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ぽん太の東海道五十三次歩き旅(11)平塚→二宮

こんにちは。ぽん太です。GWに先回りしてしまいましたので、今回未踏破区間である平塚~二宮の区間を歩きました。これで、日本橋から三島まで無事つながりました。


旅日記

 2022年6月4日。9:30 JR平塚駅を出発。旧東海道沿いに進み、江戸方見附跡・脇本陣跡・本陣跡・平塚の碑へと進む。
 「平塚」という地名は、桓武天皇の曽孫高見王の娘政子が東国に向かう途中この地で没し、その棺を埋めて塚を作ったところ、塚の上部が平らであったため「平塚」の地名となった伝承があるようだ。

平塚宿の江戸方見附跡。石垣のレプリカのようなものあり。
平塚宿の本陣跡。碑が残るのみ。
平塚の碑

 立派に復元されている上方見附から1号線に合流し、花水橋を越えると、右手に立派な高麗山が見えてくる。そしてスーツさんのYouTube動画にもあったJR相模貨物駅に立ち寄る。貨物駅だけに、コンテナがいっぱいだ。

平塚宿上方見附。真っすぐの道は1号線、右の道は旧東海道。
JR相模貨物駅
高麗山
藁ぶき屋根の古民家(1号線沿い)

 10:30頃、また1号線と離れ、旧街道に入ると、すばらしい松並木の道が数キロにわたって続く。このあたりは広重の絵「虎が雨」にもある虎御前の故事や伝説の舞台でもある。虎御前は詩歌管弦にも長じた白拍子で、曽我兄弟の仇討ちの兄・曽我祐成の恋人であったが、祐成の死を悲しみ流した涙を「虎が雨」と呼んでいる。

大磯の松並木その1
紫陽花が見ごろだ

 松並木を抜けると大磯の町だ。すると大磯教会・新島譲の終焉の地碑などが現る。大磯教会は1886年に米国メソジスト監督教会の宣教師によって建立された歴史的なキリスト教会であり、教会の建物も歴史を感じさせる。

 新島譲は同志社の創設者であるが、2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」でもやっていたが、同志社の大学昇格に向けて尽力中に大磯のこの地にあった旅館で47歳の若さで召された。志半ばでさぞ無念だったことだろう。

日本キリスト教団大磯教会
新島譲終焉の地碑

 時刻はお昼時になったので、2年前にも立ち寄った「めしや大磯港」に寄ろうとも思ったが、人気店でかなり並ばないといけないので諦め、街道沿いの蕎麦屋(松涛庵)に入る(11:40-12:00)。胡麻せいろを頼む。今日は暑いので、冷たい蕎麦がうまい!

大磯の松並木その2
松涛庵の胡麻せいろ

 昼食後は12時に出発し、大磯の松並木を抜け、明治記念大磯庭園(無料)を少し散策。大隈重信や陸奥宗光、旧古河財閥の別邸などが綺麗に保存されている。バラ園もある。そういえば、都内にある旧古河庭園にもバラ園があるが、古河家はバラの愛好家だったのであろうか。

明治記念大磯邸園
大磯邸園
バラ園

 12:30過ぎこゆるぎ浜に立ち寄り、一休み。波の音を耳にしながらしばらくボーっとするのが幸せなひとときだ。すると突然パラグライダーが降りてきてビックリ。
 その後また1号線に戻り、城山公園・旧吉田茂邸など見どころはあるが、行ったことがあるので今回はパス。ひたすら国道を歩いて二宮には14:30に到着。これでようやく、日本橋から三島までドッキングされたこととなる。さて、今日も銭湯につかって帰ることにするか。

 それにしても今日は消化試合のようなウォーキングであったが、今年の夏も猛暑のようなので、次回は9月から再開。

大磯城山公園
こゆるぎ浜。遠方に江ノ島が見える。
突如パラグライダーが下りてきてビックリ!

記録

  • 総歩数:30,246歩

  • 実際に歩いた距離:18.1km

  • 訪れた宿場:大磯宿

  • お風呂:富士見湯(藤沢)

  • 宿泊:なし

本日の行程

平塚から大磯までのルート

広重の絵

「大磯 虎が雨」
「曽我兄弟の仇討ち」を果たした曽我十郎は討ち死にし、その恋仲であった大磯の遊女虎御前の涙を雨に見立てて梅雨の雨を「虎が雨」と呼ぶ。高麗山のふもとには大磯宿の家並みと松並木が続く。雨に濡れた旅人が旅路を急いでいる。左には相模湾が見える。

(出典)


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