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父の急逝

父が急逝しました。
実家とは新幹線を乗る距離で、一言連絡が来た時、何が起きたのかもわからず歯痒い思いをしました。実家にいた家族達にはやることもたくさんあるだろうし、何が起きたのかわかっていて行動していただろうけれど、何もわからず、誰も連絡も取れず、本当に辛かった。私だって娘なのに、と泣きました。
普段あんなに私は感がいいと思っていたのに、全くその前後も父の存在を感じられなかったのも辛かった。私のところに来てくれてない、と。きっと母や姉のそばにはいるのに、私のことは忘れているんだろう、と。同じく関西に住んでいる叔父と連絡が取れ、待ちなさい、と言ってくれたのが本当に心強かった。心配してくれた幼馴染や従姉妹の存在も大きかった。そして、主人。旦那さんがすごかった。
一本『亡くなった』と連絡が来ただけで詳細も分からず一人荷物を作ればいいのか新幹線に飛び乗ればいいのかオタオタする私の横で、子ども達の世話をしてくれ、黙って話を聞いてくれた。寝る時にはずっと手を繋いでいてくれた。なかなか寝付けず、目が覚めても涙が出るばかり。そのうち怒りが湧いてきて、どこにぶつけていいのか分からなくなり、一人でこの怒りは寂しさからだ、と分析したり。
週末には子ども達も学習発表会もあり、それに参加できるのかも分からず、そんな私を見て子ども達まで不安になってしまったり。一人になればなったで涙はボロボロ出てくるし、歩けば思い出が蘇ってくるし涙が出てきて歩けなくなるし。なんとか発表会を観覧することはできたけれど、子ども達は可愛い、でも悲しみはいっぱい、と、どんな気持ちでいるのか、いたらいいのかと自分でも分からなくなりました。しかも父が亡くなったの、なんて誰にどう言っていいのか分からなくて。
それでも気持ちに寄り添ってくれる友達がいてくれることに感謝。偶然に葬儀帰りに大大大好きな友達にもここで?!という場所でバッタリ会えたのにも驚いた。確かに電車の中で会いたかったな・・とは思っていたけれど。降りたら会えたって我ながらすごい。予定も知らなかったのに。
今葬儀場は混雑しているようで、葬儀までになかなかの日にちがかかった。でもかえってそのおかげで思春期の頃の行動のことだったり、寂しい気持ちとだったり、向き合うことができた。哀しみをぶつけようとしたら、心配した下の娘がなかなか私から離れようとしなかったので、その気落ちもすーっと落ち着いて、ごめんね、と言えた。触りたかった父の頭に触ることができた。肩車してもらっていた幼い頃に戻りたい、とさえ思った。
父との写真をたくさん探しているうちに、もう一度講師の方もやろうという気持ちも生まれた。何度か父がヘルプに入ってくれた写真が出てきて、人に役立つのが好きだと改めて感じたし、その仕事が好きならやったらいいじゃないか、と思えた。喋ることに疲れてブログに力を入れようと思っていた矢先だったし、もちろんブログはブログでやっていこう、と。進んで違うなと思ったら辞めたらいい。
人生は一度きり。
父のように穏やかに死ねたらいい。好きなことをやってこれた、と思いながら死にたい。父は今大好きな山にでも登っているだろうか。それとも弱いのに好きだったお酒でも酌み交わしているだろうか。また、会いたい。その時は素直におしゃべりしたい。

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