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束縛拘束彼氏(息子)が教えてくれたこと

いつも読んでいただきありがとうございます。

とにかく、ここ数ヶ月、
いや産まれてからずっと、
息子氏の愛が重い。

束縛拘束彼氏並に重い。

最近ちょっと大人になったからか、
外に出るとお兄さんぶるんだけど、

家の中でのツンデレがえぐい。

とにかくオレのそばにいろ!
ちょっとでも離れたら泣いてやる!!

(結果、地球終わったか?くらい泣く)

そしてそばに戻れば、ケロりと
母を無視して1人遊びに集中…。

お殿様に振り回されている日々であります。


ちょっと前までのわたし。
拘束時間が長いと、
家のこともなーーんもできないので、
あれしなきゃいけないのに、
これしたいのに……


あーあ、今日も何もしないで
(くっついてただけで)
一日終わっちゃった…。無念…。

と嘆くことも多々あった。

朝と夜で変わらないリビングの景色。
詰んだままの洗濯物。
達成感のない自分に嫌気がさすことも。


でもさ、本当は
何もしていないわけじゃない。

彼とゴロゴロしながら
ちゃんと一日生き抜いた。

一生懸命向き合った。

お互いの存在に、お互いで喜んだ。

これって
〝ただそこにいるだけでいいんだよ〟
っていう
高尚すぎるメッセージなんじゃないか?
ふと気がついた。


ママはいてくれるだけでいいんだよ。
存在自体が大好きなんだよ。
なーんもしなくてもいいんだよ。

このマインドを私に叩き込もうという
実践強化合宿なんじゃないかとさえ
思えてきた。

よく
〝あなたは、息してるだけで尊い〟論があって、
そこが自己肯定感の土台を作ったりするのだけれども、

やる気気合い根性で生き抜いてきた人間にとっては、
なかなかその思考を身につけるって難しい。

どうしても感情の癖で

自分の存在価値に対して
生産性を求めてしまいがちである。


でも赤ちゃんを見ていると

彼らは世のため人のため
なにかやっているわけではない。

むしろ、お世話されなきゃ生きていけない。

なんならティッシュを箱から出しまくったり、
食べ物を潰すわ投げるわ床は地獄絵図だし、
やってほしくないことばかり
やってのける天才だ。
(どうしよう、ここの箇所、とまらない。)

それでも。
どんなにイタズラしようが、何をしようが。

わたしたちは彼らが、
健やかに生きていてくれるだけで
嬉しいし安心するし、
それが一番の幸せだ。


ってことは、大人だって
これとおーんなじことが当てはまっていいはず。

歳を重ねるにつれて
担う役割が増えるほど、
本来の自分の役割を忘れそうになるけれど、

本当はどんな人もみんな

〝自分の命を生きる。存在する。〟

根本はここに尽きるんだよなぁ〜と
しみじみ思った。

そんな風に感じられたら、
息子氏のべったり愛も
より嬉しくて幸せで
より一層イチャイチャに精が出た。
(パパには秘密㊙️)


そういや、ツワリがひどくて辛くて、
ソファでずっと屍と化していたけれど、
きっとそれも同じ荒療治だったに違いない。

〝息してるだけで華丸!〟
ちいさき人は、とことんこの精神を
わたしに叩き込みたいらしい。


子どもとの過ごし方、
やり方は無限大でいろんな家庭があると思うけれど、

我が子は最大の師匠でもあるので、
大先生の仰せのまま身を託すってのも
また新たな発見があるかもしれない。

とりあえず
束縛拘束彼氏の望むまま、
しばらくは彼の半径2メートル圏内で
〝なにもしない〟自分を愛でたいものである。


(もちろんこの記事も、カレピを腕枕しながら打たせていただいております。なむなむ。)



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