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何も出来ない辛さ

昨今の日本では凶悪な事件が多くなっている様に思われる。
貧困から組織的犯罪にバイト感覚で加担する者。直情的に殺人を犯し逃げる若者。

私の世代(団塊ジュニア)は日本が好景気に湧いて盛んになっていくのを経験している。
ガキンチョでもゲーム機の進化で感じていた。
(ゲームセンターのゲームが家庭でし放題何て日本の企業は世界一だ!)と信じて疑わなかった。
みんなが頑張れば金持ちになれる!と前向きになれたのだろう。

みんな日本人は努力を惜しまず勤勉で真面目だ。と教えられて育った。

何か世間が暗く、夢のない若者を政治が作り出している様に感じる。
そうでなくても若者に希望を与える様な政策を打ち出して欲しいものだ。

方丈記を読んで気になった。

【世にしたがへば身苦し。したがはねば、狂せるに似たり。】

とあった。
世間や会社に従えばやりたくない事もしなければ生活出来ないだろうし、従わないとあっという間に不利な立場になるだろう。
「あいつは狂ってる」と陰口を叩かれる始末。

日本人は真面目と習ったのに大企業は不正を行い、政治家は税金を奪い合う。
同調圧力で国民を縛りコントロールする。隠すのが上手いだけでどこも同じかも知れない。

TVのCMで購買意識を高め、向かいの家が新車を買えば(ウチもデカいのを!)と見栄を張る。
内情は火の車でもだ。
そしてその生活を維持する為に世にしたがうのだ。世間にへつらい、他者を見下す。
企業の行う不正の片棒を担いでいるのに、愛する妻子の為に働くのだ。

方丈記の時代と何ら変わっていないのだろう。
作者の鴨長明という人は下鴨神社の禰宜に成りそこねて、(もう人間関係イヤァァァ!)と山に小さな庵を建てて晩年を暮らした初かも知れないプロキャンパーだ。
建てた庵が一丈(3メートル)の四角(方)なんで方丈記という。内容は地震や大火災の体験記とでも言っておく。
何で方丈記?と思うでしょうが私も心ある一人の人間として今回の能登半島地震を辛く思っています。
この寒い中、被災された方々に何も出来ずにただ憂いています。
結局私も生活の為に駆けつける事も出来ないのに、政府に文句ばっか言っては成果バイアスを拗らせている様です。
今行っても邪魔なのはわかるしボランティアにも水はいる。
わかっている、被災された方々を助けるのは自身がこの 何も出来ない苦しみ から逃れたいだけの浅ましい心理かも?と思ったのだ。

クリスマスキャロルのマーレイの亡霊の様に!

「ああっ!なんてことだ!分かち合う事が出来ないのを思い知らされる運命!」
寒空の下震える母娘を見るだけで救えない。
「生きてるうちなら幸せを分かち合えたもう永遠にその力がないのだ!」と嘆き悲しむ。
せめて小金を募金している。恐らくこれも自身の心を救って欲しいが為に。
私も身が苦しい。狂ってるとおもわれても自由で居たい心もあるが、人生ままならない。


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