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儚い推しへの愛

うつを患っていると、気力や体力が落ちる。そして酷くなると何もやる気が起きず、もっと酷くなると何にも興味が持てなくなる。
今でも思い出すのが、うつ一年目、気晴らしに出掛けたCDショップの、あの灰色の光景。好奇心は猫を殺す、と言われているが、好奇心を失った人間はほぼ死んだようなものだ、と悟った。
うつが寛解期に入っても、あのショックから逃れられず、私は何かに夢中になるのを極力避けた。
元から急に夢中になったかと思えばすぐ冷める性格なら、ここまで悩む必要はなかったのであろう。私は好きになったら結構長く追いかけるタイプだった。
今、何かを好きになろうとしても、フラッシュバックであの光景が蘇り、どうしても二の足を踏んでしまう。

加齢もあるし、家庭事情にも関係する。
今が生理一週間前だからかもしれない。
私は何かに夢中になれない自分が怖くてたまらない。
そして今、失業保険給付金でしのいでいるこの生活で、
何かに夢中になることへの罪悪感もある。

昨年の6月から7月にかけて、髪型を変えよう!服を買おう!そうだ、母が今ガチャフィギュアでディスプレイして遊んでたから自分もやってみよう!
でかなりの散財をし(主にガチャフィギュア)、せっかく貯めた30万があっという間に20万弱まで消えた。
8月から欠勤が続き、9月から2か月、休職を勧められると知っていたら、こんなことはしなかったであろう。

今思えば、あれはストレスの前兆だったのかも知れない。7月からはかかりつけの心療内科クリニックだけじゃなく、婦人科、別の心療内科にも行ってたので、医療費もかかった。

勢い余って買ったWACOMの液タブとCLIP STUDIOは一度か二度使ったきり、今は全く触っていない。最近液タブを箱にしまった。
ポケモンSVもしばらくやっていない。

買い物依存所ではない。ただ何かに夢中になりたかった。
だが、あれだけ夢中になっていた対象が色褪せて見え、徐々に興味を失っていく様を体験するのは嫌だった。
これは今でも治らない。私は何かに夢中になること、そしてそれを失うことに、常に怯えていた。

毎年いつも、来年の今頃何やってるんだろう、というのが想像つかなかった。いつ気分の変調で落ちるのかが分からなかったので、予定も立てられなかった。ライブなんてもう20年以上行ってない。

自分の意志で見切りをつける分にはまだいいが、自分の意志とは関係なく熱が覚めるのを感じた時、ものすごい罪悪感に陥った。
別に対象が何とも思っていないのは分かるのだが、自分自身が嫌だった。
すぐに冷める自分が嫌で嫌で仕方が無かった。

最近、昔から愛読している山田詠美の書籍を読んだのだが、面白かった。
見方は変われど、昔からの熱量のまま楽しむことが出来た。
どういうわけか、うつ前からかなり好きだったものに対しては平気らしい。
新規開拓が難しくなってきたのだなあ、と思った。

読書、音楽は飽きることが無かった。多分余程うつが悪化しない限り、この趣味は続けられるであろう。うつになる前から夢中になっていたものは、自分の中で基盤が出来ているのか、すんなり受け入れられるし、手に付かない時はあれど飽きることはなかった。おそらく、自分にとって、それまで日常の中で当たり前のように存在していたからかも知れない。

絵が描けなくなったのはショックだった。
幼少の頃から描き続け、仕事にしたいほど好きだったし、趣味で描くのも大好きだった。
趣味に振ろうと思った矢先にうつになり、寛解した今でも、趣味で描くことはなかった。何を描きたいのか、まるで構図が思い浮かばなかった。
昔は、これ描きたい、と思ったら何時間もぶっ通しで描いてたものなのにな。
今応援してるVtuberのファンアートも描く気力も湧いてこない。ただTLに流れてくる素敵な絵をいいねする日々だ。自分もあそこに参加したいと思っても、もう無理だと思う。

昔出来てたことが今は出来ない。このショックは後天的に障害者になった人が皆一様に思う事であろう。シェフとして腕を振るっていた昔の同僚が、半身不随になり、屋上から飛び降りようとした、というのも聞いた。
体力に自慢のある人間から体の動きを奪い、絵を描きたい人間から好奇心や夢中になることを奪う。
狙ってやってんのか、てくらい見事にその人の誇りや実績の要になったものを奪っていくもんだ。昔出来てたのに…と思いを馳せても仕方がないのだ。これから先の事を考えたら、「あの頃は良かったなあ」なんて死んでも口にしたくなかった。

今、こうしてnoteに記事を書いてるのは、絵が描けない代わりに文字を書こう、という欲求から来てるのかもしれない。形は違えど、何かを描く(書く)という欲求だけは消えなかったようだ。こうやって簡単に会員登録して、書いて、ネット上で記録を残して、表に出せる。便利な時代になったなあ。
その証拠に、私はほぼ毎日ここで何かを書いていた。“おめでとうございます!○日連続投稿です!”の通知を見て、そんなにやってたか、と自分でも驚いた。

自分の心の整理のつもりで書いたつもりが、今では何か書けるものはないかと常に考えながら過ごしている。
病人の心情を語っても遠慮しなくて済む、というのも大きい。

しばらくは、こいつを趣味として楽しもうと思う。



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