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変わるものと、変わらないものと

昨日、池袋に行きました。
というのも、妹の誕生日プレゼントである白いブラウスを見つけるためにです。昨日、実家で妹の誕生日祝いをするために帰っていた、その道中で池袋に。
池袋で買い物をするのはとても久しぶり。

人が横に、縦に、斜めにすれ違うあの人混みの多さ、よく行ったルミネ、TOBU。
それは特に何も変わっていません。
大学時代によく通った駅がそのまま、ありました。
アルバイト先も池袋でしたし、キャンパスも池袋にありました。
でももう、アルバイト先は全く知らない人たちが働いていますし、
キャンパスにだって、知っている人なんてもういません。

だからなのか、懐かしさはあるものの、やっぱりどこか、自分がよそ者であるような気がしました。
もう既に、過去のもの。
場所に誰なのだろうと言われているような、そんな気持ち。

白の、可愛くてでも仕事にも着て行けそうなブラウスを購入して、
祖父母宅でもあり、実家でもある場所へ。
最寄り駅付近は、新築ばかりが立ち並び、私が幼かった頃と比べて随分と景観が変わっています。
それでも駅前の商店街の暖色のタイルの色、夕方の日の差し方はやっぱり変わっていません。
それが私をいつも安心させます。

母はエプロンをして洗濯物を片付けており、祖父母は寝室から顔を出して「いらっしゃい」と声を掛けてくれました。
友達の家に遊びに行っている妹を待ちながら、
居間でアイスコーヒーとお菓子を食べて外を眺めていました。

この辺は、都内ですが、全ての時間がゆっくりと流れているような感覚になります。
日の入り方や、祖母が集めた植物の葉や花びらが風に揺れる様子、どこか近くで聞こえる自転車のベルの鳴り方でさえも、ゆったりとしている。

小さい頃、よくこの祖父母の家に泊まりました。
年中居間の窓際に掛けられている鉄の風鈴が、ちりりんと、
かろやかに、でも芯のある涼しい音を風が吹けば、鳴らしていました。
その音が好きで、今もその鈴を見ると幼かった頃の自分がふっと顔を出します。

みんな、人も家も、街も年を重ねて、
なにかしらが変わる。
変わるけれども、変わらないものもある。

最近、そんなことをふと考えます。
時間が流れる限りは、ほとんどのものは変わっていくような気がします。
でも、その中でもわたしは、小さなことでもいいから、
自分が今まで居心地が良いと感じていたものが変わっていないということを発見すると、ちょっぴり嬉しくなります。

そういうのを「帰ってきた」っていうのかもしれません。

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