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貴方に会えて“コウエイ”です。奥野煌永って誰?【自己紹介】

この記事に辿りついたということは
少なからず、私に興味を持ってくれたはず。
奥野煌永って誰?変な名前。と思ったそこの貴方。
少し自己紹介をしたい。

私は29歳女の日蓮宗僧侶だ。
福島県会津の寺に生まれ、高校生までここで育った。
紆余曲折を経て約3年前に仏道へ入り、
今は両親と共に自坊で暮らしている。

実をいうと、自分が僧侶になるとは思わなかった。
本当は音楽の仕事をしたかったのだ。
でも当時は自信がなく、大学も就職もそっちの道を選べなかった。

今は趣味で音楽を作っている。
作詞作曲・アレンジ・ミックス・録音・イラスト・動画作り。
上手い下手は別として、全て1人でやっている。
最近はラップも作る。韻を踏んで音で遊んでいる。
音楽は楽しくて自由だ。
選べなかった道だが、後悔はない。

しかし、僧侶になって早三年。
仏道は大変だし、かなり不自由だ。
嫌なことや辛いことがあると、いつも後悔する。
「なぜこの道を選んでしまったのか」と。

“煌永”(コウエイ)とは僧侶になってからの名だ。

病院ではいつも漢字を間違えられる。
「名前は師僧から頂くものだ!!」と叱られたり、
「キラキラネームだね笑」と揶揄される。
今の所、この名前に変えて良いことは特にない。

ただ一つ言えるのは、「私がこの名前を決めた」ということだ。
名は体を表す、と言うが、
この名にたいした意味は込めてない。

“煌めきが永遠”という意味なら
「煌々とした信仰を永遠にする」人にもなれる。
“光栄”(コウエイ)の音を持つから
「褒められたり、名誉に思う」人にもなれる。

これはダブルミーニング!?韻を踏んでいる?
いや、ただのダジャレかもしれない。


全て後付けであり、捉え方は自分次第だ。
私にとって大事なことは、「“私”がこの名前に決めた」ということ。
僧侶になって初めて、自分で生き方を選べた。
たとえ馬鹿にされても、不便でも、この名前を気に入っている。
なんてったって、文字からキラキラが溢れている。

お坊さんは決して1人ではなれない。
誰かに「有難い」と手を合わせもらって、僧侶でいられる。
その為にはまず、自分が他者に手を合わせ、誰よりも感謝しなくてならない。
そう学べただけで、僧侶になって良かったと思う。


「貴方に会えて“コウエイ”(光栄)です」
と言われる人になりたい。
私もそう言える人でありたい。

これを読む貴方に会えた時、
“コウエイ”(煌永)です」と言わせて。

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