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息子の違う一面を見たときに

息子の通う学童へ新年度の支払いに、子ども達と一緒に行ってきた。
と、もうすっかり顔馴染みな息子。春休みに来ているのだから、友達も知ってる顔ばかり、なはずなのだけれど、どうも息子の様子が違う。
先生の甲高い声と、息子のこわばった、意地の張った『もういい、もういいから』という声が、来て到着して早々だというのに聞こえる。何事?と教室を覗き込むと、用紙を手に、破けそうな勢いで先生と引っ張り合っている。この用紙は本来ノートに貼るものでそれを貼らないで持ってきたからだな、とすぐ理解し、『そんな力入れてどうする』と息子を宥める。もぎ取るようにして奪う息子。黙ってしまってしまった。
手続きをし先生にご挨拶をすると、『お母さん大変ね〜」と言わんばかりの先生方の表情。息子はここで、どんなキャラでやってるんだ?と不安がよぎるが、息子は、さっさとその場を離れ漫画を読みに本棚の前へ移動してしまった。
『お手数おかけしますが、よろしくお願いします』と言い残してその場を離れたが、家に帰って娘の昼ごはんをテーブルに並べると、ひとまず学童用のノートを探しに息子の棚を漁らせてもらった。すると、なんてことない。すぐに見つかる。
ああ、これは、相手をどうでもいいと思ってるなと直感する。
夕方帰宅した息子に、『あの人キャンキャンなの?』と聞くと、『そう』とつっけんどんに息子が聞かんでもわかるだろうと言わんばかりに答える。
『あのな、もう5年生だし、敵ばっか増やさないで仲良くなっちゃいなよ。手懐けたほうがラクよ』と息子に言うと、『マニュアルがあったらいいのに』とちょっと声が明るくなって答えてくれた。『作ればいいじゃん。得意でしょ』と笑いながら伝える。
親子だからとんでもない会話になっているけれど、息子の人が変わったように強張る姿を見てしまった以上、どうしたもんかと悶々とする。
学校が楽しいわけではない。学童も楽しいわけでもない。勉強は嫌いだ。担任も嫌いだ。給食も美味しくない。
プールに行くのは面倒臭いけれど、泳げばスッキリする。一緒に泳ぐ仲間といるのが楽しい。
毎度思うが、水泳がなかったら、どうなっていただろう。それと最近感じるのが、もっと人とコミュニケーションをとる機会があった方がいいのではないか。
閉校が決まっているから、学校の人数も高が知れている。そういう意味では塾でもいいのかもしれない。同じ仲間を見つけらるのならば。塾か〜。本人嫌がりそうだな〜。ダンスとか、サッカーでもいいから、好奇心持ってもらえたらいいんだけれど。

嫌いな人を作るのは簡単だと思う。嫌われるのも然り。でも好きな人を作るのも実は簡単であることを知ってほしい。全員に好かれる必要はないけれど、居心地の良い環境を作るのも自分次第であることをもうそろそろ知ってもらいたい。
痛い目に遭えば勝手に学ぶのだろうか。これ以上?親としてできることはなんだろう。どこまで手を出し、声をかけて良いものなのか。答えはきっとそれぞれなのだろう。第一、それが本人に響かなければ意味がないのだから。

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