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経済学部からデザイナーになり、フリーランスになるまで。〜前編〜


こんにちは。
フリーのグラフィックデザイナー、シンです。

今回は「経済学部からデザイナーになり、フリーランスになるまで。」と題し、ぼくが実際に体験してきた就職・独立までのことを記事にまとめてみました。

「デザイナー」というと、憧れの職業だったり、遠い世界に感じている方も多いのではないかと思います。
実際ぼくも、大学の経済学部に通ってる頃にはデザイナーの「デ」の字も考えなかったくらい、遠くの世界に感じていました。

しかし、色々あってググッと急ハンドルを切り、デザイナーとして就職し、フリーランスとして独立。最近では「美大出てないんですよ〜」と話すと驚かれることも増えてきました。

とはいえ、長い話なので人にしゃべる機会もあまりなく、いつもフンワリと話してきました。しかし「デザイナー」のことをもっと知ってもらうため、また自分の制作へのスタンスを振り返る必要を感じたため、今回このように記事としてまとめてみました。

記事にまとめるにあたり、イラストレーターでデザイナーのあゆみさんの「あゆレポ」に依頼をし、イラスト・レポートの形にまとめて頂きました!
本記事のイラストは、鉛筆の手書きを除きあゆみさんに描いて頂いたものです!
とてもかわいい。。🙏

さて、今回は前半記事ということで、
就職に挫折するところまで(涙)のお話をご紹介します。

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(↑あゆレポより抜粋!)

それでは、お楽しみください🙏


1.ゲームサイト運営で知った「つくること」の楽しさ

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小さい頃は、ぼくは絵が得意な少年!ということもなく、毎日ゲームばかりしてるただのゲーム小僧でした。

すこし変わったことが起きたのが、小学6年生のときです。

ぼくには姉と兄がいるのですが、その2人がホームページを作り始めました。
「管理人を一緒にやらない?」と僕も誘われて、やる!と参加しました。

それが小6の冬、11月22日のことです。

ところがぼくがホームページの管理人として入った矢先、姉も兄も「受験だから」といきなり管理人を抜けました。いきなり実質ひとり管理人状態に。
ホームページを更新するため、姉からHTML辞書の使い方を教えてもらい、なんとか更新を続けていくこととなりました。

そのホームページは、当時人気の任天堂ゲーム「スマブラDX」のファンサイトでした。コンテンツも、ただコメントを書く合う「掲示板」だったり、Web上で絵を描いて投稿する「お絵かき掲示板」だったり、チャットだったり、訪れた人たち同志が交流をするコンテンツが中心でした。
ゲームの攻略情報をちらほら載せてたりとかもしていましたが、ゲームのやり込みはウェブサイトにやってくる人のほうが詳しかったりしたので、教えてもらって記事を更新するような程度です。

たまに、トップページのイラストを募集する「お絵かき大会」を開催しては、
みんなで絵を描きあって、うまい人が選ばれて…なんてこともよくありました。

常連で通ってくれる人たちは、みんな絵をいっぱい描くから、サイトを何年も続けるうちに、みんなの画力もどんどん上がっていました。自分もその中で参加して、絵が上達していったのは感じました。

ここで、「絵を描いてコメントをもらう」ことの楽しさとか、「趣味のあう人達と交流しながら、なにかを作っていく」楽しさを体験しました。
ぼく自身の、ものづくりの原点になっている気がします。

2.姉が教えてくれた「絵の描き方」

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絵に関しては、上達するきっかけがありました。

小学4年生くらいまで、ずっと絵が得意ではなく、棒人間とか、「スライム」とか、ポケモンで一番描きやすい「マルマイン」みたいな簡単なキャラクターしか描けなかったのですが、あるとき姉が「影」の存在を教えてくれて。

姉は美大に行こうとしてる高校生だったので、デッサンとかを学んでいるからか、そういうことを教えてくれたんです。「モノには影があるでしょ」って。

で、それを聞いて見てみると、「あ、ほんとだ!影がある!」ってびっくりして。影を描くの面白い!って気がつきました。

それからはスライムに影つけたり、棒人間に影をつけたり。当時、仲の良かった友達がピカチュウを描いてて、上手いなぁ…と打ちのめされていたんですが(描けなかったので)、影をつけるのだけは僕の方ができて。
なぜなら、みんな影の存在を知らないから。

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単純に、その「影を描く」っていうのが面白い発見だったんです。周りの友達にも「なんかすげーリアル!」と驚かれました。
そこから絵にハマって、インターネットの「おえかき掲示板」でも絵を描くようになって行きました。

小6で作った自分のホームページでも、自ら「お絵かき掲示板」を盛り上げていました。たくさん描いてるうちに仲間が増えていって、絵を描くのが好きな人が集まっていって、だんだんそういう人たちの交流場所になってきた感じがありました。

ただ、描いてる絵の内容はもう、ただのウケ狙いのものが多かったです。

その頃に1番ハマってたのは、マッチョにキャラクターを描くこと。それを描くとみんなウケるから。すごく笑ってもらえるんです。
マリオをムキムキに変えたり、ドラえもんをムキムキにしたり…。とりあえずマッチョにすればウケる、みたいな。
そんな時代だったので、もう何かにつけてそればっかり描いていたんですよね。それが僕の「お絵かき」の原体験です。

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(↑当時はバカウケでした)


3.スマブラのファンサイトが人気に。

ホームページ自体は、何年かで累計100万アクセスとか300万アクセスになるくらい、いわゆる人気サイトに成長しました。
たまたま人気の流れに乗ったら、あとはもうひたすら、過ごしやすい環境になるよう改善するところは改善し、たるんできた頃には新しいコンテンツを打ち出していく。するとさらに人気が伸びていく…という印象でした。人が人を呼んでくれて、みんなでワイワイしていると、また人が来て…というループが回っていたように思います。

そこではコンテンツの1つとして、自分の描いたドット絵のアイコンを「フリー素材」として配ったりもしていました。

当時そういうのって、「サイトへのリンクを貼ってくれないと使っちゃダメ」みたいな制限があるのが普通だったんですが、一切の制限なしでフリー素材にしたら、それが人気になって沢山使ってもらえたりして、これも人気コンテンツの1つでした。

いまの「いらすとや」さんみたいな事を「素材サイト」と呼んで、当時は結構いろんな人がやっていました。「まったく使用フリーにしたら、勝手に持っていかれて損するのでは?」と思う人も多かったですが、フリーの方がむしろ話題にしてもらえてたらしくて、素材を使う管理人さんの元に、常連さんから「作ったんですか?どこの素材ですか?」なんて質問が来ていたりしたそうです。

4.「ゲーム音楽」にどっぷり

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ファンサイトでは、音楽の発信もしていました。

「耳コピ」と呼ばれるんですが、ゲームの曲を聞いて、ドレミを1音1音入力していく「打ち込み」にハマりました。「打ち込み」はデータも軽く、当時いちばん気軽に発信できる音楽だったんです。

そのサイトが「スマブラ」のファンサイト(任天堂の人気キャラクターが戦うゲーム)だったので、いろんなゲームから音楽ネタが引っ張って来ていました。
スマブラのゲームの曲を耳コピしよう!と思ったら、その原点となるゲームもプレイする。そこで他のBGMも好きな曲をみつける。そして耳コピをする・・・といった形で、色んなゲームと音楽にどんどんハマっていきました。

この頃からぼんやりと、「任天堂のゲーム音楽作曲家になりたいな」と思い始めていきました。

作曲家というのを意識するようになったのは、ゲーム音楽を渡り歩くようになってからでした。
好きなゲーム音楽をいくつも追いかけていくと、だんだん「これとこれは似てる」とか気づき始めるんです。ゲームのスタッフロールをみては、作曲家の名前をチェックして。他のゲームで音楽が気に入ると、クリア後のスタッフロールをみて「同じ人だったんだ!」と発見したりして。

また、ゲーム音楽が好きすぎて、録音してサントラを作ったりもしていました。
ゲームとパソコンを繋いで、録音したいシーンまでゲームを進めて、効果音が入らないようにコントローラーを置く。静かにしながら録音ボタンを押す。
気に入った曲がいくつもあると、スタートからクリアまで進めて、エンディング曲まで全てを収録した自作サントラ状態になっていたりもしました。

それから、高校生までずっと音楽作りにハマっていて、新しいゲームを買ってはクリアして、録音して、打ち込みを作るサイクルを繰り返していました。
進路を考える頃には、ゲーム音楽を追求できるサークルに入りたいなぁと夢想していたくらいです。大学によっては、そういうサークルも存在しているとネットで見つけて・・・。そこは偏差値が高すぎて入れなかったんですが。笑

5.進路について、(浅く)考える

進路については、絵を描くのも好きだったので、一瞬だけ美大も考えました。

が、その時は音楽を作るほうが好きだったし、親からも「才能がないからやめとけ」と言われ、「確かにそうだ」と一瞬で諦めました。笑

中学の頃も、デッサン力はついていましたが美術の評価は「3」とかで、作品の評価がめちゃくちゃ低かったんです。いわゆる"センスの悪い作品"ばかり作っていました。俗っぽいというか。
ゲームを題材にしたりしていましたし、なにより「美術」とか「アート」みたいなものが、賢いぶってる偉そうな感じがして、当時は嫌いだったんです。

お金も倍かかると聞いたし、絵を描く事に対して、そこまでの熱意もありませんでしたし、結局は「ヒマなときに音楽を作ってたい」という、しょうもない気持ちが優先されました。
そのほかに、小さい頃から「商売」というか、「お金について」を考えるのが好きだったこともあって、大学は経済学部に進学しました。

【お金についての小話エピソード】
小学生の頃から、カードゲームで小さな商売をしていました。
当時は周りの友達がみんなカードゲームにハマっていて、ぼくはレアカードを売りに出しては、そのお金で次のカードを買う、ということをよくやっていました。

そこで当たったレアカードをまた売って…とすると、限りある小遣いの上限が増えていく感覚が面白くて。
需要のないカードはお店に売る事もあったので、あちこちのカードショップで相場を調べたり。友達から交渉されるときは、お店の買取価格より高く・販売価格より低い価格を提示して、商売人遊びを楽しんでいました。

そのせいで、自分では値段の安いカードばかり使うこととなり、弱いカードでも戦略で勝つ!みたいなプレイヤーになって行きました・・・笑

6.大学は経済学部へ進学

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結局、経済学部に進学したぼくは、サークルを探して「オーケストラ部」に入りました。同期は、ゲーム音楽の「アレンジ」をもっと詳しくできるようになりたい、というもの。
オーケストラの曲を聞くと、感動しちゃうんです。映画なんかで、静かなシーンにストリングスが鳴ると、ジワッと来たりするのが不思議で、その謎を解明したかったところもあります。
そして、ゲーム音楽のオーケストラバージョンを自分でも作りたい…。
けどわからなすぎる…。
だったら、自分がオーケストラに入ったらもう少し分かるかなぁ、という浅い考えです。

楽器はバイオリンで入部しました。が、なんと演奏する方にハマってしまい、あまり打ち込みをやらなくなってしまうことに・・・。

そして経済学部・経済学科は「商売」をあまり扱わないことに、後から気がついたのでした・・・・・。(#商売は「経営学科」です)(#転科も断られる惨状)

7.大学時代、就活で惨敗

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大学でオーケストラ部にハマり、作曲を全然しなかったぼくですが、
当時なぜか作曲家として就職できると確信していました。(自分よ、考えが浅すぎです!)

大学四年生が近づいて、就活の時期になり、実際にゲーム会社へ応募。当然ながら箸にも棒にもかからず、あっけなく全滅しました。

原因は「努力の方向が違った」ことです。ずっと「努力らしい何か」を一生懸命していたけど、それは外堀を埋める遠回りの努力ばかりで、いつまでたっても本丸を攻める気がないのだから、結果につながるはずはなかったと反省しています。
作曲家になるなら、作曲する。それが当たり前なんですが、ぼくは周辺を埋める行動ばかりをして、頑張ってるつもりになって安心していました。

こういった行動原理を「プロスペクト理論」と呼ぶそうです。目の前の好きすぎる・大事すぎることを、あえて避けてしまう心理のこと。むしろ失敗する方向へと、無意識に進んでいってしまうバイアスがかかるのです。
争うには強い意志を持って、「いま圧倒されているな」と自覚しながら、落ち着けてまっすぐ戦いを挑まなくては、この心理に打ち勝つことは難しいものです。


こうして自分の実力不足に気づいたぼくは、あわてて「ふつうの就職」をするべく、スーツをきて就職活動に出回ることにしました。


8.大学の就職課で、お笑い芸人を勧められる

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とにかく就職しなきゃ!という一心で、多くの就活生が辿るルートを通ろう!と就職相談課へと相談に行きました。
当時の心境として、はっきりいって働きたくないのですが、就職はしたい。では何をすればいいのか?
一人で悩んでも答えは出ません。

そのため、就職課の方にカウンセリングの機会を頂きました。

一対一でヒアリングをしてもらい、どんな職業がいいかを一緒に考える時間です。担当の方からいくつか質問があったのですが、そのうち「あなたが仕事に対して大事にするものはなんですか」と尋ねられました。

そこで、頭の中でこれまでの人生を振り返ってみました。ぼくが頑張れる時はいつも、「相手が笑顔になる時」だったなと。
絵を描くのにハマっていたのも、隣の席の友達を笑わせるため。部活の仲間にプレゼントをするときも、包装に工夫したりオマケをつけると、喜んでくれるから。そのためなら眠くてもしんどくても頑張れた。いつも行動の根っこには「相手を笑顔にしたい」がありました。

人を笑顔にしたいです!

そう答えました。
カウンセラーの方は驚いて、

「えっ」

「そしたら、」

「お笑い芸人ですかね!」

そう返答がありました。

この時はかなりビックリしました。
ただ、そのぶん一瞬でいろんな事を悟りました。

おそらく今自分の生きている周辺の世界で、自分の考え方は合わないんだということ。いま進もうとしている方向は、うまく行かないこと。
そして、自分は結構な変わり者だったということ・・・

・・・ ・・・ ・・・

「あなたみたいな人は初めてなんで、ちょっと分からないですー」とコメントを貰ったまでは覚えていますが、あとのことは忘れてしまいました。

「お笑い芸人」とは冗談で言ったのだとは思いますが、どうやら想定していたのは「1番大事なのは自分の時間です」とか「お金です」とか、そういった価値観の話だったようです。
そもそも前提に「仕事は仕事、って割り切るのが当たり前」という考えがあったようで、気づいてみれば身の回りの多くの人もそうでした。「それが大人でしょ」という具合です。

一方、まったく働きたくないぼくが仕事をするためには、「やりがい」を追求するしかない。およそ思いつくふつうの就職ルートでは、それが見つからないだろう、と気がつきました。

「あれ?このままじゃ自分、就職できないかも…?

そこからしばらく、就職迷宮へと入り込むのでありました・・・


↓後半記事へと、続きます!)



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