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ぽん太の東海道五十三次歩き旅(17)宮宿→桑名宿(船旅編)

ぽん太です。新年明けましておめでとうございます。今年も旅日記を投稿してゆきますので、よろしくお願い申し上げます。
さて、今回は先回りして、年に2日しか開催されない七里の渡しの船旅に参加してきました。


旅日記

   2022年11月19日。今日は「七里の渡し」の船旅のため、かなりワープして、名古屋に向かう。かつて東海道は宮宿から桑名宿までは船旅であった。その間の距離が7里(約28km)であったことから、「七里の渡し」と言われた。今は船渡しはないが、名古屋のNPO法人堀川まちネットが11月に2日だけ七里の渡しの乗船体験ができる学習会を企画しているという情報をキャッチ。ここ2年はコロナ禍で自粛していたが、今年は3年ぶりにクルーズ開催とのことで4月早々に申し込んでいたのだ(1回につき定員が45名なので、予約はお早めに!)。

 本当なら1,2泊して他も歩きたかったのが、11月から仕事が忙しくなってきたので、残念ながら今日は日帰りだ。
 7:00新横浜発ののぞみ号に乗り、名古屋・金山・伝馬町を経て、9時過ぎには出発地の宮の渡し公園に到着。今は川べりとなっているが、かつてはここまで海があったようだ。松を植えたり、時の鐘常夜灯を復元したり、かつての船着き場の雰囲気を醸し出している。宮宿は熱田神宮の門前町であり、東海道・佐屋路・美濃路の分岐点でもあり、物流の拠点であったりしたことから、当時宮宿は経済の中心地であった。また宮宿は欠航に備え旅籠屋が248軒もあり、東海道では最大級クラスの宿であったようだ。

宮の渡し公園
かつては海に面していた
熱田湊常夜燈。灯台代わりか。
時の鐘

 受付をすませて10時過ぎに船が出発。船は50人乗りくらいの中型船だ。船の中ではNPO法人堀川まちネットの理事長はじめスタッフの方々が、熱田・名古屋港・桑名の歴史から現状の話をしてくださる。桑名まで2時間の船旅だ。江戸時代は4、5時間かかっていたという。ただ、今の航路は港湾・埋立地ができ、当時よりは迂回するため実際には「12里(約50キロ)の渡し」とおっしゃていた。
    堀川沿いを進むと、水鳥が飛び立つのが目に付く。堀川はかつて汚れた川だったようだが、NPO法人の方々の呼びかけにより、地域・行政が一体となって浄化していったという。

学習会クルーズ船
堀川沿いを進む
甲板に出ると風が気持ちよい

 だんだんと視界が開け、名古屋港に入る。名港トリトンの橋が近づいてきた。この橋の手前を西に進むと意外な場所がある。藤前干潟といってラムサール条約にも登録されている湿地帯である。工業地帯のど真ん中にあるのが不思議な感じだが、これも地域住民の保全活動の賜物なのだ。毎年多くの渡り鳥がこの地に飛来するとのこと。

圧倒される名港トリトン橋
名駅周辺の高層ビル群も見える

 しばらく進むと、煙突から白煙を上げる工場や、荷下ろししているコンテナ船などがみえる。ここは日本経済を支えている「ものづくり」の物流拠点の現場であることを実感。

中国のコンテナ船
工場群
まるで鳥のようだ

 高潮防波堤を過ぎると、太平洋だ。少し波が高くなって船もスピードアップ。私が座っているのと逆側の席が騒いでいるので何かと思えば、スナメリ(イルカの一種)がいるとのこと。背びれがないので見つけにくいが、このあたりではよく見かけるらしい。

 船は進路を変え、徐々に北へ向かう。四日市の石油コンビナート群が遠くに見え、その背後には鈴鹿山脈がくっきりと表れる。船は木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の一つの揖斐川に入る。この七里の渡しは、3つの大きな川をいちいち渡るくらいなら、いっそのこと海で行った方が早いということで作られたのではないかとお話されていた。また、当時は今のように3本の川がはっきりと分かれていたのではなく、下流には島が多数あったようだ。しかし1959年の伊勢湾台風でこの地が大きな被害を受け、大規模な護岸工事が行われ、今のような地形になった模様だ。

四日市の石油コンビナートと鈴鹿山脈
伊勢湾岸自動車道路の下をくぐる

 そうこうしているうちに船はもう桑名に近づいてきた。桑名は蛤で有名であるが、海苔の養殖でも有名だそうだ。いずれも長良川・揖斐川の豊かなミネラルが養殖に適しているのだという。
 船は12時過ぎ、桑名の船着き場に到着。波止場がないので、川岸に横付けして降りる。
 素人考えでは七里の渡しを大々的にPRすれば観光としても潤いそうだが、そもそもこのあたりには浅瀬が多く、運航に気をつけないといけないので、国が商売での観光船を認めていないとのこと。今回の船旅は、あくまでもNPO法人の学習会のため、航行が安定する11月に限って2回だけ許可されているとのことであった。だから寄付者に対する学習会の無料招待という形をとっているのだ。この涙ぐましいご配慮に感謝。

桑名城蟠龍櫓が見えてきた
桑名に到着
広々とした揖斐川沿いの堤防

 上陸後はまずは腹が減ったので、桑名名物蛤料理を食べに、歌行燈(うたあんどん)に立ち寄る。人気店なのか、結構並んでいたが、すんなり入ることができた。

伊勢神宮一の鳥居
蛤料理の老舗、歌行燈
焼き蛤御膳をいただく。うまい!

 食後は、まずは九華公園へ赴く。桑名でまず思い浮かぶのは、幕末の一会桑(一橋の徳川慶喜・会津の松平容保・桑名の松平定敬)の桑名藩であろう。しかし桑名城の初代城主は、松平家ではなく、徳川家康の四天王の一人本多忠勝であったことをここで知る。桑名城は幕末に取り壊されたため城郭等はないが、九華公園となっている。九華は「くは(わ)な」とも読むようだ。

九華公園
モミジの紅葉も始まる
本多忠勝像

 その後旧東海道沿いを歩くと、銅製の鳥居やミニ東海道(歴史を語る公園)があったり、昭和レトロを彷彿させる商店街(寺町通り)があったり、なかなか趣深い。商店街ではお土産を調達。

春日神社の銅鳥居
ここにも日本橋出現。その先には富士山まで!(@歴史を語る公園)
懐かしさを感じる商店街の寺町通り

 14時過ぎJR桑名駅に到着。その後帰るにはまだ時間があるので、鉄道旅に切替え、少し先の西桑名駅から三岐鉄道北勢線に乗って終着駅の阿下喜(あげき)まで赴くことに。
 今日は本当に天気がよくてよい旅であった。おそらく実際にこの地に自分の足で再訪するのは1年後くらいになるであろうか(実際には2023年9月25日に再訪)。

(おまけ)三岐鉄道北勢線(小ぶりな感じがよい)

記録

  • 船旅の距離:実測距離不明で、七里の渡しにつき、28kmとしておきましょう。

  • 総歩数:18,283歩

  • 実際に歩いた距離:11km

  • 訪れた宿場:桑名宿

  • 宿泊:なし

本日の行程

七里の渡し学習会クルーズのルート

広重の絵

桑名宿

「桑名 七里渡口」
 七里の渡しの旅路を終えて帆を下し、波に揺られる帆船の後ろには、どっしりと構える桑名城が対比的に描かれている。
現在の七里渡口周辺

(参考)


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