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パン作りと映画鑑賞

こんにちは。絶です。

ヘッダー画像はパン作りをしている私と、映画を観ている私です。

今日はパンを作って、映画を二本観ました。今もう一本観ている途中です。

まずはパン作り。
なぜか生地がベッタベタになり上手く形成できなかった結果、トゲピーみたいなパンが爆誕してしまいました。でも、味は前回より美味しいです。次回は綺麗に作れるように頑張ります。

次は映画です。一本目は「この子は邪悪」です。
悲しい映画でしたね。まさか、ウサギと魂を交換しているとは。玉木宏は精神科医というより、魔術師みたいな感じでした。

鈴の音で意識が朦朧としていくのは、「ゲットアウト」のスプーンの音が鳴る場面を連想させました。

繭子のホクロを花が擦った瞬間に、目がギョロギョロなりだしたのは本当にびっくりしました。ホクロがかすれた時の花の絶望感は半端なかったと思います。

タイトルの「この子は邪悪」の「この子」というのは、最後産まれた赤ちゃんのことでしょうか?あの赤ちゃんは玉木宏が死に際に魂を交換したので、玉木宏の魂が宿った赤ちゃんですもんね。確かに邪悪です。

純の魂は結局ウサギと交換したままなのでしょうか?
おばあちゃんもかわいそうでしたね。

誰も幸せになれなかった悲しい結末でした。

二本目は「正欲」です。
これは観ていて辛かったです。
私は普通になれなかった側の人間なので、彰良の言っていることも分かるし、稲垣が言っていることも大人になったからですが理解できました。

「普通」な人と「そうでない」人が理解し合うには、話し合いが必要です。
でも、稲垣は話し合いを避けた。彰良と奥さんは理解してもらおうと、必死に話しました。それでも話を聞かなかった。佐々木と諸橋と話すときも、稲垣は理解しようとしなかった。

奥さんと子供に逃げられて当然です。避け続けた者には何も残りません。

世間の「少数派」は常に生きづらい。世間には、「少数派」=「異常」という認識があります。人に打ち明ければ馬鹿にされ、理解されない。その中で同士を見つけるのは非常に難しいです。

世間では「異性愛者」が「普通」とされますが、もし「同性愛者」が多数派だったら、世間は「異性愛者」が「異常」だと思うでしょう。つまり、誰しも「普通」にも「異常」にもなりえるのです。全ては「世間次第」です。

だからこそ、避け続けるのではなく、話し合い、理解し合うことが大切だと思うのです。

かなり深い映画でした。私の意見に納得いかない方もいると思いますが、ただの個人の意見なので、軽く受け流してください。(小児性愛など、行動に移すと犯罪になるものは良いとは思っていません。)

「この子は邪悪」と「正欲」に共通するところは、ロケ地が同じ場面があったところですね。あとは、辛く悲しい話だったということです。

三本目は「スワロウ」です。
旦那と義理の両親が妻のことを全く理解していませんね。
看護師を家に呼んだ時は、トチ狂ってんなと思いました。旦那も義理の両親も、妻ではなくて子供だけが大事なんだなという感じです。こんな家庭、日本にも沢山ありそうですね。

ハンターは最後、子供をおろしましたね。その後に流れる歌がハンターの意思の強さを表しているようで、とてもよかったです。

ハンターには幸せになってほしいです。食べたビー玉が綺麗に出てきたことに感動していたハンターが可愛かったです。

まだいろいろ書きたいですが、うまく言葉にできないのでやめておきます。

久しぶりにこんなに長くnoteを書きました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

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