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短編小説【初心者同士】3/3

 澄んだ青空を見上げれば、抱くのは安心感。春風に揺れる木々の香りを嗅げば、思い浮かぶのは平穏。それこそ神崎隼人の願いであり、唯一の時間だった。誰にも邪魔されないひと時なんて、手に入れることが難しいこの時代。その難関を突破した隼人にとって、この芝生の上は貴重な拠り所であった。

 柔らかい芝生の上に仰向けになると、一気に視界を埋め尽くすのは透き通った空。大海を泳ぐわた雲は右から左へ流れていき、小さな演奏会を開く草木はひたすら聴衆にメロディーを奏でている。特等席に寝そべる隼人は瞼を閉じ、ただその自然に身を任せていた。

 この贅沢は永遠ではない。昼休み終了まで、残り三十分。長いようで、短い。だからこそ、安心感でいっぱいだった心が妙な焦りで塗り替えられていく。それが昼休みというもの。だからだろうか。この時間になると隼人は聴覚が敏感だった。



「……にゃあ」

 うたた寝をしていた隼人の眉がピクリと動いた。今日もやって来た小さな来訪者。人が仮眠を取っているというのに、相手は長い尻尾を優雅に揺らしながら我が物顔で登場。ここは一触即発――かと思いきや、睡眠を妨げられたというのに隼人の表情は意外にも柔らかい。柔らかいと言っても比較的……というレベル。とにかく相手に対して敵意を抱いてはいないようだ。

「……今日も来たのか」

 面倒くさそうに起き上がったくせに声色は優しい。それを分かっているのか、相手のキジトラはまんざらでもない顔。上品な足取りでやって来たかと思ったら、キジトラは媚びを売るように隼人の身体にすり寄った。

「ほら、これ食べるか?」

 隼人がズボンのポケットから取り出したのは、猫お気に入りの代名詞。……アレである。封を切って細長い袋の先にちょっとおやつを見せてあげれば、キジトラは慣れた様子でペロペロと舐め始めた。普段周囲に対して素っ気ない態度を貫く隼人だが、猫が相手だと話は別。うたた寝している時でさえ澄まし顔の少年が、猫相手になると含み笑いくらいはするようだ。

 芝生の上で胡座をかき、のんびりおやつを与えていると、だんだん目尻が下がってきた。束の間のお昼休みの、なんとも和やかなひと時。ふと相手の顔を見下ろすと、おやつに夢中なまん丸お目々と目が合った。より一層懐柔される隼人の顔。

 いつの間にかキジトラはご馳走さま。食後はまったり一人と一匹で大空を臨むのが日課だった。寝そべる隼人のお腹の上に丸まるキジトラ。目を閉じると開放感を味わえ、彼らは実に気持ちよさそうだった。ふと隼人は瞼の向こう側に視線を感じた。誰かがこちらを覗き込んでいるような気配。……そんなはずはない、そう思いつつも隼人はちらりと薄目を開いた。



 ――いた。素っ頓狂な顔で彼らを見下ろしている黒縁眼鏡の女生徒が一人。しかもなぜか高い草むらを掻き分けた四つん這いの姿で。おかげで髪の毛がボサボサだ。

「……あんた、誰?」

 反射的に不機嫌丸出しで喧嘩を売った隼人はハッとした。人間の登場につい凄んだ彼だが、寝転がりながらお腹の上に猫を乗せている姿はあまりにも威厳がない。……失敗だ。

「あ、あの、すみません。先客がいるとはつゆ知らず。私はただキジトラちゃんを追いかけていただけなんですっ」
「……キジトラちゃん?」

 女子高生にしては変な言い回しだなと思ったことは置いておいて、隼人は会話に出てきた「キジトラちゃん」に目をやった。……原因はお前か、彼の目からはそんな声が聞こえてきそうだ。

「ですから、あなたの睡眠の邪魔をするつもりは……」
「分かっから早く去ってくれない?」
「え……?」
「名前も知らない奴と一緒にいたくないんだけど」

 キジトラに向けていた優しい微笑みはさっさと隼人から消えていた。彼の鋭い目つきは初対面の人間に向けるそれではない。一気に緊張走る現場。そこからはピリピリとした空気が充満し始めていた。

「……は、ははぁ……」

 だから何でそんな言葉選びなのだろうか。少女には隼人が悪代官にでも見えるのか、自分を越後屋だとでも思っているのか。少女を睨みつける隼人の目尻が若干緩んでしまった。

「……それでは今日のところはここで引き下がるので、明日またここへ来ても良いでしょうか?」

 ギロリと睨む隼人のつり目が持ち直った。隼人にとってこんなことは日常茶飯事だ。あらゆる女子が彼と接点を持ちたがる。彼にはそういう気が一切ないのに群がる女子は後を絶たない。そんな生活に嫌気が差し、見つけた憩いの場でやっと安息を手に入れたというのに。少女の言葉に隼人は大きな溜息をつかずにはいられなかった。

「……あのさぁ――
「お願いです。会いたいんです――キジトラちゃんに……」

 ……キジトラ?一気にきょとん顔になった隼人の頭の中。最初に浮かんだ言葉は、「俺じゃなくて?」だった。

 相変わらず四つん這いの少女は、照れた顔で視線を彷徨わせている。あの頬を紅く染めた顔は隼人を想って……ではなく、猫を想って?到底受け入れがたい状況に、つり上がっていた彼の目が今や困惑でいっぱいだ。

 そこで隼人はふと気づいた。彼女が憩いの場に乱入してからというもの、隼人と彼女の目が合ったのは初めの一瞬だけ。それ以降、少女は隼人と目も合わせようとしない。それはこれまで出会った女子達が誰一人として取ったことがない行動だった。

「……なぁ、あんた。何でこっち見ないの?」

 言葉にして隼人は自分で驚いた。それはもう、慌ててその場から飛び起きるほど。自分の口からそんな言葉が出てくるとは夢にも思わなかった彼は、すぐさま両手で発信源を覆い隠した。その間、少女は隼人に一瞥もくれない。……なんだか隼人はちょっぴり虚しくなってしまった。

「あ、えっと、その、あなたは私のことを聞いたことありませんか?」
「全くない」
「あっ、それはそれは、私の自意識過剰でした」
「……そうだな」

 それはお互い様であることを無視。隼人は草まみれの少女に正面を向けて腕を組み、胡座をかいてふんぞり返った。どうやら少女に威厳を見せつけたいらしい。

「実はあの、私、学校中から雪女って言われてるんです」
「……うわぁ」
「それでみんなから『雪女と目が合ったら呪われて石になるぞ』って言われていまして」
「いやそれ雪女じゃないし、メデューサだから」
「正直私も『あれ?』って思ったんですが、私の方から『それは雪女じゃありません』て言うのもおかしな話ですし」
「いやいや、そこは『私は雪女じゃありません』だろ」
「そんなこんなで、私は人と目を合わせてはいけないんです」

 隼人はなんだか少女がだんだんと不憫に思えてきた。自分とはまた違うタイプの人間社会の犠牲者。憐れで、痛々しくて。気づけば隼人の身体は無意識に動いていた。四つん這いの少女はまるで罰ゲームのように頭を垂れている。そんな少女の姿を隼人はこれ以上見たくはなかった。

「顔……上げな?」
「え、いや、でも……」
「顔を上げろ」
「はい!」

 命令に従って勢いよく顔を上げた少女。嫌悪を忘れた隼人の目と、しっかりと意志を持った少女の目。目と目が至近距離で出逢い、その場は瞬く間に二人だけの世界に早変わりした。

 二人にとって、それは今まで味わったことのない不思議な感覚だった。

「……そのメガネのレンズ、瓶底みてぇ……」

 ここで隼人は言葉の選択を誤った。物心ついた頃には人と深く関わることを止めた彼。思ったことをそのまま素直に口に出してしまう所が、彼の長所であり短所なのだ。

「あ、お目汚し失礼しましたっ」
「……お目汚し……」
「私昔から目が悪くて、これがないとよく見えないんです」
「……まぁ、それがメガネの役割だからな」
「でももしこれが見苦しいと仰るのでしたら、すぐに外させて頂きます」
「いや、俺は別にそこまで……」

 若干引き気味の隼人を置き去りにして、少女は颯爽と黒縁眼鏡を外した。そこに現れたのは――

「……うわー、これはまたベタな……」

 自分の顔面偏差値で免疫充分の隼人でさえこの第一声。他の人が見たら卒倒するんじゃないかと疑うほど、そこにいたのは想像を絶する――美少女だった。

「どうでしょうか、これで嫌悪感は払拭されましたか?」
「しかもこれ、本人全く気づいてないパターンだし」
「この姿で認めてもらえた暁には、ぜひ明日からもキジトラちゃんに面会させて頂く権利を私にっ」
「分かった。分かったから間近で力説は止めて」

 隼人が気まずい表情でパッと顔を背けると、あらぬ誤解をした少女はしまったとばかりにまた勢いよく頭を垂れてしまった。これではほとんど土下座状態。隼人はばつが悪くてそれ以上少女を邪険に扱うことができず、居心地の悪さから思い切り頭を掻きむしった。

「……分かった。三分だけなら、許す」

 カップラーメンかっ。そんなツッコミを入れてくれるような人間は残念ながらここにはいない。まぁとにかく、二人の契約はここでようやく片が付いたようだ。

「あっ、ありがとうございます!」

 お礼ならば地面にではなく自分に言ってほしい。隼人はハァーと深い溜息をついて、少し早まったかなと内心思い直していた。

 けれど初めてだった、彼が他人に心を許すのは。人に勝手に期待され、羨望され、嫉妬され、そっぽを向かれ。だから他人なんて必要なかった。学生生活も一人で送ってきたし、これからも送っていけるはずだった。

 他人の温もりなんて……知らなかったから。

「はいはい、どうぞ……」

 ぶっきらぼうに承諾する隼人と、未だに土下座もどきをし続ける少女。いつの間にか隼人の口元には、本人も知らないうちに隠し切れない感情の証が現れていた。

 ――そう言えばこの子の名前、まだ聞いてないな……。

 天気は良好、どこからか暖かい風。お昼休み終了まであと五分。再びすり寄ってきたキジトラの頭を撫でなから青空を仰いだ隼人は、ふとそんなことを思った。



 最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。まさか最後の話がこんなに長くなるとは。短い話を期待された方、申し訳ありません。

 二人の恋模様はまだ始まったばかり。もしかしたらその後の二人を描くことがあるかも、しれないようなないような。それは皆さま次第です。

 それではまた、別の物語でお会いできることを願って……。



 


【文章】=【異次元の世界】。どうかあなた様にピッタリの世界が見つかりますように……。