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やさしいきもちになれる

外を出ると、近所の桜の花びらたちが、
ころころころと、風に乗って転がっていました。
追いかけっこをしているようで、可愛い。

自分が住むアパートの目の前にある広場に咲く桜。
元々住んでいた実家の近くにも桜並木があって、
玄関を開ければ桜が満開なのが見れました。

でも毎年ふと不思議に思うのが、
桜の木の近くに私は住んでいるけれど、
私の知らないうちに、桜は満開になっているのだなということ。
まだ二分咲きくらいかしらなんて思っていると、
いつの間にか満開で、
いつの間にか葉桜になっていて。
ちょっと置いてきぼりになった気分。

私が寝ている間に、一気に咲くのだろうか。
それとも、誰も見ていない真昼間に咲いていて、
枝にとまる雀とかはもしかしたら桜の蕾が開く瞬間というのを見ているのかもしれない。
当たり前のことなのかもしれないけれど、
確実に季節は流れて、自然の様子も変わっていくのだなあと、
最近そういうことを考えるようになり、
でもそういう想像は小学生の頃よくしていたなと、懐かしい気持ちにもなります。

というのも、近頃、購入して、何度も読み返している詩集のおかげで、
身近なものに対して、心を寄せられるようになった気がしています。
その詩集というのが、金子みすゞさんの詩集。

小学生の頃、教科書にも載っていた金子みすゞさんの詩。
「私は不思議でたまらない」
から始まる「不思議」をはじめ、
みすゞさんの初期から晩年にかけての詩を集めたこちらの詩集。

はじめて読む詩のほうが多く、
詩自体を読むことも久しぶりで、
言葉のシャワーを浴びている気分でした。
リズムがあり、難しくない言葉たちの集まりだからか、
一言一言が、心に残る。

そしてなにより、
みすゞさんの詩は心をほぐしてくれて、
やさしいきもちにしてくれます。
「優しい気持ち」と表すよりも
「やさしいきもち」が合っている気がするのです。

様々なものに心を寄せた詩を残したみすゞさん。
印象に残った詩はいくつかありますが、
そのうちの一つが「大漁」という詩。

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の
大漁だ。

浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。
金子みすゞ「永遠の詩01」小学館 30頁

大人になればなるほど、
自分の人生を生きるのに精いっぱいで、
想像を巡らしたり、
近くのものに対して、
自分と直接言葉を交わせないものに対して、
寄り添うということを、忘れてしまいます。

でも金子みすゞさんの詩を読めば、
ふっとその感覚を思い出させてくれる。

やさしい、あたたかい、言葉の雨。
金子みすゞさんの詩を、大切にしたい。
忘れないでいたい。
色んな人がみすゞさんの詩をよんで、
やさしい、あかるい気持ちになれたらいいなと、
そんな風に思います。

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