ハウスホーファーと地政学の悲劇

イントロダクション

こんにちは、こんばんは、おはようございます!Renta@マレーシアから国際関係論について考える人です!今回は、地政学理論がもたらした悲劇ということで、ハウスホーファーを取り上げます。


ハウスホーファーの地政学の歴史的な要因

これまでのnoteで書いているように、地政学理論はその立論者が世界を見ていた視点に、多くを影響されています。

ハウスホーファーは、戦間期に活躍した地政学者です。戦間期のドイツは、戦勝国に領土を分割され多額の賠償金に苦しんでいました。
また、そもそもドイツは1870年代までまとまった国家として統一されておらず、数々の諸侯が群雄割拠していたのでした。

ドイツ人に限らず、およそ一定の民族にとって、生存の自然の限界とはいったい何であるか、これこそ諸国民がはるか以前からずっと問い続けてきた問題だった。ただドイツの場合には、交通の通信の革命が起こった近代になっても、まだこの根本問題の解決を見なかったことに、大きな悲劇の原因があったとおもわれる。

曽根保信、『地政学入門-外交戦略の政治学』(2017)、中央公論新社 p.97

ドイツ民族の歴史を代表するものとして、神聖ローマ帝国、北方のハンザ同盟、ブランデンブルク家の歴史、ホーエンツォレルン家、ハプスブルク家の栄光や、ワイマール共和国の屈辱などなどたくさんあります。また、地理的区分では、東はバルト海の沿岸からシレジア、ボヘミア、モラヴィアを越えて、遠く遥かにヴォルガの流域にまで及び、また西は北海の沿岸まで、さらに南はアルプスの山奥にまでが、「ドイツ地方」として認知されています。

それでドイツ民族の全歴史を書こうとすると、いきおい現在は外国の領土となっているところの歴史を書かねばならない羽目になる。

曽根保信、『地政学入門-外交戦略の政治学』(2017)、中央公論新社 p.98

つまり、ハウスホーファーにとって、ドイツが国家の領域と民族の居住地を一致させ、かつその国民を賄うためには、ドイツ民族が住んでいる国家をドイツの影響下に置くことが必要なのでした。

ハウスホーファーは、地政学理論をイデオロギーとして捉えていた節があります。というのは、第一次世界大戦大戦後のドイツ人という立場からすれば、上記のような要望を表明することは不可能だからです。よって、ハウスホーファーは自分のイデオロギーを、地政学という「科学」のオブラートに包んで表明しようとしていたのです。

ドイツ民族統一のための地政学理論

それでは、ハウスホーファーの地政学理論の詳細を見てみましょう。

ハウスホーファーは、ヨーロッパを5つに分割して考えます。
1.英国・フランス・ベルギー・オランダ・スペインなどの植民地国家群。これらは、ただ海を通じて、その搾取の対象と結ばれている
2.ソ連。これは、ただ陸地を通じて、その搾取の対象となる地域に繋がっている
3.植民地を保有せず、したがってそのわずらいも受けない中欧の小国家群。これらは要するに、ドイツという中央国家の残骸である・
4.やや空間的な広がりに恵まれた中欧の諸国(チェコスロヴァキア。ハンガリー・ポーーランド・ユーゴスラヴィア・ルーマニア・アルバニア・ギリシアならびにバルト海沿岸諸国)
5.比較的最もめぐまれた中欧の北部の諸国(デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランド)

分割の憂き目にあったドイツは、国家としての力を取り戻し、安全保障を成立させなければなりません。
ならばどうするか?ハウスホーファーは東方政策を志向します。
キーワードは広域です。

108 広域という発想は、単なる経済的または政治的な勢力範囲の概念と違って、そこに海外における植民地的発展の途を奪われたドイツ民族にとっての、内陸の方面における代替的な進出、という意味合いが込められている。

曽根保信、『地政学入門-外交戦略の政治学』(2017)、中央公論新社 p.108

元々、ドイツが1870年代に統一されたビスマルクの時代は、東方重視でした。

だから、ビスマルクは三国同盟(独伊墺)や三帝同盟(独墺露)を、外交上の対立リスク(墺vs伊と墺vs露)があるとわかっていながら結んでいました。

しかし、ビスマルク失脚後この方針は失われ、イギリスのシーパワーに対抗する戦略が取られたのです。しかし、第一次世界大戦によってこの試みは失敗したので、代替としての東方政策をハウスホーファーは提唱したのです。

では何故イギリスとの競走に負けてしまったのか?ハウスホーファーと親交があったシューマッハーは以下のように考えていたようです。

110 ここでシューマッハー(ハウスホーファーの親密な協力者)がとくに問題にしたのは、ドイツが他の西欧資本主義諸国と競争して発展しようとすることの経済的な損失である。ドイツがこのような政策を採り始めてから、それまであった人口の海外流出は止まり、反対に流入する労働人口を養うために多くの土地もしくは食料の輸入を必要とするようになった。こうして西側の影響による政治思想の自由主義化にもかかわらず、一向に国家膨張の圧力は減らなかった、というのである。

曽根保信、『地政学入門-外交戦略の政治学』(2017)、中央公論新社 p.110


イギリスとの競走に伴って、ドイツ人の海外流出が止まってしまったので、食料輸入が増えており、それが経済的損失に繋がってしまったのです。シューマッハーはハウスホーファーと親交があったため、ハウスホーファーも同じ見解を有していたと考えられます。

この問題の解決策として、ハウスホーファーが取り入れたのが、アウタルキーです。

アウタルキーとは簡単にいってしまえば、要するに経済的な自足性のことで、国民の基本的な要求は、その領域内の固有の資源で満たせるようにする、という平凡なことにほかならない。

曽根保信、『地政学入門-外交戦略の政治学』(2017)、中央公論新社 p.110-111

もちろん、アウタルキーをつきつめてゆけば、やがて国際的分業の原則に反します。しかし、当時のドイツの場合は、勢力範囲の拡張と植民地維持の競争に敗れた直後だっただけに、この訴えはかなりの説得力を持ったのです。

パン・リージョン構想

このように、ハウスホーファーの理論は自国を分割したイギリスやアメリカに対する被害者意識によって作られています。だから、英米に対抗しうる大国たちによって、ユーラシアを分割して権益を分け合おう、というのがパン・リージョン構想です。

113 彼(ハウスホーファー)はアジアに眼を向けたロシアとドイツとが互いに提携し、これにさらにできれば日本をも加えて、一種の反英・反植民地主義的な連合戦線を形成することを目標にしていたように見える。彼の判断によれば、英国のシーパワーは当面の脅威ではなかった。それで、むしろドイツから見て、本来最大の敵であるはずのロシアと手を結ぶ以外に、将来ドイツが世界に雄飛する方策はない、と彼は考えていた

曽根保信、『地政学入門-外交戦略の政治学』(2017)、中央公論新社 p.113

ハウスホーファーは、中東及び中央アジアはソ連、東欧はドイツ、地中海及びアフリカはイタリア、太平洋アジアは日本による分割を構想していたのです。

まとめ ハウスホーファーの地政学理論の悲劇

ハウスホーファーの地政学理論の悲劇は、ヒトラーに政治利用されたことにあります。もちろん、ハウスホーファーの理論自体が被害者意識に彩られており、攻撃的な側面が否めないのですが、それがヒトラーに知られ実践されたところに悲劇があります。

ハウスホーファーをヒトラーに会わせたのはナチスの副党首になったルドルフ・ヘスで、ヘスは第一次世界大戦中にハウスホーファーの副官を務めました。
ヒトラーはハウスホーファーの講義を聞いて、我が闘争のドイツ民族の生活圏のモチーフに使ったようです。

これは誰にとっての悲劇かというと、地政学という学問領域にとっての悲劇です(地政学なんてなくてもヒトラーは東方に侵攻していたでしょうし)。ハウスホーファーとヒトラーの1件によって、地政学は悪魔の学問というレッテル張りをされてしまい、日本の大学で学ぶことが困難になりました。ちなみに、現代の地政学ブームはキッシンジャーというアメリカの国際政治学者が、自身の理論や外交政策を説明する際に、地政学的(Geopolitical)という言葉を多用したところに源流があります。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考文献

曽根保信、『地政学入門-外交戦略の政治学』(2017)、中央公論新社

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