無題

ある歌を聴くと、私はあの人を思い出す。

小学生のとき、私は父が怖かった。まず、顔が怖い。あと、声がでかい。夜はいつも酒を飲んでいて、パチンコが好き。サラリーマンではないので、スーツは法事でしか着ない。ドラマで見る「父親」とかけ離れた人だった。小学生のときは、スーツを着て朝早く出かける父親に憧れていた。昭和親父のような我が父親の風貌を、なかなか受け入れられなかった。

自分になぜか遠慮し、他人行儀な娘。父も私との接し方が分からなかったのだと思う。お互いよそよそしく、母がいないとうまく会話できない。そんなぎこちない父娘だった。

小学生の頃、ピアノを習っていた。少し遠いところに通っていたので、いつも父が迎えに来てくれた。車に乗り込み、約20分お互い話はしない。私たちを繋いでいたのは、父の車で流れる音楽だった。子供向けのCDなんて、父の車にはなかった。そのため、私は車の中でユニコーンやイエモンをただぼんやり聞いていた。

詳しくは覚えていない。ただ、あの日が春と夏の間のような気温の日だったことは覚えている。窓を開けて海風を顔じゅうに浴びながら、なんとなく歌を口ずさんだ。蚊の鳴くような声だったので、運転席の父には聞こえてないだろうと思っていた。

「ぼくらははなればぁなれ。たまにあっても話題がない」

『いっしょにいたいけぇれど とにかく時間が足りない』

民生ちゃんの歌声とは違う声が聞こえた。父の歌声だった。少しびっくりしたが、私はそのまま歌い続けた。民生ちゃんと、私と、父。3人の歌声が車の中でセッションした。特別会話をしたわけではない。ただ同じ曲を口ずさんだだけだ。それなのに、私はなんだかじんわりと嬉しかった。父と初めてコミュニケーションを取れた気がした。

つい先日まで桜の開花宣言の話をしていたのに、最近は夏日だなんだとテレビは騒ぐ。研究室の廊下から見えた桜は、もう青々とした葉ばかりになっている。ふと「あの歌」を口ずさんでいた。私の前を歩く教授が「ずいぶん懐かしい歌だね。」と振り向いた。「先生もどうです?」なんておどけて見せると、「僕は遠慮するよ」と笑われた。半分残念だったが、半分安心した。「あの歌」は、私と父を繋ぐだけで充分だ。

あの歌を聴くと、私は父を思い出す。




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