見出し画像

うつってどういう病気なんすか

仕事のストレスによりうつになって1年目は本当に地獄の日々だった。
夜が眠れなくなる。朝に眠気が来る。仕事を休む。
親に「真面目に働け」と怒られる。
無理して出勤して、仕事中に号泣して早退する。
家に帰るのが怖くて適当な場所で時間をつぶす。
微々たる給料で病院に通い、診察台と薬代でお金が飛ぶ。
ぼったくりの胃腸科に1か月1万円かかって診察を受けたこともある。
キャッシングで現金を借り、2度の限度額を迎える。
親に返済を頼み、また怒られる。
食欲はないが、異様に甘いものが欲しくなり、過食で20キロ増える。
「働く気が無いなら死んでくれ」と親に言われたこともある。
外に出る気力もなく、ベッドの上でずっと
「早く死にたい」「消えてなくなりたい」と願う。
大型施設の職場の屋上で休憩中
「この高さなら死ねそうにないな」とか考える。
死ぬことしか考えてなかった。いっそ地球滅亡しろとも思った。

一度、気晴らしでいつも通ってたCDショップに足を運んだ。
とたんに違和感を覚えた。
何が何だかさっぱり分からない、という感覚。
好きだったミュージシャンのCDが分からない、何が欲しいのかも分からない。うつになる前は、行けば必ず何か良さげなCDに出会い、視聴したり買ったりしたものだ。いつ行っても胸が躍りだし、わくわくが止まらず、全てがキラキラして見えた。
うつになった私には、それらが灰色がかった単調な景色でしかなかった。
好奇心を完全に失っていた。近くのドリンクスペースで泣きながら痛感した。

毎日死ぬことしか考えてなかった、とでも過言ではなかったあの頃、一冊の本が目に留まった。

雨宮処凛 『自殺のコスト』Amazon.co.jp: 自殺のコスト 電子書籍: 雨宮 処凛: Kindleストア

“死んでから後悔しても遅すぎる”という強烈な帯のフレーズ。数ページ立ち読みして購入した。
コスト、と記載してるだけあって、この自殺方法にはコストがこれくらいかかる、といった内容を、実話とともに紹介。そして自殺してからのコスト(生命保険、損害賠償など)、自殺に失敗した実例も紹介しており、なかなか説得力があり、何故かポップに読めてしまう著書である。
人の命に値段なんか付けられない!と言いつつ、実際は個人差で値段を付けられてしまう世知辛い世の中。自殺してなお、報われない事実。

この本を読むと「自殺するのが馬鹿らしくなる」という効能を持つ。
少なくとも私はそう思った。自殺しても救われないのか。
ある意味、何の救いもないが、頭によぎったのは両親の姿。
「死ね」と暴言を吐きつつも、私が死んだら絶対に悲しむ。決して仲の悪かった家庭ではなく、ごく普通の愛情を受けて私は育ったのだ。
そして、葬儀屋で働いてた弟の言葉も思い出した。
「一番つらい葬儀は自殺。悲しんでる遺族を見てられない」と。

困った。死にたいのに死ねない。自分が死ぬのは構わないが、親が泣くのは耐えられない。

「死にたい」と「死ねない」の間を彷徨いながら、あたり一面灰色がかった暗く平坦な風景の中、ただベッドに横たわる日々。いっそ自然死出来たらば、と思ったがそんな年齢でもなく、どす黒い塊を内に抱えたまま日々をやり過ごしていた。

それから数年、薬が効き始め、何とか眠れるようになり、出勤もわずかの時間ながら出来るようになったものの、以前のような働き方は出来ず、体調も崩しがち、勤務5年目で当時の店長に
「このまま続けてたらあなたは死ぬ。会社はあなたの人生までは助けられない」と言われ、退職した。

その後は失業保険を貰いながら休養を努め、一般企業ではなく、就労継続支援A型に勤務。ストレスと戦いながら7年勤めたが、薬の飲み過ぎによる副作用が身体に及び、休職を勧められたのち、退職。2024年現在は失業保険を貰いながら休養をしている。今年から就労移行支援に通う予定である。
雇用ではないので給料は発生しないが、一度じっくり、改めて自分の病気と向き合い、向いている職を探しながら、訓練を受けるつもりだ。

発病から10数年が経ち、両親も私の病気に理解を示してくれるようになった。怒られることもなく、しんどかったら休んだら?と声をかけてくれる。
発病して1年目からは想像がつかないぐらい、家の居心地が良くなった。
母親が子宮体がんになった時は、重い腰を上げて遠方の神社まで行き、病気全快のお守りを買っていき、入院中の母親に渡した。
治療は上手くいき、退院したが、体力は落ちたそうで、横になることが多い母。それを父が支え、家事の手伝いを行っている。
いやお前がやれよ、と自分でも思うが、それが父のルーティンになってるようで、邪魔するのも悪いな、と遠慮して自分の休養に努める。
今現在、自殺をしようという気はない。せめて両親を見届けるまでは生きていたい。幸い両親は若くに結婚して私を産んだので、両親ともに元気に動けるのだが、いつ何か起きるか分からない、その時に何かがしたい、出来る様になりたい、そう思いながら今を生きている。

あの時、あの本が無かったら、自殺を馬鹿らしいと思うことがなかったら、きっと私は自殺をしていた。それくらい精神的に追い込まれていた。
私を具体的に止めてくれたのは、公共の場で自殺をした時の損害賠償、遺体の処理、自殺に失敗した時の後遺症だ。働かず生きようが死のうが結局、両親に迷惑が掛かるのだ。両親が死ぬほど嫌いで憎くて仕方が無かったら逆に迷惑かけてやるか、ぐらいの気持ちで自殺してたかもしれないが、私は両親に恵まれて育った子だ。それぐらいなら、辛いけど自分が死ぬ気で動いた方がまだいいか、と思った。

結果的に時間が解決し、浮き沈みはあったものの、こうして文章が書けるぐらいには落ち着いている。

あの時、本当に自殺しなくて良かった、と心から思っている。
私のとって、あの本は私の転機だった。読書家だった私がうつになり、まったく文字が受け付けなかったにも関わらず、あの本だけは最後までスッと読めた。

人生、何がきっかけになるか分からんもんやな、と思った。

P.S うつになって気付けたことがありました!うつになって良かった!みたいなポジティブな表現を使う人を私は好まない。うつなんかならんに越したことないわい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?