見出し画像

非モテレズビアンのはじまり②

前回は大学に入るまでを書いてみましたが、今回はその続きです。

前回(高校時代~大学入学まで)はこちら。

大学時代の恋的なもの?①


大学生になったもののコロナ禍で何もすることなく半年が過ぎてきましたが、夏休みを過ぎ少しずつ授業やサークルなどで大学に行き始めました。
そこで私は恋的なもの①に出会います。

相手はサークルの先輩(男)でした。その人は年齢不詳で、インドで死にそうになったり、高校時代に日本一周したり、意味の分からない経験をたくさんして、いろんなことを知っていて、キラキラしていました。
その人と話したくてサークルに参加して、ご飯に誘ってみたり、相談を持ち掛けてみたりしていました。同じ授業を取ってみたこともありました。

けれども、自分の中で「これは恋なのだろうか?」という思いがずっとありました。”恋に恋している感”がずっと拭えなかったのです。

それにその人とキスしたいとか手をつなぎたいとかいうこともなく、独占欲も全くなく、ただただ会えたらうれしい憧れの人といった感じでした。
友達に話してみても「それは恋だよ」という人と「恋じゃないよ」という人がいて、自分でもわからなくなっていました。

アセクシュアル自認時代①


「恋とは?」とか「恋かも」みたいなことを検索してたとき、私の頭に浮かんだのは「アセクシュアル(Aセク)」のことでした。

言葉自体は知っていたし、共感はしていたけれど、自認はしていなかった。いろいろ調べるうちに、自分もAセクだと思うようになりました。少なくとも、Aセクを自認する方のお話を聞いているのが心地よかったのです。

Aセクを自認するまでにも葛藤はありました。誰とも付き合っていないのに、まだわからないではないかとか、性欲が他者に向くことはないけれども性欲自体はあると感じていたので、それでもAセクなのかとか。

けれども、その疑問に答えてくれたのが、この本。

ジュリー・ソンドラデッガー/上田勢子訳『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて―誰にも性的魅力を感じない私たちについて』(明石書店、2019)

Aセク界隈ではおなじみの一冊ですが、Aセクかも?という人と、周りにAセクの方がいるという人にはおすすめの一冊です。Aセクの多様なあり方を教えてくれました。

そして、いろいろ調べているうちにコミュニティがあることも分かってきて、アセクカフェなるものに参加してみました。私が参加したときは、店主の方、その他のお客様が5人ほどでゆったりと自身の経験や好きな本や映画などについてお話ししました。

初めて夜に出歩くドキドキ感と他の大人の方のお話を聞いて、案外自分も何とかなるのではないかと思うことができました。

それでもやっぱり日常の中の疎外感は消えなくて、友達が恋愛の話をするときや、街でカップルや家族連れを見るたびに「わたしにはこんな未来は訪れないのだ」という思いしかなく、勝手に暗い気持ちになっていました。

今思うと、この時代が一番しんどかったような気がします。アセクシュアルの自認について難しいことは、「〇〇でない」ことを証明するのは不可能なことにあると思います。


Aセク時代は実はまだ続くのですが、またまた長くなってしまったので、今回はここまでにします。

まだレズビアンにはたどり着きません。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?