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お守りを携えて【2023.08.20】

僕はお米が好きです。
小麦が体にあまり合わない時期があり、その感覚がなんとなくあるということもあり、基本的に主食としての炭水化物はお米を食べます。
ついでに言うと田植えをしてみたいです。

なぜいきなりお米の話なんだということですが、昨日炊飯器を購入しました。
台湾は外食文化です。そしてお米を食べる文化もあります。
例えば、魯肉飯(ルーローハン)、雞肉飯(ジーローハン)、飯糰(台湾式おにぎり、油條という揚げパンが入っているのが現地スタイル。取り除くいて注文する人もいる。)などがありますが頻繁に食べるには油が気になるところです。
もちろんお弁当屋さんとかもありそこで白米を食べることは可能なのですが、今別にこの副菜いらないんだよな、とか節約したいんだよな、この量の白米だけを買いに並ぶのもななどとしっくりくるものを見つけるのが難しい感覚が僕の中ではあります。(他の留学生はどうかわかりません)

なので自分の健康的な食の欲求にしっくりくるのか実験中という感じです。
これはやはり観光ではなく、長く住むという場合だから起こることなのでしょうかね。

さてさて話を戻します。
今日の朝お米を炊きました。

炊き立てで熱々のご飯を頬張る。
この上なき幸せです。

これは僕の中の「無条件の幸せ」の1つと言えます。
ただそれだけで幸せだということ。

その「無条件の幸せ」対して、褒められたから・承認されたから幸せのように、他人を介したり、○○だから幸せという幸せは「条件付きの幸せ」。

どちらも幸せであることに変わりはありませんが、後者はもし条件が満たされなかったら幸せを感じることができないという状態に陥るかもしれない不安定なものともいえます。

なので、安定的に幸せを感じられる「無条件の幸せ」を自分の中で分かる状態にして選べるようにしておくことは大事なのではないかと思いました。

みなさんの無条件の幸せにはどんなものがありますか?

と、自分の考えを述べているように見せかけて、この話題はとある本を読んでそう感じたという感想です。


土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』。

この本の内容を帯の内容をそのままお借りしてお伝えすると、

「楽しい」や「嬉しい」という感情は味わえるのに、どうして「死にたい」と思うんだろう?カウンセラーとの対話を通して、ままならない自己を見つめた記録。

死ぬまで生きる日記

という感じです。

綴られる言葉やカウンセリングのやり取り。そこには曇りのない本当があった。そんな印象を受けました。

僕も「どうして生きているんだろうとか」そういうことを考えてきたりしたこれまででした。
なのでその疑問に対して文章を読み進め、カウンセリングの進行とともに考えることがあったり、これは自分でも考えてみたい・実践してみたいと思うことがありました。

印象に残ったことは沢山あったのですが、3つだけ個人的にここに残しておきたいことを書いておこうと思います。

  1. 自分の頭の中にある・知っている以外の形で、人から受け取った愛情はないか想像して考えてみる。

  2. 人は直線的にではなく螺旋的に変わっていく。

  3. 一人でも独りじゃないと思える自分。


なんだが心がスッと軽くなるような、温かくなるような読了後でした。

これから僕も死ぬまで生きてゆく。


#留学生のひとりごと日記





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