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椎間板ヘルニアは凄い痛いが後の痛風発作への耐久力が上がるので順番を間違えてはイケないw


今から16年ほど前に左足に鈍い痺れを感じた。
所謂トリガーポイントと言われるケツエクボにソフトボールグリッたら何か気持ちいいので
(恐らくアカンがマッサージしたらいける!)
と無茶仕事していた。

介護福祉士の仕事は代わりが居ない上、デイサービスだったのでデスクワークもかなりのキャパを占めており、小さい所なら国保連に請求する業務なども兼務する。
要はほぼ日曜しか休めないw

だが、昭和の学なし社畜は
(働かして頂いて有り難うございます)を地で行ってるので病院には行かない。

職人やってた時もギックリ腰して現場で寝てる俺に親方はそっと次の出張図面を置いて行ったw

「アンタは勝手に高校辞めたんだから人より動かないと」と新潟の豪農育ちの母が言うので
(そういうものか)と漠然と考えていたと思う。

以外と素直な自分が怖い。抗う術を持たなかっただけかも知れないが。

介護業界に入ってから腰の爆弾は炸裂した。
鈍痛っていうのは以外と辛い、一瞬の激痛は我慢出来るだろうが休み無く続く痺れは自身の身体が
(お前の腰はダメだ!)と顕著に伝え続ける。
(これ以上酷使するなら覚悟するんたな!)
とびびかされている様だ。

自分でもわかる。

彼女であり上司である看護師に

「年末年始少し休まして」とお願いした。

彼女は答えた、おおよそ世間一般的に看護師さんが見せる「大丈夫ですよ〜」的な微笑みで。

「いいけどお願いがあるの」病院に行けるなら大体のことはOKだ。

その年元日の俺は彼女と難波に居た。
CECIL McBEEとかいうブランドの閉店福袋的な動員だった…
正月早々NMBのイベントに並ぶオタクを見て彼女は「キモ〜いw」と笑うが痺れる左足を引き摺る俺は彼等が羨ましかった。

もちろん運転も俺だw 
看護師さんの言う大丈夫ですよ〜は大丈夫じゃないw
むしろ(忙しいから話しかけんな!)的なニュアンスもある。ある人もいる。みんなじや無い。

その後切って再手術もなく現在に至るが、もう看護師さんと付き合うのはいいかなと思いましたw子供達は懐いてくれたが自分の娘に会えないから育てられないから、彼女の娘たちを世話したのだと思う。

生きる事は苦しいもので普通に与えられた幸せが俺に無いのは俺が悪いのでは無く損をしている!

だから仕事はするが好き勝手に酒を飲み時折暴れる。
俺は悪くない!
当たり前に幸せになる権利を奪われたんだから。

職人の時に子供が出来て、義理親に
「安定した職じゃないと結婚は認めない」と言われて給料半額のサラリーマンになった。

そして離婚した。

俺はもっと金を稼げるのにお前のせいでこうなった!

と実際言って無くてもそう見えたのだろう、娘は愛しているがもう合わす顔もない。

看護師の彼女の子らとの生活は2年程続いた。

(代価行為だ…)とわかっていたが、忙しい彼女に代わり洗濯したり御飯を作るのが楽しくなっていた。
人生振り返りの時だったんだろう、自身の娘が大きく育った的な錯覚で多少の幸せに浮かれていたのだろう。

バイクでクラッシュした。

単独だが全治3ヶ月の粉砕骨折×3個所だった。

結果俺は独りに戻り会社も変わった。
その時の痛みもヘルニアには敵わない。だいぶん精神ダメージ入っているがw

令和の若者たちよ!仕事なんて本気でするなよ!

7割の力で義理は果たせる。

人生は会社の運営とはあんまり関係無いよ。

自分の心が何をしたいのか多分言ってる、あなたに迷惑にならないように、あなたの周りの社会人に疑問を持たさない様に。

でも気づく自分の人生は自分のものだ!
次に私が挑戦するのは尿管結石だ!w

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