帰り際大きく手を振ってお見送りしてくれた話し

ご覧いただきありがとうございます。

本日も私自身と皆さんに、心からエールを送ります。
陰ながら応援していますので、どうか届きますように。

こんにちは!
Yu(ゆう)です。

本日は、先日久しぶりに妹と会ったときに、別れ際でわたしの姿が見えなくなるまで大きく手を振ってお見送りしてくれた話しを綴りたいと思います。

久しぶりのことで、素直に、とてもとても嬉しかったからです。

もしかしたら、同じような経験をした方もいらっしゃると思いますので、一緒に記憶を辿りながらお読みいただければと思います。

お見送りするとき

大人になってからは、家族や友人との別れ際に、大きく手を振ることがなくなっていたことに気付きました。

幼い頃は、よく友達の姿が見えなくなるまで大きく手を振っていたことを思い出します。友達も何度も振り返ってくれたり、少しだけ後ろ向きで歩いてくれたりして、お互いの姿が見えなくなるまで一生懸命手を振っていました。

ついに、友達が角を曲がってしまったり、カーブの中に隠れてしまい、姿が見えなくなった途端、とてつもない寂しさが押し寄せてきて、ついさっきまでの楽しい時間は終わってしまったのだと実感が湧き始め、いつも心を苦しくしていた記憶があります。

それでも、眠りにつく頃には苦しさから解放されて、楽しかった思い出が蘇り、そのことを家族に話したり、自分の中で浸るうちに、うとうとし始め、体力の限界とともに深い眠りについていたのだと思います。

今では、小さく手を動かしてバイバイをしながら「ありがとう!また近々ね!」とお見送りすることが増えました。

そして、家族や友人と遊んだ日は体力の限界で眠りにつくこともなくなり、帰宅後は日記に書き留めたり、写真を見返して思い出に耽ったりして、余韻を楽しむことができるようになりました。


その余韻のなか、いつも最初と最後に思い浮かぶのは、別れ際の景色や言葉です。

何度も思い浮かびます。素敵な笑顔で心温まる言葉を掛けてくれると何度だって嬉しくなりますし、自分もその人とは大切に接したいと強く思います。

笑顔と、言葉、は一時的に気をつけても、急には引き出されないものだと思います。きっと、日々の積み重ねが成せるスキルで、一人ひとり異なる魅力を持つものです。

私も一生懸命磨いていきたいと思います。

大きく手を振ってもらった時に感じたこと

では、笑顔と言葉さえあれば十分なのでしょうか。

今回の出来事を通じて私の思うことは、体調による、と思います。

別れ際、素敵な笑顔で温かい言葉を掛けてくれたら、心が安らぎ幸せを感じます。
これは、わたしにとっては、体調がよい場合かと思います。

では、体調が悪いとき。
例えば、今回のように少し落ち込んでいたり、悲しみのなかにいるとき。

別れ際どんどんお互いの距離が遠くなっていくなか言葉の音量は薄れ、姿が小さくなるなか笑顔も霞み、充実感や幸せな気持ちよりも、どうしても不安や寂しさが押し寄せてしまうとき。

どれだけお互いの距離が遠のいても、大きく手を振ってくれている姿ははっきりと見えて、冷えた心を温かく包み込んでくれるような大きな安心感を感じました。

きっと、妹ながらに考えて、いつもは小さく手を振るだけですが、思い切って大きく手を振って見送ってくれたのだと思います。

このとき初めて、大きく手を振るばかりではありませんが、お見送りするときは相手の気持ちを考えて行動できるようになりたいと強く思い、その大切さに気づくことができました。

最後に

日々のなかにも、豊かに生きるための出来事が隠れていることを身をもって学びました。

すべては目の前に起こっていることに気付けるかどうか。

日常のあれこれに飲み込まれるのではなく、少しでも愉快に軽快に生きていけるよう、自分を優しく扱い、心のアンテナを張って過ごしていけたらなと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

Yu

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