銀行に預けたお金は「死に金」?

この記事をまとめたら、複数の人から、銀行への貯金は死に金、投資は生き金、というような指摘があった。銀行での貯金が死に金、という指摘は興味深い。銀行自体が投資機関だからだ。なのになぜ、貯金は悪ととらえられるのか?

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一般人が直接株などの金融商品を購入することを直接金融、銀行に貯金し、銀行がその貯金を元手に企業に投資するのを間接金融と言う。今の若い人には想像しづらいかもしれないが、戦後昭和の日本は銀行からの投資の全盛時代、つまり間接金融全盛の時代だった。

戦後昭和の国民はよく働き、稼ぎを銀行に預けた。当時は利息(公定歩合)が高く、定額貯金なら、10年預ければ貯金が二倍になるほどだった。銀行に預けるのは、安全なうえに割の良い「投資」でもあった。銀行は巨額な貯金を元手に大企業などに投資し、儲けることができた。

しかし、日本経済のあまりの経済発展ぶりに、アメリカから目をつけられる。日本は当時、アメリカに家電や自動車を売りまくり、アメリカの一方的な貿易赤字になっていた。日本は売るばかりでなく買う側になれ、と強く要求された。その時、指針になったのが「前川レポート」だった。

前川レポートは、その後の日本経済の指針となったものだ。それまで貿易で売りまくり、儲けまくり、しかし支出は抑えて、という経済だったのを、日本も海外から物を買いましょう、内需主導型の経済に変えましょう、という方針に切り替わった。

そして、バブル発生。国はそれまで国有企業だったNTTの株を販売した。これが売り出し直後から値上がりに次ぐ値上がり。これで一気に株式ブームが訪れた。それまで、株に手を出すのはバクチと一緒、という認識だったのが、日本で株式投資が根付くきっかけとなった。

バブルでは、土地の値上がりも急激だった。銀行は土地を担保にすれば、いくらでもお金を貸した。それがまた土地の値上がりを促す効果が出た。バブル経済が結果的に、間接金融の機能不全を招くことになった。

バブル潰しのため、日銀総裁に三重野氏が就任。土地などの不動産への投資を一定以上禁ずる総量規制が始まるなど、様々な対策により、バブル崩壊。この時、日本中に大量の不良債権が発生した。日本の銀行は、この不良債権に苦しむようになった。

総量規制がなくなっても、土地や不動産が売れない。土地が大幅に値下がりし、それでも誰も買おうとしなかった。銀行は、担保価値のない土地など不良債権を大量に抱えることになり、経営が苦しくなってきた。不良債権で発生する損失の穴埋めに忙しく、企業にお金を貸す余力を失っていった。

BIS規制が、日本の銀行がかつてのように機能できなくなる大きな足かせとなった。銀行というのは、市民から預かっている貯金の額の10倍以上のお金を企業に貸し出したりしている。本当は100億円しか預貯金がないのに、企業には1000億円貸し出したりする(信用創造と言う)。

ところが日本の銀行はある意味無茶苦茶で、預貯金の20倍くらい貸し出したりしていた。預貯金など、「本当にあるお金」を、貸出総額で割った数字を自己資本比率と言うけれど、日本の銀行はこの自己資本比率が無茶苦茶低かった。預貯金以上にべらぼうに企業に貸し出していた。

これができたのは、大蔵省(のちの財務省)が銀行を潰さないよう、慎重に見張り、必要な支援も怠らなかったからだ。だから銀行は企業に大量の投資を行い、企業は潤沢な資金を手に入れることができた。間接金融が日本で大成功したのは、自己資本比率をあまり気にしなくてよかったからだ。

ところがBIS規制という国際的な取り決めで、自己資本比率を一定以上保たなければ、国際取引ができなくなった。それはそれで銀行は大いに困る。銀行は自己資本比率を高める必要が出た。しかし貯金は増えない。となると、企業への貸し出しを減らすしかない。

これにより、「貸し渋り」が起きるようになった。企業は新しい工場を建てたいのに、銀行からお金を借りることができない。それどころか、「貸していた金を返せ」と返済ばかり求められ、返済しても新たな資金を貸してくれなくなった。

企業はやむなく、「内部留保」をするようになった。銀行からお金を借りられないなら、企業内でお金を貯めておいて、それで工場を建てるなどの資金をまかなわなくては、と。

実は、戦後日本では、内部留保には税金がかかっていた。企業は「税金でとられるくらいなら」と、従業員の給料に使っていた。しかし「銀行がお金貸してくれないんだもん、内部留保許してよ」ということで、内部留保に税金がかからなくなった。結果、従業員は給料が増えない一因にもなった。

もう一つ、銀行を苦しめたものがある。超低金利。バブル崩壊以降、日本政府は何度も景気をよくしようと、金利を引き下げた。金利を下げれば企業がお金を借りやすくなり、工場を作ったりなどの投資が盛んになるから、という考えだった。しかし。

金利が下がっても、不良債権をたくさん抱えていて、銀行はその損失の穴埋めに体力を奪われていた。しかもBIS規制で自己資本比率を守らねばならなくなり、むしろ貸し出しを減らさねばならなくなっていた。貸したくても貸せない中で低金利になれば、ただ貸した金の金利が下がるだけ。

つまり、銀行の儲けが小さくなるだけだった。

不良債権問題、BIS規制によって貸出総額を減らさざるを得なくなったこと、低金利の三つが、銀行の体力を奪った。

不良債権は、2000年代前半でなんとかメドがついた。しかし、その時には、企業は銀行からお金を借りようとしなくなっていた。

内部留保があったからだ。借りたら金利をつけてお金を返さなければならないが、内部留保のお金なら、金利を支払わずに済む。銀行がお金を貸したくても、お金を借りてくれる企業、特に大企業がお金を借りてくれなくなり始めた。

そうこうするうちに、低金利どころか超低金利、ついにはゼロ金利になった。これは銀行の死活問題。銀行はお金を貸し、貸したお金に金利をつけて返してもらうことで成り立つ商売。1億円貸しても金利が10万円にしかならないなら、1億円貸し倒れのリスクに対して、見返りが小さすぎる。

銀行という仕事は、ある程度の金利をもらわないと成り立たない商売。金利が高すぎると、企業が借りなくなるので銀行は儲からないが、ゼロ金利みたいに超低金利だと、貸せば貸し倒れになって、金利がついても雀の涙にしかならないなら、銀行は怖くてお金を貸せなくなる。妥当な金利というのがある。

ゼロ金利は、間接金融を機能マヒに陥らせる方法だと言える。ではなぜゼロ金利にする必要があるのか?金利が安ければ企業がお金を借りたがるだろう、という建前だけど、肝心の銀行が怖くて貸したがらなくなる。それでも続けるのは、日本の財政赤字が巨額過ぎるからだ。

金利が少しでも上がれば、1000兆円にも上る日本の国債の利払いがはねあがり、国家財政を破綻に追い込みかねない。それが表面化しないよう、ゼロ金利、あるいは超低金利を続けざるを得なくなっている。しかしそのために、間接金融が機能できなくなっている。

銀行への貯金は本来、銀行が投資機関なのだから、間接的とはいえ立派な投資の一種だった。しかしゼロ金利が続く以上、銀行は企業への貸し出し業務を行う機関としては死に体にならざるを得ない。

私は、間接金融をもう一度復活させる道を探った方が良いように思う。間接金融の利点は、銀行自身が投資の目利きとなる点だ。どこの企業にお金を貸せば、着実に金利を払ってもらえそうか、目利きをしてくれる。貯金を預ける預金者は、目利きまでしなくてよい。ただまじめに働けばよい。

しかし間接金融ではなく、市民が直接株などを買う直接金融の場合、自らが目利きとなり、勉強しなくてはならない。株価の上下で一喜一憂し、気が気でなくなる。値下がりすれば、仕事も手につかなくなる。労働への弊害が小さくない。

また、間接金融なら、銀行に行ってお金をおろすだけで現金を手にできる。しかし株を現金化するのは少々手間で、しかもタイミング次第では大損しかねない。おいそれと現金化するわけにいかない。となると、持ち金全部を株に投資するわけにいかない。すぐに現金化しなくてよい余分の分だけになる。

預貯金が少なく、働くだけでも大変な人にとって、間接金融はいろいろありがたい。間接金融が投資としての機能を取り戻せば、労働者はただコツコツ働けばよいことになる。株の上下で青ざめたり絶望したりせずに済む。このメリットは決して小さくない。

しかし、間接金融、すなわち銀行を元気にするには、金利の正常化が欠かせない。しかし金利を正常化すれば、国家財政が破綻する。少なくとも今の財政ルールではそうなる。だから金利を正常化できない。自縄自縛に陥っていると言える。

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