トップランナーよりボトムアッパー

「業界のトップランナー」という言葉をよく目にする。正直、私はあまり関心がない。もちろんトップを走り続けるには大変な努力が必要だと思う。才能も必要かもしれない。でも、それを真似ようとしたらしんどいし、そもそも才能がないと無理、というなら、私と無縁な話。参考にしようがない。

私がものすごく興味を惹かれるのは、「ボトムアッパー」(はい、たった今私が作った造語です)。才能がないと見なされていた人、育てても無理だろうと思われていた人たちが、それぞれに持てる力を発揮し始める。そういうボトムアップの活動をされている人に、強く強く魅力を感じる。

私はいくつかの幸運に恵まれて今があるが、その幸運がなければ、私はもちろん勉強しなかったし、努力しなかったし、社会で活躍することもなかっただろう。菲才の私がいささかでも活躍できたとするならば、それは幸運のおかげだといえる。

私は公立中学(しかも大阪市では成績がずいぶん悪い方だったらしい)で真ん中の成績でウロウロしていた。行ける高校がないよ!と言われても「それでいいよ、勉強嫌いだから」と答えるくらい。全然勉強する気がなかった。試験1週間前の部活がない時間はソフトボールとかして遊んでいた。

両親が経営していた店をたたんで、家にお金が1100円しかなかったとき、私は住んでいる賃貸マンションの大ガラスを割ってしまった。弁償に8万かかるという。「そんなお金ないよ」と母は泣き崩れる。私はどうしようもなくて、部屋の隅で座り込んでいた。

そしたら、なけなしのお金で父が私を喫茶店に連れ出した。そこで父は私に言った。「中学生のお前に8万円もの弁償は無理だ。今、仕事ができるのはお母さんしかいない。お母さんが何とかするしかない。そこで、お前はお母さんのためにできることをしなさい。これから5つ、話をする」。

「お前はちっとも家事をしない。弁償できない代わり、明日からは、掃除、洗濯、買い物、料理の下ごしらえは、全部お前がやりなさい」
「二つ目。家事をいいわけに部活をやめてはいけない。お前の年は体を作るのも大切。剣道は手抜きせずにがんばりなさい」

「三つ目。お前はあまり友達と遊ばない。けれど、友達というのはとても大切。誘われたら断らずに一緒に遊びなさい」
「四つ目。あまり根をつめて頑張りすぎても、心と体がもたない。きちんと休みを取りなさい。といっても、漫画やテレビをダラダラではなく、しっかり時間を決めて休みなさい」

「最後に五つ目。お前はちっとも勉強しない。でも今日からお父さんと机を並べて勉強しなさい。それでもし成績が上がったら、お母さん、何よりも喜ぶよ」

家族が大変な時にガラスを割ってしまった私は、責任を感じ、この5つをなるべく忠実に実行するようになった。これが勉強し始めるきっかけ。

まったく勉強しなかったのが勉強したら、そりゃ成績は上がる。最初は好きな理科しか勉強しなかったけど、理科が高得点取れ、頭打ちになると、他の教科も少し成績を上げたくなる。そうして成績が伸び始めた。しかし、明確な目標は当時、私にはなかった。

ここでもう一つ、私の人生を決める出来事が起きた。当時、どうしたわけか私と仲良くしてくれた友人がいた。彼は学年トップクラスの成績で、志望校はどこにでも進学出来た。他方、私は成績が伸びたとはいえ、真ん中より上に浮上してきた程度。ある日、その友人が暗い顔をして私に話しかけてきた。

「おれ、進学校に行けなくなった」。彼には母親と兄がいて、生活が苦しく、とても大学まで進学させるゆとりはない、だから高校を出て働いてほしい、そのためには就職に有利な工業高校に進んでほしい、と言われたという。その時、私の人生を変える一言が出た。

「俺の分まで勉強してくれ」
え!友人の分まで勉強するということは、東大でもどこでも好きなところに行ける成績にならなきゃいけないのか?この俺が?
でも、私には友人の悔しさ、つらさ、悲しさがよく分かった。その友人のバトンを受け取らないわけにいかなかった。

それからはもう必死。しかし当然ながら友人みたいな優秀な人間ではない私は、とてつもなく苦労した。友人なら楽々入れただろうトップ校には入れず、2番目の高校になんとか滑り込めた程度。それでも担任は危ぶんで、何度も受験を引き留めたほど、ぎりぎりだった。

友人の分まで頑張らねばならぬ。私は退路を断つため、高校に合格したその日、「京大を目指す」と宣言した。母は大笑い。「2番手の高校もギリギリだったのに!」まあ、その通り。しかし、友人の代わりを果たすなら、せめて京大にでも入らないといけないだろう、と考えた。

でも菲才の私では、人の3倍努力すると決めて取り組んだにもかかわらず、3回受験してようやく京大に合格。友人なら現役で合格したろうに、と思うと、申し訳なかった。しかも、私みたいな偏屈が進学出来て、人格のできた友人が進学できないって、世の中おかしくないか?

「トップランナー」は最高学歴を誇ったり、有名企業に就職したり、第一線で活躍したりしているのかもしれない。才能において、友人は「トップランナー」とひけをとらなかっただろう。しかしそのスタートラインにも立たせてもらえなかった。おかしくないか、という気持ちが強かった。

大学生になって塾を主宰するようになって、余計にその念が強くなった。私の塾は不良とか不登校とか、今でいえば学習障害の子とか、様々な問題を抱えている、偏差値50以下の子が多かった。それでも私より頭が悪いと思えた子は一人もいなかった。ただし、学ぶきっかけが彼らにはなかった。

私は彼らと同じか、それ以下のパフォーマンスしか発揮できない子どもだった。それがたまさか、幸運が重なって勉強する気になり、人生が変わった。しかしそれ以外に、彼らと私で何が違うのだろう?もし私が彼らと同じ境遇だったら、私は彼らよりもずっとパフォーマンスが悪かっただろう。

きっと、東大にだってどこにだって行けただろう友人の悔しさ、才能もないのにたまたま勉強する気になっただけの私、勉強する気になるきっかけもないままきた子どもたち。「トップランナー」よりも、この問題に取り組みたい。これが私の生涯のテーマになっている。

成績は底辺でも、その後、成績を劇的に上げた生徒を何人か見ることができた。ボトムアップって、面白い。世間的に言えば、この子はもはや箸にも棒にもかからないだろうと思われた子が、教師から大学進学を勧められるまでになる。そうしたケースも見てきた。

才能のある一人だけが育つ「トップランナー」より、たくさんの子どもが学ぶのを楽しみ、成長していくのを手助けする「ボトムアッパー」の方が、断然面白い。ああ、この人は「ボトムアッパー」だな、と思われる人がいたら、私はその人をくまなく観察し、なんとか真似たいと考えてきた。

私は部下育成本とか子育て本を書かせてもらった。それらを読んだ人はすぐ分かっていただけるだろうけれど、「トップランナーの育て方」は一つも書いていない。そんな方法を私は知らないし、そもそも興味がない。私が関心あるのは、目の前の子どもが、人が成長し、変わっていく姿を見ること。

実は才能があるのに、環境や運命がその成長を許さず、「才能なし」とレッテルを貼られている子どもは、人は、多いのではないか。私とその人たちに、何の違いがあろう?幸運があったかどうかだけではないか。そう思うと、その人たちを悲しませているつまらないものを全部取っ払いたい。

「ボトムアッパー」がたくさんいる世の中になってほしいな、と思う。ちょっとしたことで悲しい思いをする羽目になった人のその障害を取り除くことで、その人は悲しまずに済むかもしれない。才能を開花させるかもしれない。笑顔になるかもしれない。そんな風に考えて人に接する人。

人間は学ぶことが大好き。働くことが大好き。だけど、それができなくなる何かがある。それは何なのか。それを取り除くにはどうしたらいいのか。笑顔でいられるにはどうしたらいいのか。それを考え続ける、ボトムアッパーが増えることを祈る。

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