城安内短刀(丹涼)

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城安内短刀(丹涼)

FacebookやTwitterで呟かない分、こちらから発信します。 興味があること、城郭、歴史、哲学、グルメ、旅行、地球史、人間史、人間行動史、動物史、日本史、世界史 歩く城人 内容は、個人的な仮説ですので、お手柔らかに。

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丹涼の由来について。

初めまして。 丹涼です。読みかた【たんりょう】と言います。 丹はまごころと意味、涼は知的と意味です。 これはたまたま、戒名作成アプリでたまたま出たものです。 なので、私にとっての【丹涼】は生前戒名です。 歴史をいかに楽しく優しく伝えるために、 付けたのが、この丹涼です。 これからいろんなことを投稿していきますが、 あくまで個人的な仮説なので、 ご容赦のほど宜しくお願いいたします。

    • 青梅市の新城 日向和田要害山城

      ご無沙汰しております。 今回は最近発見された日向和田要害山城です。 所在地は、東京都青梅市日向和田3丁目です。 遺構としては、2条の堀切と曲輪と竪堀が見つかっております。城跡の近くにはかつては主要街道が通っていたらしいです。 築城者などは不明ですが、近くには武蔵三田氏ゆかり矢倉台、館の城、辛垣城や後北条氏ゆかりの枡形山城などあります。 北側は石灰採掘で失われていますが、 堀切と堀切の双方を技巧的に活かす作りとなっております。

      • 後北条氏ゆかりの神社仏閣       あきる野市②興國山真城寺

        興國山真城寺 本尊:延命地蔵菩薩 住所:東京都あきる野市上代継344 宗派:臨済宗建長寺派 開山:復庵已大光(大光禅師) 復庵宗己(ふくあん そうき)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の臨済宗の僧。 常陸国人領主小田氏の第8代当主小田治久の猶子。延慶3年(1310年)に渡元し、中峰明本の法を嗣ぐ。建武2年(1335年)常陸に臨済宗の道場正受庵を開山し、のち法雲寺と改称した。 開基:足利基氏 中興:北条氏照 歴史  一時は荒廃していたが、天正7年(1579)に八王子

        • 後北条氏のゆかりの地   あきる野市史跡①

          あきる野市 小宮氏・武蔵大石氏・後北条氏の関わり 小宮領を収めていた小宮氏ゆかりの神社仏閣がある。鐘を奉納。 室町時代は武蔵大石氏が高月城・二宮城・戸吹城・法林寺館を拠点とした。 大石氏が神社仏閣の寄進などに携わっている その後、後北条氏もその神社仏閣の寄進。祈願所としても使用 新開院 臨済宗建長寺派寺院 新開院 住所:東京都あきる野市野辺435 開創は長禄元年(1456) 北条氏康が再興 二宮神社 祭神:国常立尊 住所:東京都あきる野市二宮2252

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        丹涼の由来について。

          武蔵高月城

          高月城の概要 築城年:長禄2年(1458)築城 築城者:大石顕重 城主:大石顕重・大石定重・大石定久・後北条氏 遺構:土塁・堀・曲輪 所在地:東京都八王子市高月 高月城の歴史 高月城は、長禄2年(1458)に大石信濃守顕重によって築城された。 文明11年(1479)に近くにある二宮城ともに扇ヶ谷上杉氏に攻められる。 文明18年(1486)に聖護院跡の道興准皇后が訪れる その後、滝山城ともに後北条氏の持ち城となる。 永禄12年(1569)の滝山合戦際にも

          記事再開 東京都八王子市戸吹町  【武蔵国戸吹城】

          戸吹城の概要 場所は、東京都八王子市戸吹町 小規模な城跡または狼煙台跡の可能性。 曲輪や空堀や土塁が残っている。 江戸時代から崩落が進んでおり現在、行けるのは南曲輪のみ。 滝山城、高月城とともに滝山三城の一つ 全体的に大変危険なので、散策は南曲輪のみがおすすめ。 築城時期・役割 築城者、築城時期は不明。 近くには真城寺と寶泉寺がある。 興國山真城寺 創建は観応2年(1351)に足利基氏が開基 天正7年(1579)に八王子城主北条氏照によって再興 龍淵山

          記事再開 東京都八王子市戸吹町  【武蔵国戸吹城】

          ご無沙汰しております。

          久々の投稿になります。 最近では色々と出掛けていましたので、 近いうちに投稿が出来れば幸いです。 土曜日に埼玉県飯能市の山城を全て、巡ってきました。

          ご無沙汰しております。

          平日は仕事のため、投稿しません。

          先日、コロナになってしまい、あまり無理はできないので平日は仕事のため、投稿しません。

          平日は仕事のため、投稿しません。

          武蔵滝山城について②大石氏①

          皆さま、購読いただきありがとうございます😃 今回は、滝山城の築城年と築城主をついてです。 滝山城の築城年には、1521年または1558年と言われています。 滝山城は、大石定重、定久父子または、小田原北条氏3代目当主北条氏康の3男氏照によって築城されたと言われます。 大石氏は元々は信濃国小県郡大石郷出身と言われます。室町幕府になると関東管領の家臣となり、武蔵守護として当麻、武蔵を知行地していました。 しかし、天文15年(1546年)に起きた河越夜戦で、主君である関東管領上杉憲政

          武蔵滝山城について②大石氏①

          武蔵滝山城①ー名前について

          東京都八王子市加住町にある武蔵滝山城 別名は竹山の城や向山、横山城、 古文書には【瀧山】と明記されています。 竹山の城と書かれている古文書も確かにあります。 まず、【竹山の城】についてですが、 天正10年〜12年頃あたりに、豊臣秀吉が小田原北条氏を潰すために作成させた【北条家人数覚書(毛利家文書)】には、【竹山の城】と書かれています。 廃城の時期がずれと豊臣秀吉の小田原征伐が早いのではと思いますが、それは後ほどで。 何故、【竹山の城】と明記されている理由は 滝山城の小宮曲輪や

          武蔵滝山城①ー名前について