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英語と子供と辞書とランチ (その1)

アメリカに来て2年半が経過した。思えばあの日、家内と6歳と2歳の息子を連れて、東京からアメリカに来たのは私たちの人生にとって大きな転換点であった。私と家内は当時から英語で何とか意思疎通ができたが、6歳の長男も2歳の次男も全く英語はできなかった。長男は地元の学校へ、次男はせっかく日本語を話し始めたからということで日本語の幼稚園にいかせることにした。あれから2年半、私は相変わらず「もっと英語ができれば」と思い、少しずつ英語を勉強している。長男も地元の小学校で頑張っている。今日は6歳まで日本で生まれ育ち、その後アメリカの学校で2年間半勉強した長男の語学力から、英語学習について考察してみたい。

まず「子供はのみ込みが早い。ほっといても英語ができるようになる。」というのは間違っていると実感する。記憶の定着は子供の方がいいのかもしれない。しかし、放っておいて英語ができるわけではない。子供なりに、英語を課題としてとらえ、英語の勉強をしたり、英語の本を読んだり、アメリカ人の友達と言葉のハンデを乗り越えて遊んだりして初めて英語が上達していく。長男にとっては日本語が母国語で、家に帰れば会話がすべて日本語なので、英語はあくまで純ジャパニーズの私と同じ外国語である。長男の英語の進捗をみていると、日本人の大人が英語の勉強のために文章を読み、単語の意味を覚えて、徐々に英語ができるようになってくるのと全く同じである。

「日本人でも英語のシャワーを浴びればいつのまにか英語ができるようになる」という考えがある。例えば、こんなロジックだ。

「どこの国でもそこの子供はその国の言葉をペラペラに話せる。子供は辞書を引かないし、勉強もしないのにペラペラでしょ?だから日本人でも英語環境に飛び込めばいつのまにか英語がペラペラになるんです。」

これは「いつのまにか」と「ペラペラ」次第なのだが、非常にあやしいと思っている。6歳の息子を見て思ったのは、どんなに英語のシャワーを浴びても、脳の柔らかい子供ですら、言語を習得するのには苦労するということだ。英語を意図的に習得しようとして、努力して初めて英語が目に見えて上達する。

「会話の状況や文脈から類推して、その言語を操る回路が頭の中にできていく。」これは間違いないだろうし、これをもとに「英語のシャワーを浴びると、、、」という意見があるのかもしれない。ただ、実際に子供を見て思うのは、実は子供は結構勉強しているということだ。

母語である日本語を、日本の小学生は国語という教科でよく勉強している。例えば漢字だ。漢字は小学校で1000個以上も覚える。これは書いて、書いて書きまくってみんな覚えてきたはずだ。この1000個の漢字を組み合わせた熟語やヘンやツクリから類推することによってさらに色んな言葉が頭の中に入ってくる。では、もし日本人が国語の勉強をしなかったら、どれほどの日本語力を身に着けられるのだろうか?日本語のシャワーを浴びていれば日本語を習得できるのだろうか?私は非常に懐疑的だ。

ちなみにアメリカ人も英語を実はすごい勉強している。英語には漢字がないので、覚えることもないと思うかもしれないが、子供たちは単語カードを作ったり、教科書に言葉の意味を問う問題が多く載っていたりと、みんな勉強して覚えていく。漢字がないから、それこそわかりやすい派生語以外は丸暗記するしかないし、よく努力している。というわけで、「どこの国の子供も母国語は大事なので、国がしっかりとした学習要綱を作り、子供に勉強させている。だからその国の子供はそこの言葉が身に着く。決して言葉のシャワーを浴びているだけで英語ができているわけではない」というのが正しいと思う。

「未就学児は勉強もしないのにそこの言葉をしゃべるのでは」という反論があるかもしれないが、6歳が話すようなレベルでは身に着いたといえないと思う。実際に6歳の言葉をきいていると、非常にシンプルで、ある意味言葉のシャワーの限界だ。「言葉のシャワーを浴びても、頭を通り過ぎていくだけで、それだけでは言語の習得としては効率が悪い。自分が日本語がペラペラなのは実は日本語をよく勉強したから」というのが私の今の仮説である。では子供の時に英語をやるメリットはなんなのか?それはなんといっても発音だ。これだけは大人は逆立ちしても子供の習得力には叶わない。というわけで次回に続く。次回は発音と辞書とランチについて書いてみたい。

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