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長崎 伊王島

母が生まれ育った島。伊王島。
長崎港から船で🚢約20分。
昔はいくつか島を経由していたので、もっと時間がかかっていた。
長崎港を出るとマリア像が目印の神の島、夏は水泳教室が行われていたねずみ島や高島等を回りやっと伊王島に着くという具合に。
母の実家は馬込という町。白い教会と浜辺の間にあった。因みに教会の祭壇には母が編んだレースがかけられている。多分今も。
港から教会の前を通り母の実家へ行く途中、家々の屋根に白い物が並べられていた。母に聞くと芋を干しているんだと聞かされた。

母の実家からは海が綺麗に見えた。
お風呂は五右衛門風呂で玄関を出た所にあった。
鶏🐓や豚も🐷もいて祖父が解体した豚がぶら下がっていたのを見た記憶もある。
でも祖父は漁師で砂浜に網が張られ船も置いていた。
美味しい魚や海老、サザエ、アワビをよく食べていた。
一度船に乗せてもらったけれど、船酔いしてキツイ思いをしたので二度と乗らなかった。

夜は祖母、母、母の妹達が集まって遅くまで喋っていた。遠くの海をポンポン船やタンカー船が通っていた。

私が幼い頃、伊王島は炭鉱の島で、黒い石や土?ベルトコンベアーの風景が脳裏に焼き付いている。
炭鉱で事故があった年のお盆には炭鉱の社宅に沢山の灯籠が下げられていた。異様な感じで怖かった。

お盆の翌日は「クラゲの出るけん海に入ったらダメよ」と言う母の言葉を聞きながら、従兄弟達と海に行った。
お盆で流された動物に見立てられた精霊馬?やお供えの果物等が海にぷかぷか浮いていた。

何日か滞在し帰る時は長崎市内の家に帰るホッとする気持ちと、慣れてきた島から去る寂しい気持ちで子供ながらに切なかった。
海の向こうから船が来ているのを見ながら乗り遅れないように港までよく走っていた。

今は「やすらぎの島」と言われているがその前は「ルネサンス伊王島」と言われている時があった。
姉が母を連れて会社の人と会った時、会社の人に「お母さんは出身はどこですか?」と聞かれ「私はルネサンスです」と答え会社の人は⁉️姉は慌てると言う事があったらしいです。

罪なネーミングをしたものです。


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