見出し画像

この世は「正しい」さえ知ればそれで充分である

私のブログに対して「よくもまあ、飽きもせず善ばかりを書き続けられるものだ」という批判もありますが、私は善ぐらいしか皆さんに伝えられるような知識もないので善に特化しているのです。ですから善にあまり関係のない投稿はすべて削除しました。しかし善、つまり「正しい」さえ分かれば、この世の中それで充分なのです、それですべてが調うのです。そのことを早く分かってほしいものです。


私はとにかく善、つまり(道徳的に)正しいとは何かを皆さんに分かってほしいのです。それさえ分かれば皆さん、良い社会、幸せな社会が作れるのです、これは間違いのない事です。

前にも書いたように私たちはこの社会で「正しいこと」をしなければなりません。これは社会の大原則であり掟です、誰も反対する人はいないでしょう。そして正しいことをやる為にはどうしても「正しい」とは何かを知らなければなりません。


正しいとは何かが分かれば、万巻の書にも匹敵する知恵を得ることが出来るのです。ソクラテスやプラトン、現代までの西洋哲学者たちは善、正しいを定義することはできませんでした。聖書がいろいろごちゃごちゃ書いてあるのは善が分からないため、それを誤魔化す為にあのように分厚くなっているのです。正しいが分からないで作られた思想など何の価値があるでしょうか。


日本では愛知県の「不自由展」の騒動もありましたが、西洋人もいまだ自由の本当の意味を分かっていません。フランスの出版社がイスラムを侮辱した漫画を出したためフランスでテロ事件が起きました。その後、欧州の首相たちが集まって「表現の自由を守れ!」とフランスでデモ行進を行いました。あれには呆れてしまいました。西洋人のトップたちがこの程度なのです。自分たちの表現があくまで正しかったと言うならば、今後もイスラムを侮辱する表現の自由をやり続ければいいものをテロの後ではイスラムを侮辱する漫画は一切出なくなりました。勿論、デモ行進はヨーロッパがテロに対しては団結するぞ、と言う意味もあるので種族保存に合致する正しい行為ではあるのです。


自由とは正しいから自由なのです。正しくないことは自由ではありません。正しいとはみんなの為です。みんなの為にならないことは自由ではないのです。私の嫌いなアメリカ製の日本国憲法にも権利や自由、人権は公共の福祉に反しない限り許されると正しい事も書いてあります。「公共の福祉に反しない」とは「公(みんな)の為ではない」と言うことです。

日本でもあれほど日本人を侮辱した「不自由展」などを正しいとして許していれば、やがてヨーロッパと同じようにテロ事件を引き起こすことになるでしょう。かくも「正しいとは何か」を知ることは大切なことなのです。


また私たちはこの社会において「正しくないことをすれば必ず責任を取らねばなりません」これもまた社会の大原則であり掟です。相手に不利益を与えれば必ず責任を取らなければなりません。もし責任を取らないとなれば至る所で喧嘩が起き社会の秩序は保てなくなります。この社会で最も大切なことは「社会の安寧秩序を守る事」です。この安寧秩序を守る為にすべての決まりごとはあるのです。


相手に不利益を与えないためにも私たちは言動には責任感をもって行動しなければなりません。つまり言動(発言、行動)には常に責任が伴うと言うことです。言論の自由、表現の自由などと言って安易に発言すれば責任を取らねばならなくなるのです。何か発言するにしても責任感をもって発言しなければなりません。そのことを最近はすっかり忘れられているのではないでしょうか。


この社会は正しいことをしなければなりません。また正しくないことを行えば必ず責任を取らねばなりません。つまりこの社会は「正しい」と「責任」で出来ているのです。

しかしまた責任を取らなければならないのは間違いを犯すからです。基本的に間違いを犯すのは「正しいとは何か」を知らないからです。結局のところ「正しい」を知ればそれだけでいいのです。それさえ知っていれば十分なのです。ですからこの社会は基本的に「正しい」で出来ているともいえるのです。


善、正しいとは公の為であり、その為に私欲を抑えて公の為、みんなの安心、幸せの為とみんなで考えることです。これだけですべては調うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?