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Moe――報われない僕らの恋の記録〔19〕

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■Logout4


 SoLにログインし、ユウタを見るたび嫉妬した。リプレイして何人ものユウタに出会い、そのたびにその世界のユウタに嫉妬し続けた。

 モエはいくつにも分岐した世界で、何度でもユウタに会いに行く。残されたデータで作り出されたモエに〈彼女〉の意思が宿ることはなく、〈彼女〉らしい行動をとるけれどそれは決して彼女ではない。あの時期のモエのデータから推測される未来は、ユウタに会いに行くという選択しかなかったということだ。

 僕はプレイヤー〈高波透〉。

 数学教師の高波としてモエに会ったところでモエが〈僕〉を認識できるかわからない。そして、NPCとなったモエに僕が触れることはおそらくできない。

 ではNPC同士のモエとユウタが触れ合えたかというと、そうでもなかった。どうやら不正ログイン時のモエの記憶は整合性がとれる形――撮影時のハプニング程度――に改変され、モエが再び学校を訪れることはなかったのだ。何人かのユウタはモエに会いに行ったようだが、見えない壁でもできたように二人が出会うことはなかった。

 僕はいつもユウタに嫉妬し、そして同情する。

 僕は何度もモエに声をかけようとし、結局指をくわえて見ているだけだった。現実での僕と彼女の思い出はモエのデータにはなく、姿を晒して「誰ですか?」と聞かれるのが怖かった。

 モエの行動を都合のいいように書き換えることは、たぶん不可能ではない。けれど、そこに生まれるのは〈彼女〉の残したモエではなく、僕の意思が入ったまがいもののモエ。それに、一度書き換えたデータを元通りに復元できる保証はない。

 ある意味、モエは僕にとって神になった。永遠にSoLの中に存在する、不可侵の女神。

 いつしか僕の目的はモエに振り向いてもらうことではなく、モエからユウタを遠ざけることに変わっていった。何度も何度も時間と場所を変えてリプレイし、モエではなくユウタの行動を変えるよう試みた。教師の立場を利用して彼の席を変えたり、同情を誘うような言葉を口にしてみたり。トウカに対する高波の態度を変えたりもした。その影響がユウタに及ぶように。

 釣り糸を垂らして当たりがくるのを待つような気の長い話だ。それはモエのデータを手元のパソコンでいじるのとは違い、ひどくまどろっこしいやり方だった。

 SoLをプレイし続ける理由が欲しかったのかもしれない。僕にできるのは高波としてプレイし続けることだけだ。だから、自己矛盾に目を背けて毎日毎日SoLにログインした。


 酒に頼っている部分は大いにあった。けれど、幸い日常生活を送ることはできていた。仕事復帰したのはケア休暇が終了した時。パートナーとの死別はケア休暇の対象になるらしく、親友が必要書類を携え家にやってきたのは彼女の葬式の直後だった。

 仕事復帰してからも僕はSoLをプレイし続けた。朝起きて顔を洗い、現実をスタートさせる。やり飽きたゲームのように日中を過ごし、帰宅後はSoLにログイン。もしかしたら、僕は仲間が欲しかったのかもしれない。僕の悲しみを理解できる仲間。現実の世界に彼女の死を悼む人はたくさんいるけれど、僕の抱える喪失感は、きっとユウタにしかわからない。

 モエのいるあの世界が現実であればと願う一方で、SoLに行けば結局そこに彼女はいないと思い知らされる。それでも僕はあの世界で彼女の残した欠片を探して彷徨っていたかった。現実とゲームの境目が曖昧になり、浅い眠りから覚めるといつも泣きたくなる。それは今朝も同じだ。


 重い体を引きずってベッドから出ると、熱いシャワーを浴びた。外は快晴。窓を開けて風を入れたとき、

「よう」

 通りから声をかけてきたのは親友だった。半袖シャツから褐色の逞しい腕が伸び、その腕を大きく振って僕に笑顔を向ける。遠慮もなく部屋に上がって来ると、彼はテーブルの上のヘルメット型端末を見てため息をついた。手に持っていた酒入りのブラッドレモンソーダは容赦なく取り上げられる。

「タカナミ先生、今日は休日だぜ?」

「休日出勤。SoLは平日だ」

「教師がやりたいなら現実で再チャレンジしたらいいだろ?」

「考えてない。今の仕事で十分やりがいを感じてる」

「だろうな」

 親友の笑みが胸に刺さった。

 彼女の死後、この親友がいなければ僕は無断欠勤を続け解雇されていたはずだ。リプレイできないこの世界で、僕は彼に救われている。そして、ゲーム感覚で現実を生きる僕は以前より大胆になり、そのおかげで社内評価が上がったのは皮肉な話だ。

「出かけるぞ、準備しろ」

 彼の強引さのおかげで日々過ごせていると思えば、気乗りしなくても付き合うしかなかった。仕方なく着替えを済ませて外へ出ると、焼けるような日差しで汗が一気に吹き出してくる。

「ブラッドレモンソーダ飲ませてやるよ。酒抜きのやつ」

 その言葉で僕は行き先が分かってしまった。

「フリーマーケットなら行かない」

 近くの公園でフリーマーケットが開催されているはずだった。毎年開かれるその催しで彼女に出会ったのはもう何年も前。フルーツソーダ・バーで売り子をする姿を見たのは、初めて会ったあの日が最初で最後だった。ほとんどの時間を病院で過ごした僕と彼女にとって、フリーマーケットの思い出は特別なものだ。

 もし現実をリプレイできるなら僕は公園に駆けて行く。籐籠に盛られたフルーツと氷水に浸かったソーダ水の瓶。車椅子に座って「いらっしゃい」と笑顔を向ける彼女を散歩に連れ出し、もう一度彼女と恋をして、結婚指輪を渡して、SoLはプレイさせない。

「フリーマーケットに行っても彼女はいない。行く意味なんてない。現実を突きつけて僕をどうにかしようとしても無駄だよ。何も変わらない」 

「バーカ、勘ぐり過ぎだ。俺はこの日差しの下でブラッドレモンソーダが飲みたくなった。それだけだ」

 彼は一人で公園へ向かい、僕はため息をついて彼の後を追った。空は抜けるような濃い青をしていて、公園からは子どもたちが駆け出して来る。まるで時間を巻き戻したように風景はあの日と同じで、僕は無意識に彼女の姿を探していた。そして、フルーツソーダ・バーの文字が目に入った。テントの下に、あの日と同じカラフルな看板が置かれている。

 足を止めた僕を、親友は「まあまあ」と強引に引っ張ってテントへ連れて言った。山盛りのフルーツ、氷水に浸かったソーダ水の瓶、カウンターの奥にいたのは彼女の両親だ。

「いらっしゃい。来てくれたのね」

 彼女の母親の顔には皺がいくらか増えていた。

「ブラッドレモンソーダふたつ」

 親友のオーダーに応え、彼女の父親がブラッドレモンを搾った。彼女の母親がソーダ水を注いで、出来上がったブラッドレモンソーダは彼女の作ったものと同じ夕焼け空の色。

「お店、彼女が亡くなってからもやってたんですか?」

「最近やっとあの子の荷物を片付ける気になって、その中にあの看板があったの。だから」

「そうですか」

 後ろに客が並び、僕は「また」と声をかけてテントを後にした。親友はいつの間にかベンチで寛いで、僕はブラッドレモンソーダを手に彼の隣に座る。

「おせっかいだな」

「偶然だよ」

 グラスの氷がカラと音をたてた。

 親友と別れて家に帰ったあと、僕はモエとユウタが第一資料室で出会ったあの日に向かうことにした。モエではなく自分のデータを書き換えて裏技を使わないようにし、モエを第一資料室に入れなくした。

 その世界ではモエとユウタは出会わない。僕にとって、SoLがゲームに戻った瞬間だった。


▶REPLAY_n'/20XX/06/05(1)


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