毒親の母とボク

画像1 母は、最初自分を医者にしようとした。思えば、初めて、読んだ偉人の伝記は、野口英世だった。母は、二言目には、医者になりたいのよねと、嬉しそうに言った。もちろん、医者になりたいとボクは、答えた。だが、いかんせん、ボクは、理系が、苦手だった。だから、母は、数学、化学、生物の家庭教師を何人も付けた。成績を上げるために、ボクは必死だった。塾にも、たくさん通った。進学校に通っていたボクには、負担が大きかった。そんな時に、姉のピアノの先生の、息子さんが、医学部、しかも、難関の防衛医大に通っている事を知ったのだった。
画像2 母は、迷わず、医学部のお兄さんに、アルバイトを頼んだ。ボクと同じ都立の進学校から、早稲田大学に進学しながらも、医者への夢を諦めきれず、仮面浪人しながら、防衛医大に通うラガーマンのお兄さんは、母のお目に適った。絶大な、母の信頼を得た、彼から、言われた言葉は、ボクが、医者には、向いてないと言う厳しいものだった。彼の言葉は、母を動かし、ボクは、医者を目指さずに済んだ。ボクには、数学的なセンスが、無く、文系で、トップを目指して欲しいと、言われた。母は、だが、数学を捨てる事は、許さなかった。国公立大学に行く為に。
画像3 母は、今度は、弁護士を東大に行きながら、在学合格を目指す事を言い始めた。ボクは、お兄さんの様に、早稲田大学に行きたいと、言ったけれども、母は、許さなかった。母の、国立大学信仰が、ボクに、重くのしかかって来たのが、この頃からだった。ストレートに、早稲田を目指す友人達を尻目に、数学、化学、生物に、格闘する日々だった。苦手な、理系科目のせいで、2年浪人する事になった。なんで、そこまでして国立大学に、こだわったのか、ボクは、分からなかった。だが、母の思い通りに、国公立大学に入り、在学合格を目指す事に、なった。

この記事が参加している募集

沼落ちnote

今日の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?