漱石と「隣の客」その1

その客、幼名を「処之助」といい、本名を常規といった。
俳句を嗜む洒脱なその客は流行り病で胸を病んでいた。
沢山の号やペンネームを持っていた。
「鳴いて血を吐く」故事を持つ鳥に、病身の我が身と本名を重ね合わせ、号の一つに加えた。
その鳥は、田鵑、蜀魂、杜宇、杜鵑、時鳥、不如帰、郭公など多くの表記を持ち、沢山の変名を持つのその客には、将に打って付けであった。
その客とは、「正岡子規」である。
彼は大の野球好きであった。
試合に出ては自ら捕手を務め、これに題をとった句や歌を残した。
また、果物なども大変好んだ。
柿などは実に彼の大好物であった。
随筆に曰く、
『子供の頃はいうまでもなく書生時代になっても菓物は好きであったから、二ヶ月の学費が手に入って牛肉を食いに行たあとでは、いつでも菓物を買うて来て食うのが例であった。大きな梨ならば六つか七つ、樽柿ならば七つか八つ、蜜柑ならば十五か二十位食うのが常習であった。田舎へ行脚に出掛けた時なども、普通の旅籠の外に酒一本も飲まぬから金はいらぬはずであるが、時々路傍の茶店に休んで、梨や柿をくうのが僻である(中略)柿は非常に甘いのと、汁はないけれど林檎のようには乾いて居らぬので、厭かずに食える。しかしだんだん気候が寒くなって後にくうと、すぐに腹を傷めるので、前年も胃痙をやって懲り懲りした事がある。』(子規全集 第十二巻 講談社 1975(昭和50)年10月刊 「くだもの」○くだものと余)
「樽柿ならば七つか八つ」食うのが常習であった、そう告白する子規に漱石は『子規は果物が大変好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿を十六食った事がある。それで何ともなかった。自分などはとても子規の真似は出来ない。』とその著作「三四郎」の中で広田先生の口を借り、この子規の告白の虚偽を容赦なく告発して見せた。
「ノボさん、過少申告してやがる。実際はこんなもんじゃなかったぜ」と言わんばかりに。

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