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あっ!まだ食べてない!

人類の歴史と供に偉大なる食文化は進化し続けてとどまるところを知らない。
たかが50年生きてるオッサンでは聞いたことあっても食べた事無いもの、未だに知らない謎の食べ物が世界に溢れている。

近所にスーパーがあり同じ様なものがそこら中で販売されるネットワークが完成されての結果、毎日同じ様なものを摂取するという経済的食物連鎖が幅を利かせる。

たまに「お父さん今日は奮発しちゃうぞ!」と意気込んで外食しても、一般の家庭は牛角止まりなので経済的な連鎖からは抜け出せない。(マヨ的偏見です)市場で扱い易く価格が変動し難い食材を捌くのは企業も家庭も変わらない。

「珍しい美味しいものが食べたい!」と叫んでみても高い。

既に没落国家と化した我が国では貧乏人を増産しているし、もし珍しいものを食べても同調圧力で黙殺されるだろう。

もし頭の上に摂取食材ステータスが表示されていたら政府は転覆すると思われる。
(あの政治家、口では底辺に寄り添うとかいいながらあんな贅沢品を毎日…)
(ベンツ乗ってるって自慢してるお隣さんもやしづくしだわ、いい気味)なんて事になりかねません。食い物の恨みの一種と言える。
マヨさんいい年なのに今まで食べた伊勢海老が修学旅行で食べたのも入れて2匹とか可哀想。
とか、豚の生姜焼きをステーキだと教えられたらしいから牛ステーキの摂取量が低いとか言われるのだ。他にも
味噌汁の蜆を食べる派閥や
グリーンピースを憎む会
チョコミン党
すべてのおかずに八丁味噌推進委員会等がくんずほぐれつの争いを始め、
我等、マヨネーズで洗顔する会は目玉焼きに何をかけるか?
という究極の問いのもとに
ソーサラーズ(なんでもソース派)や
岩塩は肘でワンクッション党(金持ち)と血で血を洗う抗争に身を置くだろう。

要するに毎日の食事がルーティンにはまっており、また自身もそれに甘んじている。
逆にその毎日の食事が1番安心的な想いが冒険心を殺している。

昨今の「孤独のグルメ」が人気なのは五朗ちゃんが博打の様に色んな店の味に挑戦しているから。

そんな姿にルーティンから離れられない自身を重ね(自由でいいな)と頭の中だけでも五朗ちゃんになれるからだと考える。

最近マクドナルドのチーズが塩辛くて食べれない。
モスバーガーしか食えない。
天下一品のラーメンがしんどい。
食べたいのに受け付けなくなってきた。
椎茸の旨さに気付いた。
ちょっと待ってくれよ、まだ食べてないものいっぱいあるのに…


フカヒレの姿煮。作るのとても手間がかかる。本来食べるものではないものを無理やり料理する。

これとか細かく切られたやつしか食べた事無い。
しかも誰かの結婚式でヌルくなったやつ。

珍しい魚とか食べたい。ホウボウとか、あっ!のどぐろすら食べてない。味覚が衰える前に安心ルーティンから抜け出せないと。

私がなぜ マヨで洗顔 なのかは顔に塗るくらいにマヨネーズが好きだからだが、わかってもらえない事がある。
子供の頃鍵っ子だったので昼ご飯はインスタントのラーメンや納豆やお茶漬けでした。調理出来ないからね。

サッポロ一番やチキンラーメンに半ば飽きていたので御飯+調味料などで新料理開発に勤しんだ。
誤解を恐れずに書くなら、ごはんですよを食パンに塗ったのは私が初めての筈だ。

わかってもらえない料理とは?
熱々御飯に納豆をぶちこみおもむろにステアします。
シーチキンの油を全部捨て、出来れば水で洗ってキッチンペーパーで拭きます(当時は無かった)

生卵を割り入れシーチキンと供に納豆御飯へ。

マヨネーズを心のおもむくままに絞り入れる。
入れすぎてもそれは地球の引力のせいなので何も問題ありません。

お好みでネギ、生姜、ポン酢、鰹節など自由自在。キューリのキューちゃんや新生姜もGOOD。

もう黄色しか見えないマヨ洗丼召し上がれ!

美味しいのに今まで付き合った彼女も嫁はんも食べてくれない。(?_?)
納豆+御飯=旨い

マヨネーズ+シーチキン=ウマ〜

全部混ぜる=(゚д゚)激ウマー!
ってなるの当たり前なのに何故食べないのか?

みんなどう思います?

※サムネは水戸の老舗 天狗納豆のスーパーで手に入るやつ。ちょっとお高い。



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