自分のかけら。
こんにちは、今日もお疲れ様です。結城りんねです。
もう3月も半ばということで、引っ越しシーズンですよね。
かくいう僕も絶賛引っ越し作業中です。
一人暮らしの部屋から引っ越しするのって初めての経験なんだけど、なんていうかやっぱり、物ってあんまり増やすものじゃないね。
面倒が臭すぎる。
実家にいたときはあんまり実感したことなかったんだけど。
僕はとんでもない物欲お化けを胸の中で飼ってるわけではないんだけど、物欲座敷わらしぐらいはたぶんいるんですよね(?)
そんで食べることがそんなに好きじゃないからなにかと物を買っちゃうわけなんです。
服とか本とかキーホルダーとかぬいぐるみとかね。
で、買った分捨てるならいいんだけど、物を捨てるのが早起きと同じぐらい苦手で。
たいして思い入れもないのに、捨てるとなるととても深く暗い地下に封印されていたそいつに関する思い出(なかには結びつけるのに少々無理があるようなものもある)がフラッシュバックして泣きたいほどセンチメンタルな気持ちになる。
そんなわけで僕の部屋はどんどん賑やかになっていく。
それ自体は寂しがり屋の僕にとってはありがたいことなんだけど。
半年くらい前からなんか身軽になりてーと思うようになって。
それまで僕の心をやさしくあたためてくれていた物たちが急に重く感じるようになりました。
なんでこんなに重いんだろうとずっと考えてたんだけど、おそらく、
僕は物を自分のかけらみたいなものと認識していたんじゃないかと。
自分の分身というか一部というか。
アンパンマンが自分の顔をちぎって分け与えるように。
だから結果的に僕の体積が大きくなって動きづらくなったというか、小回りが利かなくなったというか。
どこかに引っ越したくなったり、世界中を旅して回りたくなったりしても物を置いていけない。
自分の一部だから。
困ったもんですよね。
物を捨てる時にすごくつらいのも、なんか自分が損なわれる気がしてのことなんだろうね。
今回の引っ越しを機に、泣く泣くいろんなものを捨てたりしました。この「泣く泣く」は皆さんが想像するよりもっと切実で壮絶なものです。(たぶん)
これからはあまり物を増やさない。アンパンマンのように親切に、物に自分のかけらを分け与えない。
これを徹底していきたい。
ここまで読んで気づいた人もいると思うけど、めんどくさいのは増えすぎた物たちじゃなくて僕ですよね、きっと。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
自慢じゃないですけど、僕は昔から異常に物持ちがいいです。そんなに神経質に扱ってるわけじゃないんですけどね。
小6の時に買った筆箱を大学3年生まで使いました。挑戦者待ってます。
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