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現実という名の幻想

サンスクリット語(聖なる言葉)にAbhimani「アビマニ」という言葉がある。
これは、私たちが日常で体験している3つの状態をあらわす言葉だ。

私たちは日常的に常に3つの状態で生きている。
①個人的に私が居ると肉体を自分だと認識している状態(起きている)
②眠っている時に夢をみているような状態(夢をみている)
③深い眠りに入り、夢もみていない、認識もない状態(深い眠り)

これらを日常生活に置き換えるとこのような状態といえる。

①仕事をしている時の私(役割として担っている)
②お客様としてお風呂屋さんに行った時の私(それが私であると思っている)
③友達と遊んでいる時(私という存在を忘れている)

私たちは、人生のシステムの中でただ、状態が変化しているだけであるにも関わらず、お仕事をしている自分とお風呂屋さんでお客様になっている自分、友人と遊んでいる自分の状態が違う自分をみて、この時の自分は自分ではない。など、既に私ではないものを私だと認識して、心を曇らせる。

少しずつ場面での状態(立場)が変わることは普通のことであるにも関わらず、状態が変わる「私」というものにどうしてもとらわれてしまう。

さらにいえば、囚われている私に気付かずにいることで、病気の原因にもなる。

さて、この「私」とは誰でしょうか?
常に居る私は、私たちの認識をこえたところに存在する。

もちろん、仕事している私の状態でも、お客様としてお風呂に入っている状態でも、ともだちと遊んでいる状態でもなく、そのある状態を取り除いた私が私である。
つまり、肉体的な私がどのような状態であったとしても、「在る」私は永遠にかわらない。

私たちが常に「自分」であるとおもっている、
外側に対する状態は全てが幻想である。

「私は常にそこにただ居る」

私たちはどのような場面でも、
常に「居る」自分に気付いて、「状態」という幻想を俯瞰し、真実を見つめていく。

Om Namo Narayanaya🙏🌱
真実だけがshantih ✨平安です。

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