自分の存在価値を高めるより、他人に驚く

自分の存在を認めてもらうため、面白いこと言わなきゃ、とか、良いコメント返さなきゃ、と書いてる人がいた。私も若い頃はそう考えていた。自分の存在価値を高めることで他人に認めてもらわなきゃ、と。
年をとって考え方が変わった。自分に何の価値がなくてもいい。立派になんかならなくてもいい。

それよりも人の価値を認めること。相手に驚き、面白がること。そちらのほうが大切だと思うようになった。
ずい分前、ツイッターに投稿された四コママンガだったと思うけど。若い女性が老夫婦宅を訪問。そこのおじいさんは「ありゃ、これは魅力的な人が来た」と驚き。

話の一つ一つに驚きの声を上げ、感動し、喜んだ。オチは「この人のヨメになりたい・・・」だった。
別に大げさに驚く必要はない。「ほう!」「へえ!」「なるほど!」「そうだったのか!」と、軽く驚きの声を上げるリアクションをしているだけで、相手はたいがい「この人いい人だ」と思ってくれる。

YouMeさんは初めて訪れる公園ですぐに子どもたちから懐かれ、その親御さんらと歓談が始まる。様子を見ていると、驚いている。我が子に語りかけるように「うわ!あのお兄ちゃん足速いねえ!」「あのお姉ちゃん、あんな高いところに登ってるよ」と、驚きの声を上げる。

すると子どもらは「僕、こんなことできるよ!」「私はねえ!」と猛烈アピールするようになる。YouMeさんがすごいすごいと驚くと、ますますハッスル。やがてその子らがYouMeさんの連れてきた子どもを見て「その子、おばちゃんの子ども?」と聞いてくる。「そうなの、一緒に遊んでくれる?」

子どもたちは「いいよ!」と遊んでくれる。「うわあ、お兄ちゃん、優しいねえ」「あら、お姉ちゃんがオモチャ貸してくれるって!ありがとう!」と、驚けば驚くほど世話してくれる。その世話してくれる優しさにYouMeさんはますます驚く。するとその子らの親御さんが近づいてくる。

我が子が他所の子の面倒を見るなんて珍しい、と思って近づくと、YouMeさんは「優しいお子さんですねえ!」と素直に驚く。するとお母さんもすっかり気を許し、地域のお得な情報を教えてくれたり。それにさらに驚いたり。

自分が立派になろう、すごい存在になろうとする必要なんかなくて、自分の隣人のちょっとした優しさ、気遣い、工夫、違い、それらに驚きの声を上げ、喜び、面白がっていればよいのだと思う。すると子どもも大人も、たいがい心を開いてくれる。

驚くという行為は、心を開いたと感じさせる行為だからなのかもしれない。また、人間は「驚かせたい」生き物だからなのかもしれない。だから驚いてくれる人を見つけると、その人を離したくなくなるのかもしれない。

人から愛されたいなら、相手に驚けばよいように思う。自分を立派に見せる必要はない。自分の存在価値を相手に認めさせようとする必要もない。それよりは相手に驚き、喜ぶこと。その方がはるかに人と仲良くなれる気がする。

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