競争するなら大人が負けてみせること

私は競争原理に批判的。トップの人間以外の、大半の人間の意欲を削ぎ、劣等感を与えて無気力に導くことがほとんどで、集団としての活力はむしろ奪われるから。
ただ、人間には競争心があるのも確か。そこで私は「負ける」ことにより意欲を刺激する、ということはよくやっている。

今年は息子にとって初めての大峯山。私も小学5年生で初めて登った。その時のリュックの重さは4キロ。息子は少し負荷をかけて5.5キロ。「お父さんを超える!」と意気込んで登った。
初日こそ加減が分からず、緊張もあってヘバったようだが、二日目以降は弾むように登っていった。三日目は走っていた。

かたや私は、23キロの大荷物を担いでいるとはいえ、登りはヒイヒイ、下りはイテーイテーと言いながら、苦心惨憺して登り降り。その様子を見て、息子は自分の体力に自信を持ったようだ。下山後も走り回っていた。父親よりも体力が勝る部分がある!という自信がついたのだろう。

息子はそろばん塾に通っている。そこには日本一になったような子もいて、そんな子と比較をしたらやる気を失いかねない。だからそんな子とは比較を一切していない。ただ、息子は子どもの頃の私とよく競っている。私は中学三年生になるまでそろばんを続けて、結局そろばんも暗算も4級どまり。

息子は暗算で3級。そろばんはすでに4級になって私と並び、現在、3級になろうと練習。「お父さんを超える!」と燃えている。息子にとって、子供の頃の私に勝つことは、とても嬉しいことらしい。だから私は「くそ〜、負けたー!」と言って悔しがる。息子は嬉しそう。

子どもにとって親は、古代の昔から生き続けた妖怪、モンスター。力も強いしいろんなことも知っている。太刀打ちできないように思う存在だろう。けれどそんな大人でも、子どもの頃は自分とチョボチョボだったと聞くと、「子どもの頃の親に勝てば、今の親を将来超えられるかも?」と思うらしい。

息子も娘も字が上手。字がいまだにヘタだと言われる私からしたら感心しきり。すると子どもたちはますます意欲的に字をきれいに書こうとする。一、二年ほど前から「パパッと書いた割にはずいぶん上手に書けてるね」と声をかけるようにしたら、速くきれいに書くように。もはや私は太刀打ちできない。

子育てにおいて、子どもに「負ける」ことはとても大切なもののように思う。子どもがほんの少し背伸びしたら「親を抜かせる」と思えるような話をすると、勢い込んで取り組み、あっさり抜き去る。それに私もYouMeさんも驚き、負けた!と悔しがりつつ、喜んでいる。

そう。教育に競争原理をもし持ち込むのなら、大人が「負けてみせる」のがとても有効だと思う。いくら努力しても勝てないのでは無気力になるが、「これは少し努力すれば勝てるかも」という勝負なら、俄然燃える。人間心理のそうした部分を突くのに、大人が負けてみせるというのはとても大切だと思う。

その際、気をつけてるのは「負ける」ものを探すこと。大人である今の私は文字ばかりの難しい本を読んでいる。そんな現在の大人と比べたら、子どもはやる気をなくしてしまう。しかし私の子どもの頃と比べたら。「お前の年で、そんな字ばかりの本をよく読めるよなあ」と言うと、子どもはどこか誇らしげ。

子どもの頃の自分より優れているところがあれば、それを伝える。「負けた」と。そうして、親は少しずつ子どもに負けていくのが大切なのだと思う。すると子どもは、いつか全てにおいて親を超えてやる、と願うようになるのだと思う。

そのためか、うちの子は二人とも、私の子どもの頃をはるかに凌駕する。何より意欲が強い。だから貪欲に力をつけていく。しかも楽しみながら。
「ま、慌てなくていいよ。お父さんもお前の頃はできなかったんだから」と言うと、むしろやり遂げたくなるらしい。子どもはホンにアマノジャク。

追伸。
一つ懸念があるとすれば、子どもたちが成人し、いつか親になったとき、子どもに対して「負ける」ことができるかどうか。優等生だった親の子どもが受験を考える頃になるとパッとしないことがあるのは、そのためかも、と感じる。親が優等生だと子どもは勝てない。それでやる気をなくしてしまう。

我が子たちはよくできるが故に、大人になり、親になったとき、子どもに「負けてみせる」ができるかどうか。それは、子どもたちが大人になったとき、よくよく考えなければならないことのように思う。

私は、人の意欲をどう刺激し、成長させればよいかという点に関しては、「こうしたらよいのでは?」という仮説を持てるようにはなった。けれど、指導者をどう育てたらよいかという点についてはまだまだ。「勝つ」ことで自分の能力を高めた人間はしばしば、人を育てる立場になっても勝とうとする。

子どもの頃、優等生だった人は「お父さんが子どもの頃は」「お母さんがあなたの頃は」と自慢をし、「だからあなたも私を見習って頑張りなさい」とやる。優等生の親はハードルが高すぎて、子どもは勝てる気がしなくなる。特に点数が出る小学生、成績順が出る中学以降だとなおさら、やる気を失う。

「名選手、必ずしも名監督ならず」と言うように、「優等生、必ずしも優等生の親ならず」。優等生できた人は、親になっても負けることができず、子どもに勝とうとしてしまう。
我が子が「負ける」ことの大切さをどうやって学ぶか。今から私は考えておきたいと思っている。

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