか。

プラトンの著作に「国家」というものがある。哲学者のように優れた人間が国を治めれば理想の国家になる、と主張したもの。このため、高校の教科書では、プラトンの目指した国家像を「哲人国家」と呼んだりしている。この著作は、非常に画期的なものだったといえる。なぜか。

国なんていう巨大なものを、個人がどうこうできるものではない、というのは、現代人でもそう思うだろう。それは古代人も同じ。国は神様が作り上げた巨大なもので、個人が作れるものではない、と考えられていた。ところがプラトンは大胆にも、個人が国家をデザインできるというアイディアを提出した。

プラトンはなぜ、こんな常識外れなアイディアを出せたのだろう?これには一つの伝説が関係する。プラトンの住んでいたアテネのライバル都市にスパルタ(ラケダイモーン)がある。スパルタには、国家をゼロベースからデザインした中興の祖がいると言われていた。その名はリュクールゴス。

リュクールゴスは、スパルタの人たちがどう生活するか、慣習から法律まで全部デザインし直したという。子どもは幼いうちに親元から離され、子どもたちだけで過ごし、兵隊として鍛え抜かれ、男女ともほぼ裸で過ごし、口数少なく、死を恐れない兵士を育てる国家として生まれ変わらせた、という。

プラトンはこのリュクールゴスの伝説から着想したらしい。国家を個人がデザインする、という大胆極まりない発想を。
この極めて大胆な発想を、別の分野に応用した人物が、およそ2000年後に現れる。デカルト。デカルトの生きた時代は、キリスト教が何もかも支配した時代だった。国さえも、思想さえも。

生きる世界をすべて支配したキリスト教だったが、デカルトの生きた時代、カソリック(旧教)とプロテスタント(新教)に仲間割れして、血で血を洗う争いを繰り返していた。聖バーソロミューの虐殺という、キリスト教徒同士が殺し合うという惨劇まで起きていた。果たしてどちらが正しいのだろうか?

デカルトは、旧教と新教のどちらが正しいかに決着をつけるのではなく、いっそキリスト教まるごとをプルドーザーで根こそぎにし、ゼロベースから思想を再構築することを提案した。それが「方法序説」という本だった。
なんと、この「方法序説」でもリュクールゴスの名前が登場する。

1人の人間がデザインした国家は、隅々まで同じ発想で貫かれていて美しい、それを成し遂げたリュクールゴスのように、私達の信じる思想や信仰も、一度根こそぎにして疑い、否定して。ゼロベースからデザインし直そうではないか、と。デカルトのこの提案は、合理主義の時代を招くことになった。

そして同時に、キリスト教の支配が大きく揺らぐことになった。デカルトの提案通り、すべてを疑い否定すると、キリスト教が本当に正しいのか、そもそも必要なのかという点にまで疑問が進む。デカルト以降、無神論者が目立つようになっていく。それは、デカルトの提案が大きく影響しているように思う。

デカルトからさらに250年ほど後に、ニーチェが現れる。デカルトの時代よりさらにキリスト教は弱体化していた。デカルトが思想の根本的再構築を提案してからというもの、キリスト教の弱体化はどんどん進行していた。ニーチェはその状況を「神は死んだ」と表現した。

神が死んだ時代に、一体どう生きればよいのか?それまでは神様にすがって、僧侶の言うことに従って生きていけばよかったのに、神様という指針がない時代、どう生きればよいというのか?ニーチェは人間を超えた人間、超人として生きよ、と提案した。

神様のいない時代に、自分が神であるかのごとく、超人として生きる。この超人思想は、ニーチェが死ぬのと入れ替わりのようにして生まれたヒットラーに受け継がれる。しかも、プラトンの提案した、国家を個人がデザインするという大胆極まりない発想をも組み合わせて。

ヒットラーは、神の如く振る舞う超人として振る舞い、ドイツという国を統べる、そしてドイツを根底からデザインし直す哲人でもあるかのように振る舞った。
ヒットラーは、プラトンの「国家は個人がデザインしうる」という発想、デカルトの神を殺す発想、ニーチェの超人として振る舞う発想、それらを受け継いだ。

なぜヒットラーは生まれたのか?哲学や思想の歴史の流れを眺めると、その発想が生まれた源流を突き止めることができる。その発想がなければそれは生まれ得ない、ということも理解できる。人間は思いついた発想の中でしか行動したり思考したりできないからだ。

ではヒットラーが生まれないようにする思想には、どんなものが必要なのか?そういうことも考えることができるようになる。世界のアップデートの方法が見えてくる。世界に起きたバグを修正するパッチはどんなものを当てればよいのかが察知できる。

そうした思想の流れ、世界がどうアップデートされてきたかの流れをつかむと、未来の方向性も見えてくる。こうしたことを、わかりやすく伝えてくれる本はなかなか見当たらない。そこで2月に発刊する本では、それをお伝えする内容を目指した。世界をアップデートする方法を、過去の哲人から学ぶ内容。

哲学者や思想家とは、それまで常識とされてきたものではうまくいかないことを見抜き、新たな常識を提案し、世界をアップデートしてきた人たち、と言える。そして世界は常にアップデートを必要としている。世界は今、混迷の時代にある。石油が尽きようとし、地球は温暖化を加速させている。

なのにエネルギー浪費の生活はやめられず、それを正当化するために地球温暖化に疑いを向けたりもする。なかなか行動や思考を改められない。私達はどう思考をアップデートすればよいのか?
そうしたことの必要性を大づかみできる本を目指した。2月発刊予定。

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