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春、君と別れる

「お互い好きなんだから。そうでしょう?無理して別れることないって、俺はまだここにいるんだし」

この不毛な論争を、もう何度繰り広げたことだろう。
彼と出会ったのは、つい先月のことだ。マッチングアプリなんか、自分には一生縁がないと思っていたのに。
身長が何センチだとか年収がいくらでとか、好みのタイプやあとは凝った趣味なんかが文字になって羅列される退屈な画面を眺めながら、右に左に指を動かす。

―誰かに出会いたい?
そうなのかもしれない

―恋がしたい?
きっと限りなくそれに似た何か。

恋に、結婚、夢とか。
名前が付くと怯んでしまうような内容ばかりで、私という人間と欲望は完成されていて、どれ1つを取ってもちっとも具体的じゃない。こんなの想像していた22歳の私じゃない。つまんない。
よってマンネリ化した日常から脱出するべく、声も知らない彼と水族館へ行ったのだ。

「イルカショーだって、見る?」看板を指さしこちらを振り向く彼の柔らかく上がった口角や、骨ばった白い指に恋をするのに、時間は要さなかった。
イルカショーが終わってもベンチから立てず、跳ねる水面や反射する光を1点としてただ眺めた。拍手をしている時も、意識は彼の座る右側にあったし、今だって、「この後どうする」の一言を期待している。

その後は2人でご飯を食べた。
帰り道電車の中で小さくガッツポーズする。そうして私は、彼の恋人になった。
この街にありふれた出会いの内の1つなんだろう。何も特別なことなんてなくて、私以外の誰かから見れば当然の結果だったかもしれない。
でもそれでいい、彼に出会った。心臓の少し上あたりがきゅっと締め付けられる感覚を覚えた。乙女心が最後に黄色く光ったのは、彼が東京で就職することを知る少し前だろうか。

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