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KabuK Styleを卒業し、新たな挑戦の幕開け

突然ですが、私、2022年7月末をもって、旅のサブスク『HafH』を手掛ける株式会社KabuK Styleを卒業することにいたしました!

在職中は、社内外の皆様に大変お世話になりました。
特に、一緒に働いていたCrew(KabuK Styleでは同僚のことをCrewと呼び合ってます)のみんなには感謝の気持ちしかありません。プライベートでもたくさん、一緒にご飯食べたり、遊びや旅行に行ったりもして、仕事仲間と本音で語り合う関係性を築くことができたことを幸せに思ってます。
また、勢いのあるスタートアップで人事・組織開発部門の執行役員という重要なポジションを任せて頂いたことも、長い人生の中で大変貴重な経験だったと考えております。

今後は、進む方向を大きく変えて、この春から趣味の一環で始めたアートの勉強に基礎から取り組んでみたいと考えており、フルコミットで絵の修行をしていくことにしました!🎨👨‍🎨

以下、少し長くなりますが私がKabuK Styleでこれまで歩んできた道、これから歩もうとしている道についてお話しできればと考えております。
興味のある方は是非読み進めていただければ幸いです👉

KabuK Styleとの出会い

思い返せば、今から4年前の2018年夏、出張に行こうと早朝、羽田空港にて偶然再会した大瀬良亮(以下、亮さん)との出会いが、KabuK StyleにJoinする最初のキッカケでした。亮さんと私は同じ大学・学部・ゼミの先輩後輩関係で、偶然再会した際の何気ない雑談で、当時『HafH』という名前もまだ無い状態で創業間もないKabuK Styleという会社のことを知りました。
当時、新卒から10年以上勤めていた会社に閉塞感を感じていた私は、亮さんの話から『あ、これ絶対面白いヤツだ!!』ということが直感的に一瞬でわかりました。
そして、翌週にはKabuK Styleの会合に顔を出すようになり、しばらくして気がづいたら新卒から一度も転職せず働いてきた会社を退職し、KabuK StyleにJoinをしていました。

それまでも転職活動は何度かしようと試みましたが、魅力的な会社に出会えず消極的で且つ無難な選択として現職を続けるという道を選んできた自分にとって、決断してからのアクションは自分でも驚くほど素早かったです。

家の本棚から出てきた、HafH創業当時のパンフレット

当初は、今みたいにHafHが『旅』のサービスに振り切る前で、『住む・働く・旅をする』という異なる文脈のサービスがシームレスに提供できるのではないか、それをどう実現させていくか、ということを考えており、私は10年以上仕事をしてきた不動産というリアルの場づくりをするという立ち位置で、全国各地にHafHの直営拠点を作るというミッションに向き合っていました。

私が企画開発を担当したHafH Goto The Pier
私が企画開発を担当したHafH Fukuoka THE LIFE

自分のキャリアを思い切って手放す決断

おかげさまで、長崎・福岡で実際にOpenまで漕ぎつけることができた直営拠点もありましたが、2020年からの世界的な感染症による経済情勢不安の余波を受け、当時計画中だった熊本と別府でのプロジェクトは白紙撤回となってしまいました。
それまで毎日忙しく仕事をしていた日々でしたが、突然目の前からやるべき仕事がなくなってしまいました。
自分の専門性を活かせる仕事が出来ない状況に、戸惑い、当時はその活路をKabuK Styleの社外に見出し、KabuK Styleに席を置きつつもダブルワーカーとして不動産コンサル会社で働いてみたりもしました。しかしながら、自分の専門を活かせる仕事をしても、自分自身の仕事に対するスタンスに悶々としてしまっておりました。
そんな状況に転機が訪れたのは、またしても亮さんとの会話でした。それはちょうど、今後KabuK Styleでの仕事をどうしていくべきか、そんな悩みを聞いてもらっていた時です。

亮さん「不動産の仕事は一旦傍に置いて、しんたろーはどんなことをしている時が充実しているの?」
私「人と話している時ですね!」
亮さん「それができる仕事ってなんだと思う?」
私「・・・人事、とかですかね?」
亮さん「じゃあ、それやっちゃいなよ!」

・・・こんなやりとりをしたことが、CEOの砂田憲治(以下、KJ)の耳に入り、当時人事部門が存在しなかったKabuK Styleをこれから拡大していくにあたって、人事と組織開発を担う役割を担わないか、という打診が入りました。

この打診をKJからもらった時に、『不動産』というこれまで築いてきたキャリアにしがみ付いているから、自分がワクワクできる新しいチャレンジをすることができないということに気づけ、思い切ってそれまで築いてきたキャリアを手放し、人事という全く未経験の領域の仕事をする覚悟をしました。
それに伴い、ダブルワーク先の不動産コンサル会社での仕事は終了させ、ここからKabuK Styleで人事・組織開発を担う仕事が幕開けしました。

コーチングとの出会い

人事の仕事をやるぞ!と腹を括ったものの、全くの未経験で且つ、会社の中に人事部門が既にあった訳でもなく、知見が豊富な社内Crewもいない状況からのスタートだったので、まさに暗闇で手探りの状態からの出発でした。
まず私がやったのは、とりあえず人に聞きまくる!という戦略でした。人事経験者や人材系の業界で働いている人がいたら手当たり次第に、相談しまくりました。この文章を読んでいる人の中にも、もしかしたら当時私が相談した方もいらっしゃるかもしれません。

そんな折、棚橋浩之(以下、ひろ君)と偶然、博多の居酒屋で居合わせ、仲良くなり、その際にひろ君から、コーチングという概念を教わりました。その話を聞いた時、またしても『あ、これ絶対学んだ方が良いやつだ!!』ということが直感的に一瞬でわかりました。
ひろ君に相談を重ね、最終的にはひろ君も学んだZaPASSで勉強をすることにしました。(ここら辺の話は、長くなりますし、ZaPASSにインタビューしてもらった記事があるので、よければそちらをご一読ください。)

コーチングもどうせ学ぶなら、プロコーチになるレベルまで徹底的に学んでやろう!💪という意気込みで本気で学びにかかりました。
結果、学び始めてから1年後の2022年6月にZaPASSのプロコーチ認定試験に合格しました🌸

また、おかげ様で人事・組織開発に明るいメンター的な方々も見つかり、暗中模索の状況から少しずつ、自分なりの、KabuK Styleという組織に相応しい、人事・組織開発という仕事のやり方が見えてきました。

人と組織に向き合う日々

人事の仕事をする上で、私が特に拘った仕事の流儀は、地道にCrew一人ひとりの声に耳を傾け、対話をするということでした。世の中には人事や組織開発のStrategyや成功例がごまんとありますが、私にとってそれらは参考にはなっても、そこに答えはないという考えがありました。
昔、『事件は会議室で起こってるんじゃない、現場で起こってるんだ!!』ってセリフのドラマ映画がありましたが、まさにそんな感覚で組織戦略を策定する会議室(執行役員会議)と現場(Crewとの個別対話)を行ったり来たりしてました。

このCrew一人ひとりとの対話をするにあたって、昨年学んだコーチングが大きな助けになったことは言うまでもありません。3年前、KabuK StyleにJoinした頃の私のコミュニケーションスタイルを知っているCrewの複数名から「別人になったみたい」と言う嬉しい(?)お言葉も頂戴しました。笑

毎年2回開催している全メンバーオフラインで集合のBootCamp(2022年4月)

もちろん、失敗も沢山しました。
けれどもKabuK Styleではミスを責める文化は全然なく、その失敗を糧に、では次はどうしていこうか?と言うことをスピーディーに建設的に話し合う土壌がしっかり育まれていたので、私もトライアンドエラーの中で、仕事のパフォーマンスを素早く向上させていくことができたと思っています。
KabuK Styleでは会社の成長・変化が凄まじく、大手企業で働いていた頃の4倍速くらいの体感速度があります。私が人事の仕事をし始めたのが2021年2月からなので、僅か1年半ですが、6年間分くらいのキャリアがこの期間に積み上がっている気がいたします。

人事・組織開発チームメンバーも少しずつ増えて、最初は私含めて2名からのスタートでしたが、最終的には5名のチームにまで拡大しました。一緒に毎日働くチームのCrewには本当に助けられました。
性格やプライベートの状況、得意/不得意、一人ひとり個性豊かなキャラクターでしたが、お互いの違いを力に換えることのできるチームでした。このチームで一緒に働けたこと、心の底から感謝しております。みんなのこと大好きです❤️

私の次のチャレンジを応援してくれた大好きなチームメンバーとの記念撮影

アートとの出会い

そしてこれから進んで行こうとしているアートの話に移ってまいりますが、アートとの出会いは、昨年秋まで遡ります。
私の大切な恩人であり友人である、篠崎ケイ(以下、ケイさん)が2021年秋に主催されたJukeboxという2ヶ月間に渡るワークショップに参加したのですが、年齢/性別/性格/価値観etc 全く違う初めましてのメンバーと練習を重ねて、ケイさんのサポートの元、自分たちで作ったオリジナルの歌詞の歌と踊りを重ねて、最終日にお客さんの前で発表するという機会がありました。

お客さんの前で一度きりのパフォーマンスをした際に、自分の中でゼロから何かを創造して、周囲のみんなを巻き込みながらエネルギーを爆発させるってとても気持ちの良いことだなという強烈な感覚が身体と心に残りました。
そして、この感覚をまた何かの形で再現できないかな?という想いが自身の中に湧き上がってきました。

また、昨年コーチングを学んだ経験から、全く新しいことを学ぶことは、自分の中に眠っている未知の可能性にアクセスするチャンスだということを知っていたので、自分自身の中に眠っている創造性を刺激してみようと、色々と検討しました。その結果、VANTANデザイン研究所という専門学校の社会人向けのイラスト&デジタルデザインコースに2022年4月から入学することにし、そして今までの人生で、才能やセンスがないと切り捨て、全く学んでこなかった領域の勉強を始めました。

VANTANではいろんなことを教わっているのですが、ここで一番面白いと思ったのが、自分の手を使って絵を描くということ。美大の日本画科を出られた先生のご指導のもと、生まれて初めてデッサンをやりましたが、これがまた難しいのなんのって。人生で初めて描いたデッサンがこちら↓

全然上手く描けなかったのですが、これを描いた時に、『もっと上手くなりたい!』純粋にそう渇望する自分がそこにはいました。

また、授業の一環で作成した、自分のSNSアイコンを作ろう!というお題で作成した自分の名前アルファベットをイラストで描いた作品を見てくれた友人が、自分も描いて欲しい!と沢山リクエストをくれて、実際描いてプレゼントしたら、皆ものすごく喜んでくれました。

その人のことを想い、パッと思い付いた表現で名前をイラスト化
描くたびに文字の形状ルールを無視していくのが楽しくなるw

どんな言葉を尽くすより、相手のことを想って描いた一枚の絵、その方が人の心をより大きく動かせるのではないか?という可能性を感じました。
その一方で、言葉や文章、ロジックや戦略といったロジカルなアプローチで、身の回りに起こる全ての事象を力技で何とかしようとしてきた自分自身が、これまでの人生で大きく積み上がって来ていることに気がつきました。

上記のロジカルなアプローチはもちろん社会で生きていく上ではとても有用です。しかしながら万能ではありません。この世の中には感覚や感情が優位に働き、言語や理屈を超越したコミュニケーションというものが存在し、私も含めて皆さんそういったものに多かれ少なかれこれまでの人生で触れてきたかもしれません。

長年意図せず鍛え続けてきたロジカル側のパワーに加えて、感覚や感情を活力に変えるパワーをこの身に宿すことができたら、この先の人生、めちゃくちゃ面白くなるのではないか!?

そう考え至った次の瞬間、アートの勉強をもっと深めたいという願望がムクムクと芽生え始めてきました。そして決定的だったのが、こちらの絵を描いたとき、それが確信に変わりました。

『レインボートレイン』:自分の中でアートに向かっていく転機になった作品

タイトルは『レインボートレイン』と名づけてます。ケイさんから「しんたろーさんの実現したい未来のビジョンを描いて見せてほしい」というお題を頂き、描きました。そして、この絵を描いた時に、自分の心の奥底に眠っている本当の願いに気づいてしまいました。

これから私が歩んでいく道

レインボートレインを描いて気づいた本当の自分の願い、それは、

『先の見えない暗闇を照らし、苦しみを切り拓いて、誰もが笑顔で行き交える、優劣や勝ち負けが存在しない世界を創る』

ということでした。
KabuK Styleが創業当時から掲げている不変のミッション『多様な価値観を 多様なまま許容する 社会のインフラを創る』というものとも大きくリンクしていると思います。
だからこそ私は、これまで色々なことがありましたが、築いてきたキャリアを手放し、新しいチャレンジをし、自分自身を変えることで、この会社で働き続けてこれたのだと思います。
なのでKabuK Styleという会社をこの度離れてしまいますが、KabuK Styleが掲げているミッションに関して、私は引き続きコミットしている状況なので、不思議と寂しさはありません。ミッションという深い部分で繋がれている大切な仲間だと、道は違えど今もこの先も思い続けている自信があります。

では、そんな大切な会社を辞めてまで、次に何のチャレンジをしようと考えているのかというと、来年の春に東京藝術大学の美術学部を受験することに決めました!
(私の中では、キャリアを手放すのは今回で2回目なのですが、今回は大切な組織まで手放すことになっちゃいました😅)

今年から思いがけず触れ始めたアート、まだまだ知らないことが沢山あり未知の領域です。アートに正解も不正解もないですが、表現を技術的にもっと高めていきたいという願望があるので、まずアートを学ぶのに日本で一番最適な場所として、東京藝術大学が面白そうだ!と、これまた直感的に決めました。
もちろん、藝大はものすごい倍率で数多くの受験生の中から大学側に選んでもらう必要があるので、中途半端な準備だと、全く話になりません。なので、8月からは美術予備校に毎日通い、絵のトレーニングに専念しようと考えております。
これまで仕事に割いてた時間と労力、あとはこれまで蓄えてきた貯金と、自分自身のありとあらゆるリソースを全投下して本気で挑みます💪🎨

『しんたろー、今このタイミングで、この道をアクセル全快で突き進め!!』
と自分の中から突き動かされる強い衝動があるので、ここは素直にこのエモーションに従ってみようと思います。もちろん、受験なので不合格になる可能性も十分にあり得ます(むしろ不合格の方が可能性断然高いw)が、ダメだったらダメだったで、その時考えれば良いと思い、まずはひたすら前だけ向いて頑張る次第です。

2022年3月、VANTANに入学する意思決定をした際、まさかこんな道に進んでいくことになるなんて、当時はこれっぽっちも思いもよりませんでした。本当に人生って不思議でたまりません😆

藝大に入るのも、これからアートの勉強をしていくのも、私の願いを叶えるための一つのアプローチや手段に過ぎませんが、この選択は間違いではなかったと後から思い返せるだろうと確信しています。なので、ここから来年3月までは20年ぶり、人生2度目の大学受験生になりますので、ちょっと付き合いが悪くなると思いますが、来春に良い報告ができるよう気合い入れて頑張ります🔥

こんなに長い文章書いたの久しぶりですが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございます😊

最後の最後に、以下、私が創作した作品を投稿しているInstagramがございますので、もしよければフォローしてみてください!

それでは皆さん、今後ともどうぞよろしくお願いいたします♪

2022年7月29日
絵描き見習い
村田 晋太郎

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