英語、英語、英語、え、い、ご (その1)

アメリカで英語で仕事をして2年半、今ドラゴンボールのシェンロンに何か頼めるのなら、英語力を上げてくださいと言いたい。それくらい英語力って自分の中ではボトルネックで、「もう少し英語力があればこんなこともできるし、こんなリーダーシップも発揮できるのに」といつも悩んでいる、唯一、最も改善したいスキル。日本人でインターナショナルビジネスパーソンを目指す人にとって、一番悩ましいスキル。今日はそんな英語について考えてみたい。

自分は2年半前にアメリカに来るまでは留学経験もなく、純ジャパニーズであった。ただ、高校のころから英語が好きで、大学でも国際交流をするサークルに所属したり、社会人になってからも外資系企業に勤めたりと英語を使う機会が多く、英語での会議もこなせてきた。大学を卒業するときはTOEICが800点くらいで、社会人になってからはTOEICは900点くらい取れた。上には上がいるけど、これだけあれば就職にも転職にも困らなかった。英語でのテレカンも最初は緊張したけど、じきになれてきて、普通にリードできるようになった。テレカンの相手に「お前は日本人だけど英語ができるんだな」と言われると「まあ、英語で仕事するのは何とかなるな」と思っていた。英語には自信があった、アメリカに来るまでは、、、。

しかし、実際にアメリカに来て、日本人が一人しかいない環境で仕事をすると自分の英語力のなさをこれでもかと痛感する。世間話も、ジョークも、会議の込み入った話もついていけない。日本との会議という立て付けではアメリカ人はゆっくり、わかりやすく話してくれていたんだと気が付く。日本人は会議の重要なステークホルダーなので、彼らにわかってもらわないといけないということで、非常にわかりやすく話してくれているのだ。だから「あ、僕って英語わかるじゃん」と思ってしまうが、とんだ勘違いだった。本場の英語はわかっていない。アメリカでのアメリカ人の会議となると、別に私のための会議ではないので、一気に話すスピードも使う単語も違ってきて、今までの日本とのテレカンは何だったのかと思うほど、わからなくなる。思えば、「The Ellen DeGeneres Show」という人気番組を見てもついていけなかったし、Avengersの映画も難しかった。そうか、自分は英語ができると思っていたのは幻想だったのか、と気が付いた。

カリフォルニアで仕事をしていると英語が第一言語でない人が多くいるし、そういう人もマネジメントになっている。また、ヨーロッパの学校で勉強したが生徒や教授の多くは英語がNativeではなかった。海外で成功するのに英語をNativeのように話す必要はないだろう。発音もきれいでなくて構わない。ただ私のようなTOEICで一喜一憂している英語力では世界では通じないと感じる。例えばプレゼンするときに、最初のつかみで笑いを取りたいけど、なんて言っていいかわからないし、プレゼンしてて、同僚が助けてくれようと合いの手を入れてくれて盛り上げようとしてくれてるんだけど、その同僚の合いの手がなんて言ってるかわからなくて、「え?」とか聞き返して、周りがしらけちゃうなんてことがあるわけです。というわけで、国際的なビジネスパーソンとして日本を飛び出して仕事をこなし、さらにはリーダーシップをとろうと思えば、英語力を文字通りUpgradeしなければならない、と思う。

ここで、どうやって英語を磨くかを考える前に、「英語は大切ではない」という意見について考えてみたい。

その1。「要はコミュニケーションだから。拙い英語でも一生懸命伝えれば伝わる。」という意見。確かに伝わる。ただこれはやっぱり自分がお客さんの時に成り立つ話で、自分が単なる会議のメンバーだったら毎回きいてくれるとは限らない。また相手の言うことが分からなかったら、それはもうどうしようもない。相手が自分に合わせてゆっくり話してくれるケースなんて、海外で、自分がお客さんでないのなら少ないだろう。一生懸命さで救われるのは「彼の意見も聞いてあげよう」という会議メンバーのある意味、慈悲の心によるもので、それを毎回期待してはいけない(同時にその慈悲の心に応えるべく、拙くても何か発言すべき)。よって、拙い英語でもなんとかなるというのは「まあ、そういうときもあるよね」という程度のことで、幻想だ。

その2。「要は話す中身だから。中身が大事。拙い英語でも中身がよければなんとかなる。」という意見。確かに尊敬する世界的なビジネスリーダーにかつて英語の悩みを相談したところ、こういわれた。でもそのときは僕を励ますためにそう言ってくれたのであって、「だから英語なんて必要ない」という意味ではないとおもっている。確かに会議の発言をきいていると、アメリカ人で驚くほど中身がないことをベラベラと話している人がいる。そういう時は中身のあることをを朴訥(ボクトツ)と、論理的に伝えると「いいこというじゃん」といううなずきをもらえる。

ただ、これも会議の参加者のレベルによる。レベルの高い会議ではみんな中身のある議論を持ってくる。よって全員「中身持ってます」という会議で自分らしい貢献をしなければならない。もはや中身がある、ないの勝負ではないのだ。また、話す中身がよいのであれば、それを流暢で論理的な英語で伝えられれば、それこそリーダーシップが取れるだろう。拙い英語力ではどんなに話す内容が良くてもリーダーシップはとれない。「光る意見を言うやつ」とか「Diversityに貢献している」とかいう評価はもらえるだろう。しかし英語ができなければ、中身のある発言が続く中で、議論をまとめたりする「リーダー」というブランドは築けない。よって、中身がよければ拙い英語でもよいというのは幻想だ。中身がよいのであればなおさら英語力という「やればなんとかなる」スキルを磨いて上を目指すべきだ。よって英語をことさらに磨くべきであろう。

その3。「これからはAIの時代で、英語が自動で翻訳される時代が来る。よって英語はこれから必要なくなる。」これはある程度本当だろう。問題はそれがいつ、どの程度、どのように来ますか?ということだ。

5年後?10年後?20年後?レストランの予約が?ビジネス会議が?リーダーシップにつながる会話が?携帯電話で?眼鏡で?耳に詰めるようなやつで?本当に、本当にそれがいずれできることにかけて、英語をやりませんか?

AIは翻訳をある程度解決する。これは結構早いとおもう。3年もすればほぼ同時に流暢に翻訳できるプログラムはできるんじゃないかと思う。ただ、それをどうやって、Aさんの口から発せられた音がBさんの耳の中に入るまでのプロセスに組み入れるのか?また、翻訳した場合、相手から得られる共感はそれを翻訳なしで伝えた場合と同じなのだろうか?

まずどうやってAIを搭載したデバイスを会話のプロセスに介入させるかだ。この機器開発には時間がかかるし、それを英語が母国語のアメリカ人や、現時点で英語に不自由のないヨーロッパやアジアのビジネスエリートがわざわざ買って、いつも身に着けているのだろうか?例えば、10人の会議で、日本人一人が英語ができない場合、その人のためにそのデバイスを他の9人が何の抵抗もなく、身に着ける時代がくるのだろうか? その時代が来るとしても10年以上かかるんじゃないかしら。

また、英語を英語で理解するのと比べるとAI翻訳をへて日本語で理解するということはどうしても違いがあるとおもう。まず日本語と英語がすべて対(つい)で訳があるわけではない。日本語でも英語でもお互いに訳せない言葉がある。よく言われるのはIdentityとかなんだけど、こんなに難しい言葉でなくても、もっと簡単なSmartとかEarnとかResponsibleとかいう言葉を日本語に訳すのは難しいと思う。「Drink responsibly」なんてあえて日本語に訳せば「飲み過ぎないで」となるのかもしれないが、訳し切れているとは思えない。つまり、英語から日本語にするときに対で訳がつかないというのが一因。

もう一つ、日本語に訳すと意味が伝わりきらない理由として文化としての言葉がある。言葉は単なる記号ではなく、やはり文化を形作るものだからだ。例えばImpeachmentという英語に対して「弾劾」という日本語訳がきっちりと作られている。ただ、「弾劾」という訳ではImpeachmentは伝わり切らないと思う。ここアメリカでは昨今のトランプ大統領のImpeachmentが連日ニュースとなり、会話に上がらない日はない。トランプ大統領の傍若無人な言動やトランプ大統領に辟易した人の嫌悪感、ロムニーの造反などを見ていて、私の中でImpeachmentの意味がリアルに刻み込まれた。大統領制、権力をかざすものと、権力を引きはがそうとするもの、権力に歯向かうものなどの悲喜こもごもをひっくるめてImpeachmentはカルチャーとしての意味をなす。AIが日本語の「弾劾」と訳したとしてもそれでは表現できないことがあると思うのだ。

英語を学ぶのは英語と日本語の訳を学んでいるのではない。英語を学ぶことで英語で形作られた世界を知ることができ、それによって他者理解が進み、より多様な環境で対応する力がつくことだと思う。英語を学ぶということはひたすら単語帳を覚えるのではなく、外国人との会話、書物や映画を英語で理解することだと思う。これにより、日本語では表現できない事象を理解することができる。これはAIでは解決できないだろう。よってAIがあるから英語を勉強しなくてもいい、なんて幻想だと思う。AIは素晴らしいがAIにかけてはいけない。

その4「日本語ができないのに英語を勉強しても仕方がない。英語勉強する暇があったら日本語を勉強して。」という意見。その通りだと思う。日本人であるなら、日本語ができて当たり前。また第一言語が使いこなせないと思考も深くならないという説は正しいと思う。Double limitedという言葉があるけど、日本語も英語も中途半端というのが一番よくないと思う。

でも日本で生まれ育っていて、学校も、仕事も日本語でやっているのなら、日本語はできるんでしょうし、それが子供だったら、普通に勉強していれば日本語はできるようになるんじゃないでしょうか。尊敬語も謙譲語もアナウンサーみたいに完璧にこなせるのは素晴らしいが、それまでは英語を勉強しないというのは間違っていると思う。

「日本語は第一言語で、不自由ありません。加えて英語でも海外で十分にコミュニケーションとれて、リーダーシップがとれます。」っていうのを目標にしたいよねって話であって、英語のために日本語をおざなりにしようって話ではないのだ。よって、「英語勉強する暇があったら日本語勉強しろ」という意見は、「日本語は大丈夫です。その上で英語を伸ばしたいと思います」という人にとっては幻想ですらない、意味のない意見だ。

色々と書いてきたが、個人的には英語力は今後ますます必要になってくると思う。AIをあてにして英語に力を入れないのは非常にリスクがあるといえる。昨今、英語を学ぶのがより簡単になってきている。英語の教材も勉強を助けるツールの量も質も圧倒的に増えて、改善している。それを受けて、データはもっていないが非英語圏の英語力は日本を含めて上がってきているのではないか?だから英語ができないということのハンデがどんどん大きくなっていっていく。世界のみんなは英語がどんどんできているのに日本人だけ英語ができないなんて、ますます世界から取り残されてしまうだろう。また、前述の通り、外国語を学ぶということはその言語が形作るカルチャーや世界を学ぶことだ。国際化が進んでいく中でリーダーシップをとるためにも英語なんていらないといわず、英語をきっかけに世界へのドアを開けるべきだと思う。

「英語が大事だってわかるけど、でもなかなかできるようにならないよね。どうやったらできるの?」というミリオンダラークエスチョンを次回、自身の経験をふまえてまとめてみたいと思う。ただ、自分自身が本当に苦労しているので、英語がパパっとできるようになるMagic wandのような回答は書きたいけどかけない。、、、と期待値を下げておいて、国際的に通用する真の英語力の培い方について、次回まとめてみたい。




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