流れてゆく日々の心音 2  

わたしだけの ものがたり
あなただけの ものがたり


わたしのリアルは あなたのものではなく
あなたのリアルは わたしのものではない

だから おはなしをしたり
投げ方を あみだしたりして
ことばで キャッチボールをする


もしも ミラクルなたまをあみだしたとしたら 
あなたとわたしの ものがたりが 
わかる ということばで いっぱいに
なって すべてがおくりもので
溢れかえってしまうかもしれない✨✨


よく ものごとは 両面から見ないとわからないと言われる。
もしくは ことばを変えるなら 両極からのこころで見ないと その想いは わからないのかも知れない。
そこには 軸が存在していて お互い
繋がりを持っているにもかかわらず 違うパワーを宿している。

実際はどうだろう。
こころで見ても わからないどころか知らないことだらけではないかと思う。おたがいに、という前提があって
コミュニケーションだとか カンバセーションだとかいうものを 歩みよって 成り立たせながら 互いの居心地のよい領域を拡げてゆくことが できるようになってゆくのだろうと思う。

されど おたがいにという前提さえ
用意されていないひとたちだっているのだということを わたしは聴こえない世界に住むひとたちから 教えていただいた。

わかりあえるところだけ✨✨
コミュニケーション✨✨
ことばの あそびは わかる相手と
しないと たまは 投げられない✨✨
ミラクルであれば 受けとるほうにだって 覚悟がいるっ✨✨
ゆくぞ~✨✨
 


聴こえる世界に 生まれた住人には
あってあたり前のものが そのひとたちには 不便極まりないものだったりする。わたしは 知らずにその恩恵をうけてきた。 自分たち優位に構築されてきた世界があり そこから砂のように こぼれ落ちそうになっているひとたちがいることを知って はじめて 自分もその役割に加担していたのだと 気づかされる。すごくこわい感覚だった。
知らないということが どういうことか 身にしみた。わからないのだ。


もちろん そのかたたちも 進化してゆく文明の恩恵を 受けていることには 違いないのだが。
どういう意識をもって どんなものを創造してゆけるのか 楽しみでもあり
わたしに できる方法と やりかたで挑んでゆかなければと思う。

戦争とか平和といっても おなじ人間がやってしまえることなのだというところに おそろしさを感じなければ
ちからの使いかたを また誤ってしまうかも知れない。


わたしだって たいせつなひとを守るために 戦争の渦中であれば 誰かのたいせつなひとを 殺めてしまうかも知れない。

わたしたちは いのちあるものを
いただいて いのちをつなぐ
いのちをつなぐものたちによって
いまを あしたを生きている


そのエネルギーを 戦争なんかに
使ったら 食べられたものたちは
たまんないだろう。

浮かばれたくても
浮かばれないような気がしてならない

ちいさなものに しがみついて
パワーでパワーを抑えつけるような
争いは もう終わらせてほしい。

アンネの薔薇の教会で 展示してくださっていた アウシュビッツに収容されていた方たちの 本物の頭髪や砕けた人骨をみたときに これは おなじ人間がやったことなのよ と語りかけてきたように わたしたちは どんなふうにちからを 使ってゆけるのかを
意外なことに 知らなさすぎるのかも
しれない。


誰かがやって見せてくれたから その
悲惨さや たいせつなひとを失うことの哀しみを 語りついでゆくことが
できるようになる。
そんな感覚だって あっていいのかも
知れない。

綺麗なところだけ いいとこどりだけ
では 魂は成熟できないのだと思う。
影のところもなければ 限りなく完成へとちかいところへは 手が届かない


だから 影と光を統合してゆこうとする。なぜだろう。それは すべて合わせて。それが魂のかたちだからだろうと思う。欠けていいものはなにもない。


それは 日々 いきてゆくなかで
塗り替えられ あたらしい お絵かきが はじまってゆく。


あなただけのものがたりが からだで
こころで 感性で うけとったもの
それは だれかのことを わかってあげられる 素敵なものになるんだよと
おしえてくれる。

そして わたしだけの ものがたり
あなただけの ものがたりの
おはなしのつづきが はじまってゆく

圧倒的に少数のかた達を
追いやっていた側に 知らずに立っていたと気がついて なみだがこぼれたが、ほんとうに泣いたり 叫んだりして 誰かのちからを借りて 助けを求めていいのは わたしではない。わたしがいるところとは ちがう岸辺にいる あのひとたちだ。 そして ご家族と その周辺にいる方たちだと思った
わたしは泣いているばあいではない。
泣いているあいだに 叫ぶこともできずに 埋もれていってしまうひとが
いるかも知れないからだ。

手話を学びながら 行政の試みであるいろいろな障害をもつ方々のための
バリアフリー調査にも 機会をいただいて 同行させていただけたことは 経験として 本当に有り難かったと
いまでも思う。深い感謝の想いと コーディネーターさんへの畏敬の念でしかない。

車椅子のかたもいらした。
白い杖のかた、ふつうの杖のかた
音のない世界のひとたち
みんな そはれぞれ ひとくくりには
できない。
それは 個性と呼んだほうが しっくり馴染む。魂のかたち。そう 魂のかたち みんな変わらないはず。
尊重されるに値する 魂のかたちだと思う。

科学が発達して 母胎にいのちが宿ったときに DNAに異常があれば 産み分けることができる流れが 出来つつあるが 感じ方 受けとめかたは
それぞれに委ねるしかないのだろうと思う。

ただ 個性的な魂のかたちをしている
方たちのなかには 自分の存在を否定されたように 感じてしまうかたも いらっしゃるであろうことを 忘れてはいけないと思う。
不必要な存在などと わたしは思わせたくないと思う。

こういうことを 書けるのは 
たいせつな親から 存在否定されたことがあるからだと思う。
別に 犯罪をおかしたわけでもないし
たしかに 心配をかけたとは思う。
愛情ゆえのことばと受けとめて ごめんなさい と謝って 行動を正せば良かっただけだと いまはシンプルに考えられる。

けれど 世代連鎖してゆきがちな 機能不全家族となると 本当にややこしい。ややこし過ぎて めちゃめちゃ格闘もしたし 多くのかたの手もお借りした。

逆に そのマインドであったから
ご縁させていただけたというのが
音のない世界のひとたちなのかも
知れない。


りずちゃん(noter 星月りずむさん)の記事にあるように 母はりずちゃんの
手をひいて 踏み切りまで行った。

父は 自分のせいではなくても 自分の大事な家族が たいせつな妻と娘を 追い詰めてしまったことは 生涯負い目だっただろうと思う。そんなに 鋼のメンタルを持ったひとでもなかったから 自分が守っているものを わたしにも おなじように守ろうとして欲しかっただけなのかも知れない。

けれど想いは ことばにしないと
わからない。わかってくれるだろうというのは 甘い幻想のようなものだ。
わたしは道具ではないから 押しつけられた役割は うけ負えない。
でも 背負おうとしていた時期があったから すこしずつ弱っていった。

期待していただけに 父方の血筋が色濃く見てとれる わたしの行動に余計に腹がたったのかも知れない。せめて ことばを ひとつでもいい わたして欲しかったと いまさらながら甘えてみる。 
ダディの都合は わたしの都合とは
ちがうんだよ〜✨✨
だから 好きなようにいかせてくださいって お願いしたじゃん✨✨


実際 一時期 父方の親族とは 距離 を置いていた。
いろんなおはなしを 母からきいていたので 肌から感じるものは沢山あった。

交流がふたたびはじまったのは
わたしの記憶では 海にちかい家に
お引っ越ししてからだと思う。
それ以前の記憶に 父方の親族のすがたはない。


まだ 幼稚園へ通う前の記憶
家のまえに ちいさい砂場があって
わたしは 砂あそびに夢中だった。
母がきて お買いものへゆくけど
一緒にゆくかとたずねてくれた。
わたしは 首をよこに振った。
母は ひとりでお買いものへ行った。
わたしは 砂遊びさせてもらって
うれしかった。
いつもの 日常だったと思う。


ひとりで空を かたちを変えてゆく雲を 時間をわすれて ながめて楽しめる こどもだった。

いまでも 空をながめていると 時間なんて 吹っ飛んでいってしまう✨✨


母がお買いものから 帰ってくる前に 父方の祖母が たずねてきて
ひとりであそんでいる わたしをみつけて おどろいた顔をした。

幼すぎて よくわからなかった。

祖母は わたしのために 土でおだんごをつくってくれた。
わー✨まるくて きれいだ〜✨✨

母が帰ってくるまで 祖母は一緒に
砂あそびをしてくれた。
母から聞いていたことが反応して 子供ながらに 違和感ありありだったが
大人の事情など わかるわけもない。

この祖母は 認知症になってから
父や祖父やお世話してくださった伯母のことも わからなくなったが
なぜか わたしのことはわかり
ねねちゃんだ〜と言って
みんなを驚愕させた お婆ちゃまだ。

なぜわかったのか わからない。
そして わたしのために 厚焼き玉子を 焼いてくれた。不思議だ。
もっとつくって〜✨✨とせがんだら
すごいご馳走が でてきただろう✨笑


父に話すと あんまりそういうこと
する人じゃなかったけどな〜と
うっすら笑っていた。まったく真意のわかりにくい 会話だ。ダディ✨なにを秘め込んでいたんだ✨ ずるいよ✨
吐き出してくんなきゃ✨✨


祖母がたずねてきた理由は
お洋服を 母に縫ってもらうためだった。すぐに 採寸がはじまって
なんだか 母ががんばっているのが
伝わってきた。


母が好きなことをして 楽しんているのを ただ 見ているだけで 楽しかった。がんばれ マミー✨
なにもわからずにいても 楽しいのはつたわるものだ。


お洋服を仕立てあげてゆく工程は
ものすごく 見ていて楽しい。
生地だって お水をブラシ含ませて
地のしするのだ。その湿った生地を
ちいさくたたんで ナイロンの水玉の
青い風呂敷につつんで 時間をおくと
しなやかな生地になっていた。


母のいるところは ちいさな仕立て屋さんだったんだな〜✨✨と思う。おうちのなかに 仕立て屋さんがあるなんて 想像できない。
すべての工程を 近くでみせていただくことができた わたしたちは 本当に素敵な経験をさせていただいてたのだと 感謝しています✨✨
ものづくり 万歳っ✨✨

そうこうしているうちに 自我が芽ばえる時期に さしかかるにつれて 
わたしの天真爛漫さは とめることが できなくなって
ゆくのだー✨✨

vol 3へ 続けます✨✨




 









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