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絵本探究ゼミ第4期 第2回講座振り返り



1.4期のテーマと第2回事前準備(予習)

 第4期ゼミでは2つのテーマ「絵本の絵を読み解く」「翻訳」から絵本を探求します。第2回講義の事前準備として、竹内美紀先生(ミッキー先生)から出されたお題は「翻訳絵本を1冊持参する」、その意味は、第1回の講義を受けて、「翻訳の視点で見直して1冊選ぶ」ことでした。

2.『どろんこハリー』

 私が選んだ1冊は、第1回振り返りでも少し触れましたが、こちらの絵本『どろんこハリー』です。

『どろんこハリー』
ジーン・ジオン/文 
マーガレット・ブロイ・グレアム/絵 
わたなべしげお/訳
福音館書店 1964年3月
原書『HARRY the Dirty Dog』
The Bodley Head Children's Books  1956年

 ジーン・ジオンはニューヨーク生まれ。美術学校を卒業後、デザイナーになり、雑誌のアート・ディレクターとして働く。挿絵画家のマーガレット・ブロイ・グレハムと結婚し、彼女と編集者の勧めで作家となった。ジオンが文章を書き、グレハムが絵を描いてシリーズ絵本を出版。『どろんこハリー』(1956)『ハリーのセーター』(No Roses for Harry,1968)『ハリーのだいかつやく』(Harry and the Lady Next Door,1960)

『ベーシック絵本入門』
生田美秋/石井光恵/藤本朝己[編著]
ミネルヴァ書房 2013年4月 137p

『どろんこハリー』シリーズは夫婦共作で、2人はデビュー作『あっ おちてくる ふってくる』(あすなろ書房 )で1952年コールデコット・オナー賞を受賞している。

『どろんこハリー』は、お風呂嫌いのハリーが家出をして、あちこちで好き放題に楽しんでいたものの、家が恋しくなって帰宅する。しかし、汚れしまい、黒い斑のある白い犬だったハリーが白い斑のある黒い犬になってしまい、家族はハリーだと気づいてくれない。お風呂で洗ってもらうもらうことで元に戻るというストーリーである。『ベーシック絵本入門』では、「家出と冒険 行きて帰し物語」「自己を見つめ、反省し、安心して成長していく物語」と書かれている。未就学児から小学生まで幅広く人気がある定番絵本である。

3.『どろんこハリー』翻訳の視点で見ると

 訳者の渡辺茂男氏は、翻訳について次のように述べている。

かけだしの翻訳者にとっては、翻訳という仕事は、意外にむつかしい、恐ろしい作業でした。逐語的に正確に訳そうとすれば、舌を噛みそうな奇妙な日本語になってしまうし、といって自由な翻案は、原作を損ねることになるし、誤訳を非難するかもしれません。

『すばらしいときー絵本との出会い』
渡辺茂男/著 大和書房 1984年 8p

 そして、渡辺氏に一つの道を教えてくれたのは、幼少期における童話との出会いや、児童図書館員としてのストーリーテリングの体験だったそうだ。

訳そうとする絵本の世界の内側に、自分がひたりこんでしまって、内側から外にむかって、自分のことば(日本語)で語り出す、という方法でした。横文字の英語を、同じ字面で、日本語に置き換える作業とは、感覚的にまったくちがうのです。その作業で、わたしは、異質の文化が交叉するのを、身をもって体験しました。もう一つは、原文が記憶の中から完全に消えるまで、翻訳原稿を長い時間寝かせることでした。日本語の文章で、ひとり歩きするようになった『どろんこハリー』や『エルマー』の物語の作者を、「わたなべしげお」だと思っている子どもたちが多勢でるようになりました。

『すばらしいときー絵本との出会い』
渡辺茂男/著 大和書房 1984年 8-9p 

 次に、『どろんこハリー』の日本語訳について、気づいた点、興味を寄せた点について述べていきたい。

 まず、タイトルだが、『Harry the Dirty Dog』を直訳すると『汚れた犬ハリー』になる。表紙の絵は、「黒い斑の白い犬」と「白い斑に黒い犬」が向かい合っている。渡辺氏の言うようにここからストーリーが始まっているのであるから、この2匹の絵が読み手に何を語りたいか?を考える。犬が2匹いるのではなく、左から右へと、「Dirty=汚れた」のである。渡辺氏はここからさらに想像力を働かせ、「なぜ汚れたか」まで読み手に伝えるために「どろんこ」と付けたのではないだろうか。そして、「どろんこ」と言う子どもなら多くの子どもが一度は経験しているであろう「どろんこ遊び」から取ることで、より身近に、想像が膨らみやすくなるように思う。

 ページをめくってから次にめくるまでの間合いとして、1ページの文字量がちょうどよく、耳障り良い表現が使われているように感じられる。また、表紙と本文すべては、ひらがなとカタカナを使用しており、文節ごとに一文字空けている。灰島かり氏は著書の中で、ひらがなについて次のように説明している。

 ひらがなは見た目がやわらかく、子どもたちが最初に習う文字でもあるので、絵本にはひらがなが使われることが多いです。
 ひらがなが並ぶ場合は、分かち書きにすることを忘れないでください。分かち書きとは「がっこうから かえったら おさらに おやつの みかんと おせんべいが のっていました」という具合に、文節ごとにスペースを空けることです。ひらがなは、分かち書きにしないと、読めません。

『新装版 絵本翻訳教室へようこそ』
灰島かり 研究社 2021年 22p 

 訳者である渡辺茂男氏は著書『心に種をまくー絵本のたのしみ』の中で、この絵本は表紙の絵からストーリーが始まっていて、文章が書かれているのは5ページ先だと指摘している。

(表紙の)左側の白い犬を指しながら
「ハリーは、くろいぶちのある しろいいぬです。」
サブタイトルのページでハリーが、バスタブからブラシをくわえてだしてます。まだ、文章はありません。
「なんでも すきだけど、おふろにはいることだけは、だいきらいでした。」
見開きのタイトルページのイラストで、湯気の立つバスタブをあとにして、ハリーがブラシをくわえて一目散!まだ文章は、ありません。
「あるひ、おふろに おゆをいれるおとが きこえてくると、ブラシをくわえて にげだして・・・・・・」
 つぎのページで、イラストは、イラストは、二階から、とことこ階段を降りていく、ブラシをくわえたハリーを描いています。

『心に種をまくー絵本のたのしみ』
渡辺茂男/著 岩波書店 2016年 210-211p

 ここまできてようやく、『どろんこハリー』の本文が出てくる。ここまでの構成について、渡辺氏は次のように評している。

この絵本の作家は、イラストレーションとは、絵で物語を語ること、そして、文字の読めない子どもでも、絵の語る物語は読める、という二つの大事なことをよく知っていて、このたのしい絵本を創っているのです。文字ばかりで育った絵の読めないおとなが、この絵本を読むと、最初の大事な三場面をすっとばしてしまうかもしれません。

『心に種をまくー絵本のたのしみ』
渡辺茂男/著 岩波書店 2016年 211p

 本文について、原書をすべてDeeplで英訳したものを、渡辺氏の翻訳と比較してみることにした。気づいた点を以下に挙げてみる。

①p1 
(原文) white dog with black spots
(渡辺訳)くろいぶちのあるしろい犬
(DeepL)黒い斑点のある白い犬
  「斑点」よりも「ぶち」の方が子ども達には馴染みやすい。

②p3
 (原文) Then he ran away from home.
 (渡辺訳)それから、そとへぬけだしました。
 (DeepL)そして家を飛び出しました。
   このページの絵、八百屋の前を通るハリーを、八百屋のおじさん、
   ベビーカーに乗っている子ども、二階から覗き込む女の子、猫たちの
   たくさんの目が追っている。家を飛び出すよりも、外へ抜け出すとい
   った方が、このページのハリーの表情からは焦燥感はでいないので、
   「抜け出しました」の方が、絵と文章がマッチしている。

⑤p5,7,9,10
    (原文) and got very dirty
      and got even dirtier
      and became dirtier still
            got the dirtiest of all
    (渡辺訳)どろだらけになりました
      すすだらけになりました
      もっともっと汚れたました
 (DeepL)とても汚れました
      さらに汚れた
      もっと汚くなった
      あんまりよごれてしまったので
    同じ汚れでも、種類(泥、煤)や程度によって汚れ方は違うので、
    絵でそれらを見極めてから語彙を選択していると思いました。

⑥p12
 (原文) Harry began to wonder if his family thougt that he had really run
                        away
    (渡辺訳)うちのひとたちに、ほんとに いえでをしたとおもわれたら
      たいへんです。
 (DeepL)ハリーは、自分が本当に家出したと家族に思われているのでは
      ないかと思い始めました。
   「〇〇したら大変」と言う表現は、日常生活に於いてもよく使う表
    現なので耳馴染みが良い。

⑥p16
   (原文) he tried very hard to show them he was Harry.
        (渡辺訳)ハリーはいっしょうけんめい、「ぼくがハリーなんだよ」と
      教えようとしました。
     (DeepL)   自分がハリーであることを見せようと一生懸命になりました。
    関節話法から直接話法に変えることで、ハリーの気持ちを強調する
    効果があるように思った。

⑦p17,21,27 オノマトペ
      原文(渡辺訳)《DeepL訳》
  flip-flopped(ぴょんと さかだち)《慌てふためき》
  flop-flipped(すっとんと ちゅうがえり)《反転》
  roll over(ころりと ころげて)《転がる》
  barking short(わんわん ほえながら)《嬉しそうに短くほえながら》
  wagged his tail(しっぽを ぷるん ぶるん ふりました)《しっぽを
  ふりました》

擬音語と擬態語をあわせてオノマトペ(onomatopoeia)と言います。英語では約3000語、日本語には約12000語のオノマトペがあると言われていますから、(中略)なぜこれほどオノマトペが多いのかというと、日本語は英語に比べてどうしの数が少ないからでしょう。(中略)特に子どもの本では、効果的なオノマトペを使うことで、条項をいきいきと伝えることができます。

『新装版 絵本翻訳教室へようこそ』
灰島かり 研究社 2021年 68p

実際に渡辺氏の訳とDeepL訳を声に出してみると、オノマトペを使ったほうが、子ども達には目の前にその情景がすんなりと入っていくように感じられる。

⑧最終ページ
 (原文) It was wonderful to be home.
 (渡辺訳)じぶんのうちって なんて いいんでしょう。
 (DeepL)家に帰れてよかった。
  これもカギ括弧に入っていないものの、直接話法に近い表現にして、ハ
  リーの気持ちをダイレクトに表現しているように感じられる。

絵本を翻訳する場合は、言葉の「音」としての楽しさに注意を払う必要がある。構造の全く異なる2ヶ国語のあいだで、「音」の楽しさを移し替えることができるかどうか、議論が分かれるところだろう。とはいえ原書の「音」の楽しさを何らかの形で継承したり、あるいは日本語の「音」の楽しさを創作したりできると、その翻訳絵本は、非常に印象深いものである。

『絵本の事典』
中川素子/ 吉田新一/石井光恵/佐藤博一【編集】
朝倉書店 2011年

 私が勤務する小学校でも認知度は高いが、シリーズを知らない子が多いようだったので、『どろんこハリー』を読み聞かせし、『うみべのハリー』『ハリーのセーター』を紹介することにした。表紙を見せると「知ってる、知ってる」と歓声が上がり、読み始めると「ほら、あのブラシ」と呟く子もいた。しかし、お話に徐々に引き込まれていった。何度も聴いた話であっても楽しめるストーリー展開、絵が子ども達に語りかける強さを間近で感じた。これは、まさに渡辺氏の言う「イラストレーションとは、絵で物語を語ること」である。

 しかし、終盤、子ども達の集中力が一気に途切れた。

「ハリーは おふろに とびこみ、ブラシをくわえたまま、あらってくださいと ちんちんしました。」どよめきが起こり、男子が次々と「ちんちん?!」とニヤニヤ笑い、それを見て女子が露骨に嫌な顔をした。私は構わず最後まで読み続けたが、ハリーが念願叶って家に帰ることができたことを喜び、ぐっすり眠る最後のシーンでも落ち着かない状態は残ってしまった。「行きて帰りし物語」は皮肉にも「ちんちん」によって、彼らを一気に現実に戻してしまったのだ。「ちんちん」は犬が前足を上げる芸当のことだが、小学生にとっては男性の体の部位の印象が強いのである。例えば、「ちんちんする」ではなく「おねだりする」といった表現が今の時代には合っているのではないだろうか。

 しかしながら、これは私の選書ミスであったと反省している。読み聞かせしたのは2年生、近頃一部の男子が「う⚪︎ち」「お⚪︎り」などの下ネタを言い合っているのを耳にすることがある。体の作りに興味関心が高まってきた子達に「ちんちん」は彼らが思う意味とは違うにしても刺激的であった。『どろんこハリー』は言わずもがな名作である。しかしながら、聞き手である彼らに本作品が合っていなかったのである。週一回の図書の授業だが、子ども達の興味関心や読書嗜好が把握できる環境にあるので、そういった観点からも選書は大切であるということを改めて知ることができた。

4. 第2回を振り返って

 正直なところ、翻訳者を意識して絵本を読むようになったのは、ここ最近です。石井桃子、瀬田貞二、渡辺茂男、光吉夏弥、といった著名な方々の名前は知っていたものの、それらの方々がどのような考えで翻訳をされていたかといったことは考えたこともなかったです。ただ、選書の際に、この翻訳は「読みやすい(読みにくい)」「絵に合っている(文章が一人歩きしている気がする)」「この表現は好き(私には馴染まない)」といったことを、感覚的に判断してきたように思います。4期で翻訳について学ぶことによって、感覚的な判断から根拠に基づいて判断できるようになり、更に、それを言葉にすること、つまり、論理的に説明できるようになりたいと思いました。私の勤務校では、司書は2日しか勤務できず、残りの3日間は図書館支援員が勤務しています。図書の授業は毎日あり、授業で読み聞かせや紹介する本については、私が選書して、支援員さんに共有しています。ミッキーゼミを受講してから心掛けているのは、選書の理由を説明することです。これはミッキーゼミを受講してからの私自身の変化であり、ゼミで学んだことを総員し、さらには、絵本・児童文学センターの基礎講座で工藤先生から学んだ発達心理学の観点からの絵本についての見識も強い味方になっていると思う。
 第2回の振り返りによって、渡辺茂男氏の著書を読んだことにより、彼の翻訳した絵本に関心が高まってきた。第3回に向けて読み進めていきたい。

【参考文献】
生田美秋/石井光恵/藤本朝己[編著]『ベーシック絵本入門』ミネルヴァ書房 2013年
渡辺茂男『すばらしいときー絵本との出会い』大和書房 1984年
渡辺茂男『心に種をまくー絵本のたのしみ』岩波書店 2016年
灰島かり『新装版 絵本翻訳教室へようこそ』研究社 2021年
中川素子/ 吉田新一/石井光恵/佐藤博一【編集】『絵本の事典』朝倉書店 2011年

 
  

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