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父になり7年が過ぎた。

この間、娘が7才になった。

イコール私が父になって7年経過したということになる。

こどもと一緒に過ごせる期間は、幼稚園卒業で30%。小学校卒業で55%くらい経過することになるらしい。そう考えるとなかなか切ない。

自己評価としては、自分なりに頑張ってはいるものの、父親としての偏差値は低い。

体力はそんなにないのに、興味は散乱している。

故に、家族に対して投入している時間がまず少ない。家事や遊びや教育のスキルも低い。いわゆる量も質も足りていないというわかりやすい理由。

結果的に、自分のために使ってる時間が多いんですね。

体力面でいうと最近気づいた事があって、年齢を重ねるメリットとしてはリソースゲージが機械的に計算できること。

若い時って、なんかよくわからない底力というか、計算できない余力があって頑張りが無限にできたりする。シンプルに躯体が新しいということや、未来の自分からのエネルギー前借り。みたいな事でとりあえず計算できない元気があった。過信、自惚れは体力というジャンルにも混在し、それを若さというのだろう。

今は疲れたら疲れるし、やりすぎるとリカバリーに時間がかかる。計算通りに。
想定と結果の精度がかなり高い。

しかも読書。運転。歩く。などなど、今まで体力消費にカウントしてなかった活動までもがしっかりと体力を削っていく。優秀。

感じが良いとか悪いとか、性格がいいとか悪いとか、いい人悪い人、強い人弱い人、これら全て体力の問題と言ってる人がいて同意している。

結論、体力があればいい人にもなれるし、強い人にもなれる。

解決策としての現実解は、体力のポテンシャルを上げるという可能性にあると考えていて、結果的にこの辺も時間を食われるので、興味の散乱というボトルネックに辿り着く。そして自分のために使ってる時間が多い。問題にループする。

話戻すと、体力のリソースの割り振りが自分に向いてるというところが、私の父として自己評価の低いところとなる。

父でいさせてくれてありがとう。

付き合ってくれている妻や娘に感謝である。

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