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中之条ビエンナーレに行ってきた。

 2023年10月4日に、中之条ビエンナーレに行ってきました。
 弊団体の代表・青砥さんの別のお仕事の関係で誘ってもらえて、白河市の地域おこし協力隊の方お二人と一緒に行ってきたのですが、レポート書こ〜と思いつつ、ただ書いて社内に共有するだけは勿体無い気がしたので、noteに書いて、これを社内に共有しようと思います。(それで良いのかは不明)
 見た作品全部への感想を描く元気はないので、一部の印象に残った作品をピックアップします。


出発

 白河市地域おこし協力隊のアート振興担当・升井さんと、同じく地域おこし協力隊で佐川だるまで活動している山口さんとの3人で、雨の中出発。朝の6:00に市役所集合というハードなスタート。ここから約2時間半、車での移動でした。(升井さんが行きも帰りも運転してくれました。ありがとうございました。)
 車の中では、白河でより多くの人がアートに触れられるようにするにはどうしたら良いんだろう、とか、いろんなことを話しました。(1週間経ったらかなり記憶が薄れていて悔しい)
 最近EMANONでお客様と「白河の人ってなんでこんなにアートに興味がないんですかね」という話をしていたのですが、「そもそも触れる機会があんまりないよね」というのと、「小学校の図工はやらされている感が強くて嫌だった」という話を聞いて、なるほど〜と思っていました。そして、小学校の中に図工より自由にアートに触れられる場所や機会があれば良いのかも、とも話していました。
 その話をお二人にしたら、「えっでもアート関係のこんな場所もあるし、こんなイベントもあるよ」と言われ、それが印象に残っています。それは私が知っているものではあったのですが、そもそもかなり感度高くアンテナをはっている、もしくは近くにいる人にしか伝わっていない気がするというか。アートに触れられる、それが誰でも選択できる(選択しやすくて、かつ選択できる)ようになるにはまだまだというか、白河では市民からかなり遠いところに「アート」がある気がします。もっと身近じゃないと、興味も湧かないというか…。これはまだまだ言語化が必要そうです。

六合(くに)エリア

 最初は六合エリアを訪れました。六合エリアは豊かな自然が近い、山の中に田んぼがあるような地域で、ちょっと高度が高いところにあるような感じがしました。(地理とか地形にあまりに詳しくないので、ふわっとした説明)

六合の風景。六合のインフォメーション「お蚕さんの里」の前で撮りました。

かいこの家

 柳早苗さんの作品があった、「かいこの家」。
 養蚕が盛んだった六合・赤岩地区の歴史や養蚕についての情報がありつつ、それらの普段の展示とともに作品が置いてありました。

絹から出てくる猫。なんとも言えないこの表情。
養蚕のことを紹介している常設と思われる展示。

 ここで印象的だったのは、作品の紹介を見る限りは時の流れや、過去に思いを馳せた時の時間の行き来の感覚を作品にしているように見えて、それが養蚕という今はあまり馴染みのない文化の展示を見て過去に思いを馳せるその場所に馴染んでいたことでした。
 その土地の歴史や文化と馴染んでいる。そこにただ置いてあるというより、当たり前のように置いてあるようなこの感覚を感じられることが、地域に根ざして開催される芸術祭の醍醐味な気がしました。

篠原家

 二人の作品が置かれているこの場所、篠原家。
 多分普通に人が住んでいるのであろう民家の、土間と土間からすぐに上がれる部屋に作品がありました。

後ろにはこの家に昔からあるのか、今回の展示で用意されたのか、いろんな生活の道具などが置かれていました。

 内なる思考が内から外へ、「部屋」から「外部空間」へ投影される、そんなことを表現した作品。編まれた布を下から辿ると、上に映像が映る小窓があって、そこから小さい女の子が覗いている。
 私は、この編まれた布の形状から、この布は川を表現しているように見えたのだけど、川を辿っていくと女の子が小窓から現れる、というこの作品を見て、小さい頃、母の実家がある表郷で、田んぼの横にある用水路の流れをひたすら見つめた時間を思い出しました。飽きずにずっと、何か生き物はいないか、水の流れがどうなっているのか考え続けている時間、視線。それが自分の側に向けられているような、不思議な感覚になりました。

もうひとつの作品、チュアン・ホーの作品「海を見るシリーズ-破片」。この作品の意図していることは私には汲み取りきれなかったけれど、この作品で印象的だったのは、後ろに見える、この家の物。

映像が映るスクリーンは薄い布で、その後ろにブラウン管のモニターや日本人形がたくさん積んであった。

 最初はこの作品の一部だと思ったけれど、多分これはこの家、この部屋に元々あった物。それがここに寄せられている。その前に波が、海がある、不思議な空間。作者の意図に関わらず、これも作品の一部になっている気がする。この、町の生活と作品が同居している、そんな空間が、素敵だと思いました。

 ちなみに、この民家、家の前にはドリンクが100円くらいで売っていたり(すごく手作りで、パラソルの下にクーラーボックスがあって、そこにペットボトルのお茶やコーラが置いてある)、雨が降っているからと作品を見にきた人向けに傘が置いてあって自由に持っていけるようになっていたりして、この町の人も一体となってビエンナーレができあがっているような感じが、私の作り上げたい空間の一つだな、と思いました。

石の小屋

 普通に民家や畑が並ぶ道を登っていったところにある石造りの小屋。

普通に民家が並ぶ道を登る
北欧っぽい(?)石の小屋。町並みに馴染んでいる。

 写真はちょうど良いものがないのだけど、ちょっとした水場・釜戸と、小上がりのある小屋で、入ってパッと見た限り、どこにも作品らしいものがなくて、キョロキョロしました。
 「これ自体が作品ってこと?」と言いつつ、キョロキョロしていたら、誰かがふと上を見て、「あっ」と言ったので、作品に気がつきました。
 梁の上側、普通に1階部分に立っていては気付けない位置の壁と天井一面に、絵が描かれていて、圧倒される。

一番好きだと思った部分。この女性の慈愛に満ちた表情。

 黒い線で描かれた輪郭、黒髪の女性と、金髪の女性。
 山口さんは「みんな楽しそうでよかった」と第一印象を話していたが、私にはちょっと不気味というか、怖く感じました。まるで死者がダンスしているような、彼女たちは楽しいのだろうけど、こちら側から見ると怖い、そんな感じ。(ホーンテッドマンション?)
 キャプションには「決して止めてはならない終わらない流れがあります。」とあり、これを生と死の繰り返し、というか、輪廻のことを表しているのでは、と思っています。
 印象的だったのは、私と山口さんの印象が全く違うところで、こうして複数人で見にきたことで、感じたことを話せる楽しさを感じることができたのがよかったです。
 あと、こんなふうに、元に戻せないような形での作品があるということ。小屋は比較的新しいように見えたけれど、だからと言ってここ1年でできたという感じもしなかったので、これを許可してくれた誰かがいるのだろう、ということ、そしてこれがきっとここに残るんだろうという期待にワクワクしました。
 私はやはり、町の中にアートというワクワクのかけらがあり続ける、そんな状態が好きです。

宇宙人

これ、全然作品じゃないのですが……。通りかかったらまるで「宇宙人」っぽい音が流れていたので、作品があるのかな〜と思っていたんですよ。
そしたら、全然作品でもなんでもなく、ただ水が流れる音がパイプを通して聞こえていただけでした。
すごくないですか?まち全体に作品が溢れている期間だったから、なんでも作品だと思ってしまうというミラクル。
ここで3人ともぶち上がりました。

中之条市街地エリア

NIKUNIKU

ファンシーだけどちょっとダークな世界観と、お店の雰囲気がとてもマッチした作品たち。

くるくる回る能面とおちゃめなマスイさん。この作品たちがこの日唯一、「え、作品と一緒に写真撮りたい!」ってなったのは、なんでだったんでしょう。

個人的にはずっと奥に動き続ける(ずっと拡大され続けていく)動画作品が好きでした。

動画作品。これは中華な雰囲気(?)

正直、どんな意味がある作品なのかなんて何もわからなかったし、キャプションには「私たちは肉です。」としか書いてないんですけど、むしろそのわからなさ(勝手に見て勝手に想像して、しかも勝手に作品に参加できる感じ)が最高に楽しかったです。私、こういうの白河でやりたい。なにか作ろうかな。

ヤマグチさんも良い感じに入ってくれた。最早作品関係ないけど。クマのシャツもかわいい。今思ったんですけど目がキラキラしすぎている。素敵。

醸しの間(旧廣盛酒造)

旧廣盛酒造には複数作品の展示がありました。そのうちの一つ、《醸しの間》。

醸そうとしているマスイさん

吊り下げられた木の板を動かすと、上のボールがぐるぐる動く。色が塗ってあるのか、クレヨンの玉なのか、木の板にいろいろな色がついちゃっている。いろんな人が「醸した」んだろうな。
お酒を作ったことなんてないし、作り方も詳しく知らないけど、なんとなくお酒を作っている気分になれる。この「場」との一体感を感じられる。そんな作品でした。
キャプションにあった「今回は、作品を作るということではなく、なるべく作品を醸したい。」「そんな作品をよく飲み、よく酔っていただければ幸いです。」とあった。よく飲み、よく酔えました。

旅の神様を追って(旧廣盛酒造)

同じく旧廣盛酒造にあった作品。木で作られた大量の道祖神と、中之条の人々のポートレート作品。
中之条の木の道祖神が国立民族学博物館にあるらしく、それが作者と中之条の初めての出会いとのこと。
ポートレート作品と木の道祖神たちがどう繋がるのか、と思っていたが、キャプションを読んだら、今も山道に残る石の道祖神について「仲良く二人寄り添う様子の道祖神から、人と人が織りなす深い結びつきや、自然との関わり方が伝わってくる。」とあり、人と人、人と自然のつながりを作品にしていることがわかる。

蚕と桑の葉に扮するおじいさん。元は養蚕農家。
実物の衣装にテンションが上がる
花束になる花農家さん
いやもうとにかく素敵〜〜〜〜〜!

多分この日イチ、テンションの上がった作品だった。
この写真を撮るために、きっとこの人たちとしっかり話して、きっと仲良くなって、手伝ってくれることになって。プロセスを想像してしまって、とても愛おしくなった。中之条への、そして中之条の人への愛があるな〜と思いました。
地元にどんな人々がいたのかの記憶って残りにくいと思うのだけど(やっぱり「有名な人」って限られるし)、有名な、記録に残る人々以外にも素敵な人、おもしろい人ってたくさんいて、そういうのがこういうキャッチーな、素敵な写真で残るのって本当に素敵だと思います。

伊参エリア

あなたの音を探して

LIilyという方の、田畑を荒らす鳥や獣を追い払い、五穀豊穣・町内厄災・家内安全を願う祭り「鳥追い祭り」からインスピレーションを得て、制作された作品。

お祭りの様子の動画と、法被の展示
木の板を踏むと太鼓の音が鳴る

「自分の音を求めながら受け継がれる鳥追い太鼓とタップダンスに通じるものを感じ、」制作されたこの作品。
木の板の上で「タップダンス」をすると、太鼓の音が鳴る。
お祭りへの視線って、民族学からの視線とか、写真を撮るのが好きな人だけじゃないんだ、アートからの視点で、こんな組み合わせが、タップダンスと太鼓の音という組み合わせが生まれるんだ、というのが本当に面白かったです。
意外な組み合わせ、をランダムに作ることでできる意外なイベントとかやってみるの良いな〜と考えたり、地元のお祭り(提灯祭り)を何か意外な形で記録に残したいな〜と思ったりしていました。
提灯祭り、本当に好きなんだけど、コロナ禍に一気に衰退したように感じていて、これが元の熱に戻るには市民みんなが、特にお祭りに中心で関わっている大人の人たちが本気で「やりたい」と思うのが必要だと思っていて、それに少しでも力になれたら良いのに、と思っていたから(というかまた元の熱、なんなら元を超える状態でまた提灯祭りしたい、と思っているから)、そんな意外な形で何か力になれたら、と思った作品でした。

帰り

帰りはまた、車で2時間半。運転していただいている身でありながら、帰りは爆睡してしまいました…。
白河に着いた後は、サイゼリアに行き、ヤマグチさんと間違い探しをしたり、3人で今後の活動についてご飯を食べながら話したりしていました。
12月はそれぞれが忙しい、ということで、すぐにはできなさそうですが、六合エリアで出会った宇宙人や、他の場所で出会った雨がたまりすぎている傘(何を言っているかわからないと思いますが、本当にあったんです)などから着想を得て、とある街歩きイベントをしたいね〜!という話をしました。乞うご期待。

そんなこんなで、中之条ビエンナーレの感想をここに記しました。書き始めてから何週間経った?という感じなのですが、やっと書き終えたので、推敲もほぼせずにとりあえず出します。あとでちょっと直すと思います。
ビエンナーレを見に行ってからすでに1か月半は経っていてびっくりしているのですが、このあと年内にはユースワークキャンプ(これもすでに1か月半は経っている)についても書きます。

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