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永野芽郁の中心でキャスティングを叫ぶ

映画的には、わかりにくさを物語の骨子に残して進んでいく(みぃたんは誰なのか問題)。実際に再婚相手が子連れで、離婚して血縁のない側に引き取られたらどうなるのか。設定の柱はここにあるのだが、実体験として見聞きしたことのないものとしては、ファンタジーやホラーに近い設定だと思う。

「大変やなぁ」、と思うが「そんなことある?」と。だが、「そんなことある?」という設定が映画らしさでもある。

平々凡々な設定を延々と、すべての映画が、なら映画なんてクソつまんない。だからこれくらいの設定の映画があっていいと思うのだ。もち、小説もね。

日本映画とキャスティングの関係について考える

で、ほぼキャストの話になるが、日本映画・邦画は脚本が素晴らしくてもキャストで台無しになることもある。その逆もまた然り。
シンクロ率のが洋画・アニメよりも高い分、つまり属性としてシンクロしやすい部類なので、キャストが苦手ならダメってなりやすい。

韓国映画が好きなのだが、そのキャストの背景や私生活はよく知らない。バラエティ番組に出ているかどうかも知らない。一次情報は他にどの映画に出ているかぐらい。かつ、生活背景や人間関係が日本のパラレルワールド感があって近しくも感じる。そこまでファンタジーじゃぁない。

だから、韓国映画はシンクロ率は低いんだけど、没入はできる。余計な情報が少ない分「生」ものを食べているような気分で、素材の部分を楽しめる。

洋画は文化としての理解が足りない。根っこの部分が上っ面でしかわかってないから、移民・差別・収入格差・仕事・教育・政党のあたりのネタがわからない。

永野芽郁を中心に据えるなら

キャストの年齢差は実年齢差である必要はない。この物語上、実の親子関係設定ではないが、「近しい年齢の関係」なのか「それ相応の年齢差つもり」なのか、制作側の意図がわかりにくい。

・田中圭:1984年生
・石原さとみ:1986年生
・永野芽郁:1999年生

永野芽郁は実年齢以下をヒョイと演じちゃうところ、違和感もなくあぁ高校生だねと自然に感じる。おそらく彼女の演技ストックは、これから年齢を重ねると使いづらいものになる。だって、もうそろそろ高校生や大学生の役はできないでしょう。等身大から実年齢上の女性あたりを演じることになると思うが、この壁にぶち当たっているのが石原さとみだと思った。

石原さとみは演技派だと思う。上手。だけど、どこか役柄が限定されるというか、今回のような自由奔放系の女性は向いてそう。芯の強い女性もイメージどおり。貧乏暮らしがどうしても、スンと落ちない。なんでもできるわけじゃぁないだろうけども。ドラマの『校閲ガール』は好きだった。ハマリ役だと思う。

実年齢またはそれ以上の役柄を演じると、設定上も「金持ち」「貧乏」「ふつう」どこかに振り分けが始まる。生活に格差がしっかりと乗っかってくるから。子どもの頃の貧乏役は、まぁ知らんがな的に笑顔で無邪気でもいいかもしれないけれど、大人の場合はどこか悲壮感があったり自分の信念で吹っ切っている感を出したりと、演技プランが難しいと思うのだ。

話を戻して、永野芽郁を柱・主演に据えるなら、他のキャスティングパターンでも見てみたかったと思うのだ。

日本映画を観る際のハードルって?

で、こんなに偉そうに言ってるけど、演技なんてしたことはない。ただ、映画を観ている限り日本映画の難しいところは、このキャスティングに尽きると思うのだ。バラエティでも目にする、雑誌でもインタビューを受けている、結婚したり子どもが生まれたりというなんとなくの生活設定も公開されている、ましてやSNSでも情報発信されている。

ピュアに映画を楽しもうとするときに、こういったノイズが邪魔してくることはある。日本映画の場合は特に、情報が入ってくる分スンと観るには難しいんだろう。

このあと、『ゴジラ-1.0』を観る予定だが、神木隆之介を全受け入れしている自分としては、浜辺美波とのペアに朝ドラ感を感じるかどうか問題かと。
こんな具合で日本映画に没入するのは、ホントに難しいのだ。

原作改編について思うこと

ラストが小説と映画とでは異なるらしい。僕は原作改編アリ派。作者が許諾していて、おもしろく描かれていればいいと思う。僕の場合は小説から映画の流れはあまり試していない。どちらかというと、映画を観てから小説を買う・読むの流れ。なので、小説は映画化やテレビ化されそうにないものを選ぶようにして買っている。意外とムズイ。

やっぱり小説を読んでいるとイメージができていて、映像化のお邪魔になることが多かったからかな。あと、小説→映画の順だと原作改編にどうしてもモノ申しがちになる。原作への愛情が捻じ曲がるんだろうねぇ。。。ダメ。

ただし、映画→小説の流れで読むと、人物たちの表情が脳内で映画のキャストに変換されがちで、映画とイメージ違うなぁーと小説にダメ出し入れてしまう。小説の方が本家だってのに。

で、この映画は面白いの?

この映画を観るきっかけになったのは、高校生のわが子のおかげ。普段映画なんて観ないのに、学校の授業で観たらしい。なかなかのセレクトと長尺だねと思いながら、Amazon Primeで無料だったから父も鑑賞。最初のみぃちゃんの設定がわからず、むぅとなりながらだったが、解けていって永野芽郁が出てくるあたりでフムフムとなった。

あの、早瀬くん(当時の芸名:岡田健史・現在の芸名:水上恒司)が付き合っていた人がアレは誰だったのか?そしてその伏線というか設定はなぜ広げない?というところで引っかかってしまった。このあたりは原作でどう描かれているのだろうか。

全体的に面白い映画だと思う。観続けられる。あのラストシーンは単体で観るならいい終わり方のようにも思える。そういう意味で原作改編されていると小説版を読む楽しみも別で残されているんだと、なりますよねぇ~。

永野芽郁の演技の幅を楽しみながら、突拍子もない設定なのに感動できる一作『そして、バトンは渡された』、ぜひご鑑賞くださいませ。


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